第9話:悪いのは俺だ。俺がすべて悪いんだ。
伸ばした手はわずかに届かなかった。
あの日。
悪夢のような惨劇。
涼介の目の前で倒れこむ桃華。
あの事故の日、涼介も同じ電車に乗り込んでいた。
突然の土砂崩れに巻き込まれた車両は金属の車体を押しつぶされ、変形するほどの衝撃が与えられた。
「がはっ」
涼介は扉の方に吹き飛ばされたが、打ち身の軽症ですんだ。
しかし、桃華は……。
「嘘だろ」
崩れた土砂と壊れた車体の間に挟まれていた。
気がついた時、涼介は必死になって彼女を救おうとしていた。
周りの大人たちは自分たちのことで精一杯で誰も助けてくれない。
「た、助けて……苦しいよぉ」
「小森っ! 今すぐ助けるから、しっかりしろ!」
苦しそうに声をもらす桃華に涼介は叫び続ける。
いくら土砂をどけても彼女にたどり着くのには時間がかかる。
その上、ゆっくりと助ける時間もないし、場所も悪い、最悪の状況だった。
「な、なんだ?」
さらに事態は悪化する。
軋んだ音と共に激しい振動が伝わる。
「まさか……?」
脱線した電車は土砂崩れに巻き込まれていた。
そして、時間と共に車体は崖の方へと少しずつ落ちようとしている。
「小森! 小森!」
早く脱出しないと命の危険が迫っている。
時間がない。
何とか土砂をどけて、彼女を助け出せる状態にまでもっていく。
涼介は何とか桃華の方に手を伸ばす。
「頑張れ、小森。すぐに出してやるからな」
あと少しで、彼女の手を掴んで引っ張り出せるところまで来ていたのに。
「小森! もう少しだから……うわぁ!?」
無残にも衝撃と共に電車の車両は土砂に完全に沈んでいく。
――もうダメだ。このままじゃ死んでしまう。
涼介はあまりの恐怖に身体がすくんでしまう。
思わず、手を引っ込めてしまった。
「……うっ、ぁあ……あっ!」
その一瞬、それが涼介と桃華の命運を分ける。
恐怖に心が負けた。
そのわずか数秒の思考停止。
彼は一生後悔し続けることになる。
すぐさま轟音と共に車体が傾き始めた。
「涼介君……私……もう……」
「――ッ!」
ハッと我に返った涼介は、
「小森、小森……桃華ッ!!」
桃華の名前を呼んで最後の力を振り絞り、彼女を手を握る。
勢いよくそのまま引き上げた。
彼女を抱き寄せて、斜めに歪んだドアから飛び出す。
その数十秒後、電車は崖下へ沈んでいくように土砂に飲み込まれていった。
「……」
間一髪のところで助かった人々はその光景を見て安堵する。
それと同時に“助からなかった人”の事を考えて歓喜する声はなかった。
「助かった、のか」
泥にまみれながら、生きているという実感を確認する。
奇跡の生還。
それで終わりのはず、それは涼介の考えが甘かった。
「小森、大丈夫……か?」
涼介は助けあげたはずの彼女を見て、凍りつく。
何も言葉を出せない。
桃華は額からおびただしい血を流していた。
「そんなっ! 小森! だ、大丈夫か!?」
涼介の呼び声に彼女は「うぅ」と小さく唸るだけ、意識はなさそうだった。
岩かガラスで切ったのか、額には生々しく、ひどい血が流れる傷ができている。
それは涼介が間に合わなかったせいだった。
――俺のせいだ、一瞬でも怯えなければ彼女は無事だったのに。
恐怖で体がすくみ、数秒間だけ助けるのが遅れた。
手を伸ばすことをためらってしまった。
そのせいで、無傷で救うことができたはずなのに、救えなかった。
――悪いのは俺だ。俺がすべて悪いんだ。
これは涼介の罪だ。
もう少し早く助ける事ができれば桃華は傷を負わずにすんだのに。
救急車で運ばれた桃華はしばらく意識を取り戻さなかった。
涼介の家族も、桃華の両親も彼を責める事はなかった。
命があっただけマシだ、しょうがなかったのだ、と落ち込んだ彼を励ました。
事実、あの事故で少なくない人間の命が失われた。
何とか生き残れただけでも幸いだ。
けれど、涼介は自分の失態を悔やみ続けていた。
大切で好きな少女を傷つけてしまったのだから。
事故後、目を覚まさなかったようやく桃華が意識を取り戻したのは1週間後。
幸か不幸か、彼女は事故の記憶をなくしていた。
涼介は軽症だったので、特に何もなく再び、いつもの世界に戻る事ができた。
しかし、桃華は新たな世界で生きる事をよぎなくされる。
女子の額に傷があるのは嫌でも目立つ。
いじめや孤独、顔に傷を負ったことによる心の傷もひどかった。
本来は進まなくてもいい彼女の道をずれた人生。
深い傷跡を見るたびに心が痛んだ。
涼介が桃華の人生を狂わせてしまった。
彼に出来るのはそんな彼女の傍にい続ける事だけ。
好きだという気持ちは封印して、ただ桃華のためにできる事をし続けた。
涼介には桃華を愛する資格なんてない。
それだけの罪を犯した涼介を“愛して欲しい”なんて言えなかった。
好きになって、傍にい続けて。
涼介は桃華に告白されるところまで関係を進展した。
桃華は涼介の事を好きだと言ってくれた。
何も知らない彼女を騙す事はもう出来なかった。
「全てを知ったら、桃華は俺のことなんて好きじゃなくなるよ」
「そんな事ない。私は涼介君が好き……大好きだもん」
自分がつき続けた嘘、明かすときは怖かった。
助けられなかった事を責められるかもしれない。
けれど、彼女はそれを責める事はなかった。
何も言い返すことができない。
何を言っても今の涼介には言い訳でしかないから。
涼介は彼女の望む言葉を言ってやれなかった。
彼を見つめる桃華の顔は失望に溢れた表情だった。
そんな顔をさせてしまった。
裏切ってしまった。
大切な彼女を……彼は再び傷つけたのだった。