契約編―鬼と契約しよう7
鬼の里は知る者ぞ知る里なのだが、その知る者たちからはめっぽう頼りにされる。よく、妖魔討伐の依頼が来るのだ。リーゼンの東森の妖魔も、そんな外からの依頼の一つだった。
「よく頑張ったわね、すぐ手当てするから」
ルーシアは、倒れこむ魔術師にそう声をかけて治癒の術を施す。激し戦いの中、魔力を使い果たした術師は、己にすら治癒の術をかけることができずにいた。それはすなわち相棒の鬼も大けがを負っているということなのだが、鬼は首を切り落とさないと死なないので治癒は後回しだ。
ちらりとあたりを見渡せば、討伐隊に参加した数はだいぶ減っているように感じた。
(浅葱がいかなかったのが失敗だったわね)
浅葱なしでもやれると言い張る若い衆に任せたのだ。それが間違いだった。
長の屋敷のある崖から下を見下ろすと、バタバタと鬼たちが森に駆けていくところだった。その指揮を浅葱がとっている。
「どうにかしないとね」
ルーシアは力強くそう口にするのだった。
※
風が、いつもと違う匂いを連れてくる。それに十六夜は、向かいの崖に広がる森から目を離せなくなっていた。
向かいの崖は、十六夜がいる崖よりは低く、その様子がよく見える。うっそうと茂る森に、何かがいると風が十六夜に教えるのだ。
そろりと自分の胸に手を伸ばす。どくりどくりと心臓が大きく脈打つ。体からじんわりと熱が生まれるような感覚には覚えがない。
自分の左手にある洞窟への出入り口からはたくさんの鬼が出ていった。その多くの鬼は森へと出向き、残りは街に立っている。そろそろ日が暮れるとは言っても、人通りはなさ過ぎた。
(リリアは大丈夫かな)
何か、悪いことが起きなければいい。そう思うけれど、そんなことを思う時点でもうその悪い何かは始まっているのではないかと不安に駆られる。
(怖い)
「リリア―」
ぽつりと大切な少女名を呼ぶ。
(リリアと一緒に行けたら良いなんて、思ったからかな)
視線が落ちる。
(黒い鬼じゃなかったら、リリアと一緒に行けたのかなって、思ったのがいけなかったのかな)
ぎゅっと膝を抱え込む。自分は禍を呼ぶ黒い鬼。この、良くない風も自分が呼んでしまったのかもしれない。十六夜は、逃げるように瞼を固く閉じた。
※
ぎいっと宿の窓をリリアは開いた。宿をとるときは、基本最上階の部屋をとる。今回も例外ではなかった。
外を見れば、松明が行きかっている。鬼には夜の明かりは必要ないから、主である魔術師たちのための明かりだろう。
風が吹く。運ばれてくる妖気は確かに濃くなってきていた。
(これは来るな)
お手並み拝見といこう。リリアは薄く笑むのだった。
※
浅葱はピリピリしていた。ルーシアと長のもとへ行き話を聞くと、すぐに新たに討伐隊を組んだ。
斥候を数組、どこから妖魔が来るかはわからないため足止め部隊も数組用意した。足止め部隊がぶつかれば斥候からその情報が届く。そこに全戦力をぶつける算段だった。
劉輝は斥候部隊として森に入っていった。人の足は鬼には劣るため、アスラン含めた主たちは里に残っている。
夜は更ける。いつになっても知らせは来ない。これだけの妖気が運ばれてきているというのに、なぜどこの部隊も妖魔と衝突しないのか。
「イライラしないの。みんな怖がってるじゃない」
温かい紅茶が入ったマグカップをルーシアが浅葱のほほに当てる。それに浅葱は顔をしかめた。
「ほら、怖い顔しないの。とりあえずこれ飲んで、力抜いたほうがいいわよ」
あなた、力入れたって抜いてたって強さ変わらないでしょう?と元も子もないことを言われ、浅葱はあきらめてマグカップを受け取った。
(敵わないな)
だから自分は、彼女を主に選んだのだけれど。劉輝がいたらからかわれていたと、ため息を吐く。温かい紅茶を飲むと、体から力が抜けるのが分かった。
ちらと横を伺えば、ルーシアはおいしそうに紅茶を飲んでいた。その細い手首に光るのは金属質の浅葱色の腕輪だった。それは浅葱が彼女の鬼であること、彼女が浅葱の主であることを意味する。
「美味しいでしょう」
浅葱の視線に気づいたルーシアは笑った。
「ああ」
つられて少し笑う。落ち着いてくると、苛立っていたことが馬鹿らしくなってくる。大将が苛立っても何も良いことなどない。自分の怒りで特に若手の鬼を委縮させないよう、浅葱は己の闘気を収縮させた。それにルーシアは満足そうにうなずく。
妖魔の強さは正直分からない。重傷者が多く、説明ができなかったのだ。ならば取るのは多勢に無勢。脳内シミュレーションを何度か繰り返し、マグカップが空になったころ、劉輝の声が沈黙を切り裂いた。
「浅葱!」
ばっと崖の上を仰ぐと、劉輝が飛び降りてくるところだった。
「先行部隊Aが目標と衝突!霞と潮目が各部隊に通達に行った!でも間に合わないかも!それくらいでかくて強い!」
劉輝がそう報告し終えた時、どぉんと鈍い音が地面を揺らした。
「始まった」
浅葱が低くつぶやく。戦闘種族である鬼の本能に任せて敵を蹂躙したくなるが、その熱に耐え指揮を下す。
「全員、直進だ!里に入れるな!」
浅葱の叫び声一つで里の本隊が飛び出していく。崖を駆け上り、森へ姿を消していく。浅葱も様子を見るため地を蹴った。ひょいひょいと崖を登っていく。
鬼たちはすでに森の奥へと入り込んでおり、その姿は見えない。どこから全体を見渡そうかと思っていると、ずどんとまた音が響いた。
(近づいてきてるな)
本隊がまだ到達していないのかもしれなかった。とりあえず、木の上に跳躍で移動する。ひと際高い木を見つけるとそれに場所を変えた。
暗闇を人は見通せない。しかし、鬼の目になら可能だ。浅葱は目を細めた。遠くで土煙が上がっている。
「あそこか」
空に何人か吹き飛ばされているが、暗闇に光る戦闘色である瞳の赤は消えていない。まだやれるようだと浅葱は判断する。
―鬼の目は、元の色が何であろうと、戦いに興奮すると等しく赤色に光る。
木々の間にも時折赤い光が揺らめいているから、戦意が失われているわけではないようだと判断する。
「浅葱!」
見れば、ルーシアが浮遊魔法を使って崖の上に登ってきていた。
「私たちはどうすればいい?森には入らないほうが良さそう?」
浅葱はもう一度戦場になっているだろう場所を見る。ドゴンドゴンと音がする。地鳴りのようなその音に、相手は相当大きいと浅葱は判断した。
「人間には危険だ。里で待機しろ」
「分かった」
ルーシアは浅葱の指揮を伝えに、下りて行った。浅葱はルーシアが無事に着地したところを見届けると、自分は森の奥へと進んでいった。