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箱庭のヴィーナス  作者: 南条仁
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プロローグ:手を伸ばしても届かなかった


 櫻井涼介(さくらい りょうすけ)には思い出したくない悪夢がある。

 月に数回はその夢にうなされる。

 夢というのは人の中で記憶を整理している行動だと言われている。

 例えば、夢は自分の知らない知識などは反映されない。

 自分がこれまで経験した記憶などをもとに夢を作り出す。

 涼介のよく見る悪夢もそれと同じなのだろう。

 それは自身が経験した過去の出来事、繰り返されるあの悲劇。

 まるで涼介に忘れるなというように。


「もっと苦しめ、と言ってるのかも知れないな」


 悪夢から目が覚めた涼介は寝覚めが悪かった。


「いつもながら、最悪の気分だぜ」


 涼介は洗面所で顔を洗ってから、リビングへと向かう。

 そこには既に朝食だけが用意されている。

 まだ焼いてない食パンとサラダとスクランブルエッグ。

 共働きしている両親がいつも作ってくれている朝ご飯。

 彼はパンをトースターに入れて焼いている間にテレビをつけた。

 朝の情報番組をかけると、この街の見たことのある景色が映し出されていた。

 

『もうすぐ、あの悲惨な電車脱線事故から3年が経ちます。今年も多くの遺族が……』


 街はずれの山沿いの線路。

 そこで数年前に起きた電車事故の話だ。

 不幸にも崖崩れに巻き込まれて電車が脱線した。

 犠牲者も多く、この町の人間ならばこの時期に思い出さざるを得ない。


「……」


 複雑な心境になる涼介は小さく嘆息してからチャンネルを変える。


『7月3日。今日の天気は晴れのち曇り。朝は晴れますが夕方には雨が降るところもあるでしょう。次のニュースです……』

「今日は雨か。帰るまでに、もってくれたらいいんだけどな」


 そこでテレビの電源を切って時計を見上げると、ちょうどいい時間だ。

 片づけを終えてから彼は家を出た。

 学校への通学途中、涼介はこいでいた自転車を一旦止める。

 T字路になっている道でちょうど左側の道からひとりの女の子がやってきた。

 ストレートの黒く長い髪に似合う清楚な印象を持つ少女。 

 彼女は涼介にとっても唯一の安心できる存在だった。


「桃華、おはよう」

「あっ。おはよう、涼介君」


 彼女の名前は小森桃華(こもり とうか)。

 涼介と同じ高校の同級生。

 小学生の時から同級生ではあるが、仲良くなり始めたのは中学時代だ。


「なぁ、桃華。今日の2時間目の数学の宿題やってきた?」

「うん。やっているけど?」

「だったら写させてくれないか。今日はやってきてないんだ」

「今日も、でしょ」


 むぅっと彼女はたしなめるように、


「自分でやらなきゃ意味ないよ。涼介君いつも数学の宿題はしてこないじゃない」


 小さく頬を膨らませてそういう彼女が可愛くて、


「頼りになる友達がいるからな」

「私を頼りにしないで。ちゃんと自分でやならくちゃ期末テストが危ないよ?」

「違いない」


 そう笑って誤魔化す。


「ホント、しょうがないなぁ」

「どうも、いつもお世話になっています」


 最終的には力を貸してくれる。

 そんな桃華にはひとつだけ外見的に目立つことがあった。

 容姿はアイドル並みに可愛い。

 しかし、その顔、正確にはその額には大きな傷跡があるのだ。

 ちょうど右の眉の上あたりに5センチ程の切り傷の痕が残っている。


――前髪で隠して、見えなくしてるけどさ。


 それは彼女にとっての心の傷にも繋がる、とても痛々しい傷跡だった。

 顔に傷跡があるということは女の子としては致命傷とも言えるだろう。

 数年前に負った深い傷で、今でも長い前髪で隠すようにしていた。

 それさえなければ、彼女の評価は今と違うだろう。


――間違いなく学校でも人気の女子なはずなのに。


 目元まで伸ばした前髪のせいで、印象が暗く思われがちなのだ。

 それがとても惜しいと常々感じている。


「……」

「どうしたの? 私の顔をじっと見つめて? 何か変?」

「いや、相変わらずの美少女っぷりで見惚れてた」

「え? あ、ありがと?」

 

 素直に褒められると彼女も照れくさくなる。

 言った方も恥ずかしかったが。


「おはよっ、桃華、涼介」

「奈央さん。おはようございます」


 セミロングの茶髪をした元気な少女。

 江西奈央(えにし なお)。

 奈央は高校3年生で涼介達よりひとつ上。

 家が近所だったので、子供の頃から世話になってるお姉さんである。

 幼馴染である奈央はわざとらしく、


「まったく、見せつけてくれるじゃない」

「何が?」

「今の見てたわよ。キミに見惚れてた、なんて街中で堂々と口説く幼馴染の姿を」

「そんなじゃないし」

「そ、そうですよ。別に口説かれたわけじゃ」


 いつものことだ、と涼介は特に相手にすることもなく、


「桃華、ここで下手に照れくさくなることなんてないから。このお姉さんは俺たちを弄んで、からかいだけなのさ。気にしたら負けだ」

「よく分かってる。私の入りにくい空気を作ってくれてたから壊したくなって」

「普通にひどい人だぁ」

「だったら、私を仲間外れにしないで」

「はいはい」


 横暴な幼馴染にため息をつく、涼介である。


「あら、涼介、どうしたの? 怪我してるじゃない」

「どこ?」

「ほら、右側の頬。切り傷ついてるわよ。鏡をみてみなさい」

「嘘? あ、本当だ……」


 奈央に手鏡を借りて見ると、頬に薄っすらと血が滲んでいる。

 頬に何かで切ったような一筋の傷跡。


「家を出るときにはこんな傷なかったんだけどな」

「あれじゃん、桃華と痴話げんかしたとか。ひっかき傷か」

「してません」

「まさか……無理やり襲おうとして返り討ちに?」

「違うわっ。誤解を招く発言をしないでください」


 どこかでうっかりと擦ったのだろう。

 こういう傷は地味に目立つ。

 桃華も心配そうに顔をのぞき込む。


「大丈夫、痛くない?」

「一応、絆創膏があるから貼ってあげようか?」

「別にただのかすり傷だし、問題ないよ。それよりも早くいかないと」

「わかった。それじゃ、今日もよろしく」


 自然と涼介の自転車の後ろに座る。

 奈央はいつもこうして彼の後ろにつかまって二人乗りで登校する。

 理由は単純、彼女はいまだに自転車に乗れない。

 小学生時代から自転車に乗れないまま今に至る、可哀想な子なのである。

 ただ、本人を哀れむとひどい目に合うのでとても口にはできない。


「奈央さん。重いっす」

「あん?」

「う、嘘だから、背中から首を絞めようとするのはやめて」

「出発しなさい、今日も飛ばして。車よりも早く!」

「無茶言わないで。二人乗りはキツイから安全運転で行きます」

「つまんないの~。でも、実際されても困るけどね」


 そんな涼介達のやりとりをクスクスと横で笑う桃華。

 何も変わらない、それでも唯一安心できるひと時。

 桃華と一緒にいられるだけでなく、自然な自分でいられるから。


「そういえば、この前、駅前の通りに新しいカフェができたんだってさ」

「私も聞いた。人気パティシエのお店らしいよ」

「行ってみたいな。ねぇ、涼介君。今度のお休みにでも、一緒に行かない?」

「もちろん。桃華ならそう言うと思ってた」

「えへへ」


 にっこりと微笑む桃華に涼介も釣られて笑顔を見せる。

 涼介と桃華の関係は傍目に見て良好だと思う。


「……ホント、私が入り込めない雰囲気だわ」


 その様子を背後から見つめる幼馴染はそう小さく呟く。

 まさにふたりだけの世界。

 涼介と桃華はお互いにお互いを必要としあっている。

 むしろ、依存しあう関係だと言ってもいい。

 だが、そんな涼介には彼女には言えない秘密を抱えていた。


――あと少しで手が届きそうな距離なのに、その一歩が進めない。


 涼介は桃華のことを愛していた。

 誰よりも彼女のことを傍で見つめ続けていた。

 だけど。

 それ以上は進展できないのも知っている。


――例え、結ばれることはなくても、傍にい続けたいんだ。


 彼自身、恋愛関係に進展することを否定している。

 消えない傷跡。

 隠し続けている秘密。


――手を伸ばしても届かなかった。これが俺の罰だ。


 これは、小さな箱庭に閉じ込められた彼らの恋物語――。

 

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