第7話:この傷の事、何か知っているの?
ゴミを捨て終わったその帰り、涼介は桃華を誘い中庭に向かう。
「うちの学校の中に割って綺麗に整備されてるよな」
「公園みたいで、自慢の中庭だよね」
「ホント、ここの掃除当番になると最悪らしい。先輩が言ってた」
「そっち。もうっ、風情がないなぁ」
「あはは。すまん。でも、綺麗な状態であり続けるのも大変ってことだ」
「誰かが掃除をして、美しさを保ってるんだと思うと見方も変わるかも」
綺麗な季節の花々を眺めている生徒もいたり、本を読んで時間を過ごす生徒もいる。
途中で購買で買ったジュースを片手に適当にベンチに座り込む。
「今日はいい天気。でも、少しだけ蒸し暑いかな」
「ああ。もうすぐ夏だしな」
「夏休みの前に期末テストだけどね。涼介君、今回は大丈夫?」
「今回は、なんとかなるだろう。苦手科目もそう難しくなかったから、大丈夫」
涼介の言葉にくすっと桃華は笑いをこぼす。
横に座る彼女、手を伸ばせばすぐに届く距離。
ジュースを飲んでいる桃華は何も気にせず花を眺めていた。
「……っ……」
涼介は何だか言葉に出来ない衝動に駆られる。
気がつけば桃華の額にある傷跡に触れてしまっていた。
「りょ、涼介君!?」
びくっと反応する。
彼女は、どこか不安げで怯えた表情だ。
「怖がらせてごめん」
一言謝るけれど、触れる手は止めない。
ゆっくりと出来るだけ優しく涼介はその傷跡を撫でる。
「……んっ」
桃華が小さく声を出した。
恐怖、戸惑い、愛しさ。
「どうしたの?」
複雑な感情が彼女を困らせる。
――この深い傷はこの子をどれだけ苦しめてきたのだろう。
そして、これからもどれほど傷つけていくのだろうか?
「……涼介君は私の傷のこと、今まで一度も笑わないよね」
「笑えるわけがないだろ」
「うん。昔から守ってくれていたもん。本当に嬉しかった。ありがとう」
涼介たちは互いにこの傷跡の話題を避け続けていた。
それはどちらも傷つく可能性があると知っていたから。
「……桃華はこの傷が憎いか」
「憎い……のかな。嫌な気分にはなるよ」
「そりゃ、そうだよな。当然だ」
「うん。これがあるせいで私は私らしく振る舞えない。いつも誰かの顔色を気にしてしまう。女としても恥ずかしいしね」
桃華は影を落としたように俯いてから、
「私が何もしなくてもこの傷跡を見れば皆怖がるし。初対面なら特にね」
「長い髪で隠す必要もある。本当の桃華は可愛くて素敵な子なのに」
「あはは。そう言ってくれるは涼介君だけだよ」
「本当にそう思ってるんだよ」
「……ありがと。でも、だからこそかな。私、自信が持てないでいるんだ」
それは何か諦めた表情だった。
「この傷は私からいろんなものを奪った。だから、嫌い。鏡を見たくない」
心にグサリと突き刺さる刃。
彼女の言葉に涼介の胸がズキズキと痛む。
「ごめん……」
「え?」
気がつけば彼女を抱きしめていた。
華奢な身体を抱きしめて、ただその温もりを感じていた。
桃華は最初、驚いた顔をしていたけれど、すぐにふっと笑顔を見せた。
「どうして、涼介君が謝るの。これは私の傷。涼介君が悪いワケじゃないでしょ」
「どうして……その傷がついたのか、知ってる?」
「ううん。誰も教えてくれなかったし。……何でそんな事聞くの?」
「やはり、知らなかったんだな」
あの悲惨な事故、彼女の家族は記憶が戻るのを怖れて何も言わなかったらしい。
涼介は深呼吸してから、言葉を続ける。
「……ごめん」
涼介は桃華の無防備な唇を奪っていた。
これで全てを終わりするために。
「……うぅん……」
気がつけば桃華も涼介のキスを受け入れてくれていた。
優しく唇を交わらせていく。
一秒、一秒が大切だと思い、感じながら。
「えへへ、キスしちゃったね」
嬉しそうに笑う。
幸せの余韻に浸っているように見える。
涼介にキスされたことを喜んでくれた。
――それだけで、いい。俺の未練はここで終わりだ。
わずかばかりでも満たされた。
彼は真っすぐに桃華を見つめながら、
「……俺さ、前から桃華のことが好きだった」
「わ、私も……涼介君のことが好きだよ」
告白しあう涼介たちはこのまま幸せになれるはずだった。
「いつも優しく、私を守ってくれる涼介君が好きなの」
その一言、一言が胸に刻み込まれる。
偽善者の仮面をつけ続けてた偽りの彼女は涼介を好きでいた。
悲しくなるくらいに胸にその言葉が響く。
「……昔から私を助けてくれて、支えてくれた。本気で好き。でも、この傷のせいで、告白とかしても迷惑なんじゃないかなって……怖かった」
少女を苦しめ続けていた結果。
――分かっていた。俺には桃華と結ばれる資格なんてなかった。
片思いし続けていればよかった。
自分の想いを伝えてはいけない。
そんなことは承知の上で、彼は告白する。
「……傷がなければ桃華は幸せなままだったのにな」
「え? あ、うん。そうだけど……仕方ないじゃない」
「本当にごめんな」
涼介はただ謝罪の言葉しか出てこない。
さすがに謝り続ける涼介に彼女も疑問の声をあげる。
「涼介君? どうしてさっきから謝るの。私、嬉しいのに。さっきのキスは突然でちょっと驚いたけど、嫌じゃなかったし。むしろしてくれて……」
「違う。違うんだよ、桃華」
彼はすがりつくような桃華の手を振り払う。
「俺は桃華に思われるような優しい人間なんかじゃない」
「え?」
「桃華……。事故の真相、知りたいだろ? あの日、何が起きたのか」
誤魔化し続けるのも、逃げ続ける事もできない。
「事故? ……涼介君、どういうことなの?」
彼女はこの傷が何の事故なのかを知らないでいる。
「私のこの傷の事、何か知っているの?」
ずっと知りたいと思ってきたこと。
涼介は桃華に詰め寄られて、もう逃げられない。
彼女の瞳は信じられないといった動揺を感じられる。
「全てを知ったら、桃華は俺のことなんて好きじゃなくなるよ」
嫌われるかもしれない。
恨まれるかもしれない。
「そんな事ない。私は涼介君が好き……大好きだもん」
それでも彼女を愛してしまった。
その責任を取らなくてはいけない。
「桃華……今まで苦しめてごめん、俺なりに責任を取るよ。その傷はね……俺が傷つけた。桃華、キミを傷つけたのは……俺なんだ」
あの日、彼は桃華に何をした――?