第1話:俺はそんなに器用に生きれないから
涼介が教室に入るとすぐに声をかけてくる男がいる。
手には数冊の漫画本を抱えていた。
「櫻井。これ、昨日言ってたやつ。持ってきたぞ」
「ああ。ありがとう、しばらく借りるよ」
「俺もハマった漫画だ。かなり面白いぜ」
「マジかよ。それは楽しみだ」
自分の席に座った涼介に彼は漫画を渡す。
彼は涼介の友人、長瀬敏人(ながせ としひと)。
昔から気が合うので、よくつるんでいる。
前の席に座り込むといつものように雑誌を見開いて読み始める。
「なぁ、長瀬。お前、夏休みに何するとか決めてる?」
「俺か? 俺はバイトだな、バイト」
「バイト? どこで?」
「兄貴のバイト先がファミレスなんだけどよ。人手が足りないとか言われて、無理やりさせられることになってるんだ。そういうお前は?」
「夏休みの予定は未定。まだ何も決めてないな」
「彼女とデートでも行けばいいだろう。夏は人を変えるって言うぜ。恋人同士のひと夏の体験ってのはどうよ?」
軽い口調で笑う長瀬。
彼の視線の先には楽しく友人と談笑する桃華がいる。
「俺と彼女はそういう関係じゃないから」
「またそれか」
「またそれです」
いつもの通りだと言わんばかり。
「人様の恋愛事情にとやかく言う気はないけど。櫻井、男なら決める時に決めとけよ。夏前に彼女に告白するっていう選択肢がないのか?」
「現在のところ、ないねぇ」
「おいおい。他人よりもお友達。お友達よりも恋人。そうだろう?」
「……残念ながらないな。その選択肢だけは無理だ」
涼介が真面目な声で言うと長瀬は呆れるような仕草で、
「お約束だな。まぁ、お前がそれでいいならいいけどさ。後悔するなよ」
「後悔ならとっくにし尽くしてる」
「お前はまだ本当の後悔をしてない。誰かに取られる前にって話だ」
「……」
「いい加減、ちょっとは自分の気持ちに素直になりやがれ」
長瀬は涼介の抱える事情を知っている。
だから、彼なりのアドバイスなのだろう。
涼介は無理やり笑うようにして言った。
「俺はそんなに器用に生きれないから」
「知ってる。お前は無駄に真面目なんだよ」
「傍から見れば何をやってるんだと思われるだろうけどな」
「それを分かってるなら……ん? おい、彼女がこっち向いてるぞ」
「あぁ。そういえばノート借りるんだった」
涼介は桃華に頼んでおいたノートを借りるために近づいた。
近づくと彼女は友達との会話を止める。
「はい、ノート。次からはちゃんとしてくる。約束だよ?」
「善処するよ」
「善処じゃなくて、約束してください」
「無駄な約束をして、桃華を悲しませたくないんだ」
「悲しませる前に努力する姿を見せてください」
「手厳しいな。頑張ります」
そう言うと桃華が差し出したノートを受け取った。
数学はどうも苦手で彼女に世話になりっぱなしだ。
「また桃華ちゃんに宿題借りてるの、櫻井君?」
彼女の周囲にいた女子たちが涼介を茶化すように声をかけてくる。
「ああ。お世話になってるんだ。いつも助かってるよ」
「ホント、ふたりって仲いいよね。ねー、桃華ちゃん」
「え、あ、うん。仲はいいよね?」
「そこで俺に振られても困る」
「困らないで答えてよー」
仲がいいかと問われれば、当然のように答えるだろう。
「そうだな。俺たち、仲はいいよ」
微笑しながら涼介は軽く桃華の頭を撫でた。
傷跡は見せないように、優しく長い髪に触れる。
「相変わらず、桃華の髪はさらさらとして気持ちがいいな」
「……んっ」
彼女はくすぐったそうに笑みを浮かべて、されるがままにされている。
自然と甘える仕草に友人たちは「うわぁ」と照れくさそうに、
「朝から堂々といちゃついてるし」
「櫻井君って見た目通り、優しいよね」
「カッコいいし、私も涼介さんみたいな彼氏が欲しいなぁ」
「べ、別に私と涼介君はそういう仲じゃ……」
「思いっきり甘えてるくせに。何言ってるの、この子は」
涼介と桃華のような関係は年頃の女の子たちの格好の餌食というわけだ。
彼女たちに良いように遊ばれていた。
「これで付き合ってないとか誰が信じる」
「私も甘やかされたい」
「……だ、だからね。これは、その」
しどろもどろに否定する彼女が可愛いと涼介は思いながら、
――からかわれるのは奈央さんだけで十分。逃げるか。
こっそりとその場から立ち去る。
自分の席に戻ろうとすると、
「……そういう仲じゃない、か」
誰にも聞こえないような声で苦笑した。
――分かっていても、現実として受け止めるのは辛いものだな。
他人よりも友達。
友達よりも恋人。
人の関係はより良いものになればなるほど大切になってくる。
涼介にとっての桃華は大事な存在だ。
だからこそ、彼は自分が許せないほど憎い。
過去に自分が犯した罪がひとりの少女の人生を変えるほど苦しめているから。
「俺は……どうすればいいのだろうか?」
夏の到来が迫る中で。
答えの出ないことに、悩み続けていた。