第3話:こういう優しさが私は好き
桃華たちは、事故から3年目の夏を迎えようとしている――。
初夏の太陽の日差しを受ける。
桃華はふと見上げた木漏れ日の光が美しいと思えた。
風によって木々の擦れる音だけの世界で桃華は1人の世界に入っていた。
「……うぅん……」
ずっと同じ格好をしていて疲れたので、伸びをして姿勢を正す。
「こんな感じでいいかな」
キャンパスに絵を描いていた筆をおいた桃華はそのまま木々に背もたれた。
今日は選択授業の美術で風景画を書くために、学校の裏山まできていた。
皆がそれぞれの場所で絵を描いている。
あと30分もすれば終了の時間。
絵が得意な桃華は少しだけペースを早めて色をつけていく。
「終わったか、桃華?」
別の場所で絵を描いていてた涼介がやってくる。
「あ、涼介君。私はもうすぐ終わり」
「俺はとっくにできたぞ。ていうか、諦めたともいえるが」
苦笑いして、彼は持っていた絵を軽く手で叩く。
涼介は桃華の書いている絵を覗き込むと、
「……桃華は相変わらず、絵もうまいんだなぁ。俺には真似できない」
「そうかな? でも、私からしてみれば涼介君の絵も真似できないよ」
「下手って意味で? それを言わないでくれ」
「いい意味で言ってるの。すごく独創的、芸術家に向いてるんじゃない?」
「独創的ねぇ?」
彼の絵は全体を緑色で塗り、所々に空の青と黄色の線を書いているだけ。
だけど、それは見方によればすごく独創的でまとまっているひとつの作品。
「まるで森林が日光浴しているように見える世界を表現しているよう」
「言いすぎだ!? 恥ずかしくなるからやめて」
「ふふっ。センスがなければただの子供のお絵かきになってしまうじゃない。それはそれで涼介君の絵の才能だと私は思うの」
「褒められてるのかどうか微妙だ。そろそろ、終わりか?」
「私の絵も完成したよ。何とか時間内に描き終えられた。うーん」
後片付けを涼介が手伝ってくれたので、まだ少しだけ時間が余る。
彼は桃華の横に座り込んだので、静寂なその風景を共に眺めることにした。
「……秋になったら紅葉とか綺麗なんだろうな」
「うん。きっと今よりももっと綺麗……」
彼に体を預けるようにもたれかかる。
桃華の甘えるような行動に、自然と受け止めてくれる。
――こういう優しさが私は好き。
ふたりは恋人ではない。
けれど、それ以上の関係のような特別なものがある。
ちょうどいいので、桃華は思い切って彼に自分の悩みを話す事にした。
それは、きっと大切な事だから。
「ねぇ、涼介君。少し話をしてもいいかな?」
「話? 別にいいけど改まって何の話だ?」
「あのね……」
彼女の髪が風でさらさらと揺れる。
涼介はその幻想的な雰囲気に飲み込まれそうになる。
「……涼介君。変なこと言うかもしれないけど、私のこの傷の事、どう思う?」
桃華が自分の前髪をあげて傷痕を見せると彼の表情が変化する。
今まで彼に対してこの傷痕の事は一度も聞いたことがない。
――私が避け続けていた話題でもあるから。
もちろん、好き好んでこんな話をしたがるわけじゃない。
それでも、桃華は一度ちゃんと彼の口から聞いてみたかったんだ。
「昔の事故か何かで負った傷なんだろ。今は痛みとかは?」
「それはないよ。でも、深い傷だったから、痕も残っちゃってる」
鏡で自分の顔を見るたびに、その目立つ傷を直視せざるを得ない。
「私、この傷が大嫌い。消せない傷だから」
「……」
「これのせいで私は大変な思いをしなくちゃいけなくなったわけだし」
時にイジメられたり、悪口を言われたり。
不快な思いをこれからもしないといけないと思うと気が重い。
――こんな傷がなければ、私はもっと幸せになれたのに。
彼に愚痴を言うようで気分はあまりよくない。
桃華は不安になって隣に座り込む彼の手に自分の手を触れさせた。
涼介は嫌な顔せずに手を握り返してくれながら言ったんだ。
「いい機会だからさ、俺も言わせてもらう。桃華はこの傷痕がコンプレックスになりすぎてるんだよ」
「そうかな」
「桃華は自分がどれだけ可愛い顔してるのを理解してない。傷痕は昔ほど目立たなくなってる。自信もっていいと思うよ」
どうしてこうも桃華が欲しい言葉をかけてくれるのだろう。
この傷があるから、彼女には常に自信がなかった。
それでも彼の口から改めてそう言われると不思議と安心できる。
「ありがとう、涼介君。やっぱり貴方は優しい人だね」
「そうか? 俺は別にそう思ってないんだけど」
「……私にとって、涼介君は大事な人だよ」
「そりゃ、どうも」
「私が困っていれば助けてくれて、支えてくれる。私、涼介君に甘えすぎかな」
桃華達の間に気持ちのいい風が吹き込んだ。
風に木の葉が舞って桃華の髪に引っかかる。
「もっと甘えてくれた方が嬉しいな」
「え?」
「可愛い女の子に頼られて嬉しくない男なんていないから。俺を頼ってくれ」
そう言って彼が木の葉を払いのけてくれた。
「あっ……うん!」
涼介の手がふっと桃華の傷跡を撫でるように触れた。
それは一瞬の事だけれど、何だか複雑な想いを与える。
――大丈夫。傷のことなんて、彼は気にしていない。
涼介が桃華に勇気をくれる。
――涼介君は私の特別な人だもの。
彼がいるなら何も怖くない、そう強く思えた。
「桃華、そろそろ行こうか? どうした?」
「何でもないよ」
多分、今の桃華は顔が赤い。
喜びと気恥ずかしさが入り混じった幸せな顔をしているに違いないから。
そんな姿を見られたくなくて桃華は思わず顔を逸らした。
――私は涼介君が好き。彼も私の事が好きならいいな。
心地よい森林から漏れる光を浴びながら桃華たちは一緒に歩き出した。
――いつかは恋人になれたらいいのに。
涼介と一緒にいられる今の関係が桃華は好きだった。