第5話:ずっとキミを騙し続けているんだ
涼介と桃華は小学校高学年になってから知り合った。
当時、彼らはただのクラスメイトだった。
特に遊んでいたワケでも、長い付き合いがあったワケでもない。
だけど、涼介は好きになってしまった。
純粋に桃華に惚れていた。
彼女は子供の頃から小さくて可愛い女の子だった。
長くて美しい髪、整った容姿に穏やかな性格。
人気が出ないはずもなく、美少女として男子からも人気者だった。
「おはよう」と「さよなら」という二つの言葉。
涼介にとって彼女に話しかける内容はそれだけしかなかった。
ただ、彼女自身はどこか男子に対して壁を作っている独特の雰囲気があった。
ふたりの接点は奈央だ。
桃華と奈央はずいぶん前から知り合いで、それなりに親しくしていた。
だから、涼介はよく桃華の話をよく聞いていた。
桃華の好きなもの、嫌いなものから、男の子の好みまで、何でもいいから彼女の事が知りたかった。
もちろん、相手のことを知っても自分のことを知ってもらえないのは残念だが。
そんなふたりに変化が訪れたのは小学校5年生の今のような夏の前だった。
桃華はまだ顔に傷がついてなくて。
涼介は遠くから見ていることしかできない意気地なしの男の子だった頃。
「小森、足の傷は大丈夫か?」
「うん、ちょっと痛いだけ。櫻井君って優しいよね。ありがとう」
「いや……」
ある日の帰り道、涼介は彼女に肩を貸しながら歩いていた。
桃華が体育の時間に怪我をして、歩くのも大変そうだった。
帰り道、家が近くということもあり、彼女を涼介が送ることになった。
最初は男子と連れ添って歩くことに抵抗もあった桃華だが、
「意地を張るのは、私の悪い所ね。素直に助けてと言えば楽なのに」
涼介に助けてもらいながら歩く。
成長期のため身長はあまり変わらない。
――もう少し俺の身長が高ければなぁ。
背負って歩くという真似もできたのに、と嘆く。
不謹慎ながらもっと長い時間続いて欲しいと思っていた。
「……私ね、男の子は怖い子ばかりだって思ってた」
「え? そうか?」
「クラスの男子って暴力とか口が悪い子多いじゃない」
「お調子者の坂木とか、暴言王の小畑とかね。分かる気がする」
「でも……男の子でも優しい子いるんだ。何か嬉しい」
涼介に微笑みながら、
「櫻井君が優しい男の子でよかったなぁ」
真横でそう小さく花のような笑顔をみせる彼女に涼介の心は揺れ動く。
――や、やばい。俺の心が爆発しそうだ。
心臓がバクバクしているのを知られないように必死に冷静でいようとする。
――この微笑だけで俺はもうずっと片思いでもいい。
それだけでもう幸せだった。
その後、涼介は彼女を家まで送って無事に任務を終えた。
それからだった。
今までの関係が嘘のように涼介と桃華は日に日にその距離を縮めていく。
ただのクラスメイトから親しい男女のクラスメイト。
傍目にそう見える程度に。
実際触れてみて知らないことも多く、新しい事を知るたびに涼介の中で彼女への気持ちが膨らんでいく。
寝ても覚めても、彼女の事を意識している。
桃華はそれに気づかずに、自然と涼介と親しくなってくれた。
だけど。
そんな時間は長くは続かなかった。
数年前、桃華は事故で怪我をし、顔に深い傷痕を背負った。
あれからふさぎこむようにして、彼女は明るさを失う。
涼介はあの日から彼女の傍にい続けている。
それは彼女が好きだから、という意味だけではない。
――恋心なんて今の俺が彼女に抱いていいものじゃない。
涼介自身、桃華に対して償いきれない罪を犯してしまったから。
奈央に向き合いながら、涼介は桃華への想いを語る。
「俺があの子にしたことは許されるものじゃない」
「アレはアンタのせいじゃない」
「結果的に、救えたはずなんだ。それを救えなかった。俺の罪だよ」
「いつまで気にし続けてるの。足踏み状態はもう飽きた。そろそろ、前へ進みなさい。それができないなら、桃華の傍にいるべきじゃない」
厳しき叱責する奈央だが、そこには心配の方が勝っている。
「私はね、あの子も心配だけど、涼介の方だって心配なのよ」
「……」
「涼介はいつになったら救われるの?」
「え?」
「どうすれば、この問題は解決する? 私にできることなら協力でも何でもしてあげる。だから、早くなんとかして。そうじゃないと苦しくて気持ち悪い」
長い付き合いだからこそ、分かる事もある。
どちらとも付き合いがあり、大切だからこそ、奈央も苦しいのだ。
こんな風に、前へも後ろへも動けない彼らを見ているのが辛い。
「俺がしてしまった事は許してもらえることじゃない」
「桃華が好きなんでしょ。その気持ちはどうする?」
「……どうもしない。このまま黙っているさ」
「逃げ続けるの? 自分の気持ち、相手の気持ち、全てから」
耳にも心にも痛い一言だ。
わざと、そう言ってくれる奈央に本心を告げた。
「……俺は怖いんだ。あの子に知られるのが怖くして仕方が無い」
「そうでしょうね」
「桃華はいつだって知りたがっている。自分の顔にどうして傷がついたのか。あの事故は何だったのか。記憶がない事に苦しんでいる」
事故の記憶がない桃華は何も知らない。
その事故に涼介が関わっていることも――。
「もしも、知られてしまえば俺はもう桃華の隣にはいられない。自分がしてきた偽善が露呈するのが怖くして仕方が無いんだ」
「……ねぇ、今、涼介は自分がどんな顔してるか分かる?」
彼女はため息混じりに「泣きそうな顔してるわよ」と言った。
――好きな相手の傍にいられなくなることが悲しくてしょうがないだけだ。
自分がもっと強ければ、誰も苦しまずにすむのに。
「いつまでそうしてるの? そんなに大事で大切なら自分の手元においておきなさい。責任をとる、それも一つの選択肢でしょ」
「……俺にはできない。桃華が大切だからこそ、できないんだ」
「少なくとも、今のような関係よりは遥かにマシだと思うけどな」
彼女は涼介の過去を知ればどんな反応を取るだろうか?
嫌われて、拒絶されるかもしれない。
最悪の事態は想像もしたくない、それだけの事を涼介は桃華にしてしまったのだ。
――俺にはそれを受け入れる覚悟がないんだ。
桃華のことを想いつつも、結局は自分の弱さを理由に自分を守ろうとする。
だから、いつも偽りの笑顔と優しさを彼女に向ける。
許してもらえないと言いながら、本音では許してもらいたくてしょうがない。
自分勝手で、一方的な涼介の気持ち。
「ごめん、桃華……ずっとキミを騙し続けているんだ」
悔やみ切れない過去がある。
消せない罪がある。
それに向き合い、前進するのにあとどれほどの時間がかかるのだろうか。
「……あれ? どうかしたの?」
電話を終えた桃華が戻ってきた。
先ほどと違い、どこか重苦しい二人の雰囲気に疑問を抱く。
奈央はそれを自然に誤魔化すために、
「この駄犬に説教をしてました」
「何の話ですか?」
「こいつ、最低なのよ。私や桃華がいるのに、美人な店員さんの方を、ちらちらとみてるの。どうする、桃華? 私たちじゃ満足できないってさ」
「えー。俺、そんなことは一言も言ってないんですが」
「また言い訳する。男の視線は露骨でやらしい。ねぇ、桃華?」
同意を求められた桃華は「そーですね」と頷きながら、
「涼介君。よそ見したら嫌だよ? とか言ってみたり」
「――っ」
その一言で素直に照れる涼介である。
片思いの彼には効果が抜群だ。
「この後は涼介のおごりでショッピングしましょ。ほら、行くわよ」
「なんでそうなる。少しは手加減してください」
「いやだ。私と桃華を満足させなさい。両手に花で幸せでしょう?」
そう笑いかけながら、涼介の手を桃華と共に握る。
幼馴染のお姉さんの気遣いに涼介は感謝しながら、
「……幸せですね。えぇ、マジで」
「それじゃ、何を買ってもらおうかしら。うふふ」
「いや、手加減。手加減してくれよ。奈央さんは容赦なさすぎるんだ」
「桃華は何が欲しい? 夏服とか欲しいよね」
「はい。可愛い服とかいいですよねぇ」
「あ、あはは……マジかよ」
ふたりの女子相手に逃げ場はなし。
今日のお財布の中身とサヨナラする覚悟を決めるしかなかった。