第2話:気が付けば、恋に落ちてた
悪夢の始まりは中学3年生の夏。
一瞬にして、彼女の人生は狂わされた。
覚えているのは視界を包み込んだ赤い光景。
傷だらけの桃華が感じたのは流れていく血と冷めていく身体の温もり。
――やだ、な。私、死んじゃうのかな。
死への恐怖と、消えてなくなることの寂しさ。
まだまだやりたいことがたくさんあるのに。
――ママ、パパ。わた、し……いなくなっちゃう。
こんなところで、死にたくはない。
無念と恐怖で涙があふれてくる。
――私、もうダメなのかな……えっ。
冷たくなりかけていた、その手を掴む男の子の手。
『こ、小森!?』
『……』
『しっかりしろ、小森ッ!!』
叫ぶように桃華の名前を呼んでいた。
男の子の声。
『大丈夫だから。もう助かるからしっかりしろ』
必死になって、手を掴みながら声をかけ続けてくれた。
今でもそれだけは思い返せる。
『お願いだから、死なないでくれ!』
あの声だけは、鮮明に――。
過去に小森桃華は事故にあって、ひどい怪我をした。
それがどんな事故だったのか、桃華自身は覚えていない。
頭を強く打ったこともあり、その事故当時の記憶が無いからだ。
交通事故だったのか、どんな規模の事故かすらも。
両親に尋ねても曖昧に誤魔化されて、いつしか彼女も気にしなくなった。
だけど。
――何もかもなかったようにはできない。
その事故がどのようなものだとしても、忘れられるワケじゃない。
なぜなら、桃華の顔には消えない傷が残っているから。
額に刻まれるようについた傷痕。
前髪や化粧である程度は誤魔化せても、光の加減などで簡単に見えてしまう。
隠し切れないこの傷が桃華は大嫌いだった。
顔に傷があるということは思っている以上にいじめの対象になる。
中学時代のある日、一部の女子たちから誹謗中傷を受けた。
「顔に傷のある女なんて何の価値もないじゃん」
「いっつも不貞腐れた顔して、何様?」
「そんな不細工な面で男にモテるとか思ってるわけ」
絡まれるきっかけは些細なことだった。
不機嫌な彼女たちの気分を損ねて。
いつしか顔の傷のことをけなされ、笑われて。
一方的に責められた桃華はただ泣きそうになる。
ただ、その場に座り込むしかなかった。
外見のせいで誹謗中傷されるのはこれが初めてではない。
事故の後、どうしてもその目立つ傷のせいで人から影口を叩かれた。
――好きでこうなったわけじゃない。
なぜ、どうして?
自分はこんな風にコンプレックスを抱かなくてはいけないのか。
――どうして。いつも私ばかり、こんなめに。
何一つ、自分のせいではないのに、と。
自らの運命を恨んでいた。
――誰か、助けて。誰でもいいから、助けて……。
助けを求める悲痛な心の叫び。
そんな時だった。
「何してんだよ、お前ら! やめろ!」
桃華には好きな人がいる。
当時、いじめられていた桃華を助けてくれた優しい男の子。
「小森、大丈夫か?」
「……う、うん」
桃華の前に差し出された手を握り締める。
優しい瞳をして、桃華を助けてくれたのが櫻井涼介だった。
助けてくれたのは、多分、正義感が強い子だったからだろう。
当時からカッコよくて、クラスメイトからの信頼もある男子だった。
女子たちも、彼が来るとその場はすぐに収まった。
「ホント、あいつらひどいよな。小森はこんなにも可愛いのに」
彼は桃華の頭を撫でながら、泣いていた桃華に優しく微笑んでくれる。
いつしか、彼の傍にいることが多くなっていた。
そして、いつの間にか桃華は誰からもいじめられなくなった。
涼介と言う人気者の存在が壁役になったのと、彼に触れ合う事で、桃華が明るさを少しずつ取り戻せたのが大きな要因である。
「いつも助けてありがとう、涼介君」
その事についてお礼を言うと、はにかむように笑いながら、
「別に何でもない事だよ」
「何でもない事じゃない。すごく感謝してるんだから」
「ギブ&テイクだから」
「え? でも、何も返せてないよ」
きょとんとする彼女に、涼介は真顔で言い放つ。
「俺は桃華の可愛い笑顔が見たいだけ。だから、ちゃんとテイクしてもらってる」
「――ッ」
涼介だけだった。
桃華の傷痕について、何一つ悪口を言わなかった。
彼だけだった。
桃華の事を可愛いなんて言ってくれるのは。
――だから……私は涼介君に恋をしてしまった。
桃華と涼介。
小学生時代から顔見知り程度の付き合いはあった。
それでも、好きとか嫌いとか考える間柄ではなくて。
共通の友人として、奈央がいるくらいの接点しかなかった。
あの事故の後、涼介は何かと桃華をかまってくれた。
いつしか一緒にいる時間が増えて。
その度に彼に惹かれていき。
――気が付けば、恋に落ちてた。
誰よりも好きで、大好きで。
傍から見れば恋人に見えないくらいに仲良くなって。
いつか告白して恋人関係になりたいと願うくらいに。
――でも、怖い。好きだから、怖いの。
彼を信じていないわけではない。
それでも、告白して拒まれてしまったらと思うと勇気がでない。
この傷のせいで、桃華は人生のすべてを狂わされた。
人並みの生活も、これからの将来への希望も、何もかも。
それは彼女から自信という二文字を完全に奪い去っていた。
――いやだ。もしも、涼介君すら失うことになったら、私は……。
どうしていいか分からない。
だから、今のままでいい。
友達として、付き合えている今のままで十分だ。
これから先も、何かを変えるようなきっかけはきっと訪れない。
それでもいい。
――私の傍に彼がいてくれるのなら、どんな形でもいいんだ。
これは桃華の我が侭なのだ。
大好きな人が傍にいて、笑いかけてくれる。
その日常が永遠に続けばいいのに、という願い。
――永遠なんてないのは分かってるのに。
それでも、望まないではいられない。
何も変わらないことを。
ずっと、ずっと、これからも同じ日々が続けばいい、と。
小森桃華は願い続けていた――。