契約編―鬼と契約しよう6
「鬼に名前を与える半魔ですか」
「すごい力の持ち主なのね、あの子」
アスランは考え込み、ルーシアは感心する。浅葱は昨夜のことを報告していた。少女の名がリリアであること、半人半魔であること、黒い鬼が十六夜という名をもらっていること。
「鉄斎は、なぜこのタイミングで彼を逃がそうと思ったのでしょう」
「リリアが現れたからでしょう?」
ルーシアが愚問だとアスランが入れてくれたお茶を口に運ぶ。
「もし、十六夜を欲したのがリリアじゃなかったら、鉄斎は今のような対応をしたのでしょうか」
「リリアは、俺たちが思ってるより特別だということか?」
「そういうことです」
浅葱の確認に、アスランは頷いた。
「鬼神が実在することに注意をひかれていて忘れていましたが、なぜ鉄斎は今十六夜を逃がしたいと思ったのかを聞いていません」
「でも、今更話を聞きに行けないわよね」
鉄斎は一人ではなく、もう一人の鬼と一緒に門番をしている。鉄斎に接触すれば、もう片方の鬼にバレてしまう。
「利用されている気がするな」
「俺ら、何もしてないじゃん」
むすっとする浅葱に劉輝が突っ込みを入れる。言われればそうだと、浅葱は渋面を作る。昨夜も、長の許可なしに契約を結ぶのは掟破りだと言ったわけだし。
「長い間身についた習慣は抜けないな」
「仕方ありません。この里はすべて長が取り仕切っていますから」
鉄斎の言葉より、長の意向を取ってしまったことにこれでよかったのかとこぼす浅葱を、アスランがフォローする。
「その長の意向に反したいって言うからには、相当だよね、鉄斎」
「彼の言葉を信じるならば、今の鬼神の力は弱まっているということです」
「新しい王様は必要ってことね」
劉輝の言葉にアスランが、アスランの言葉にルーシアが反応する。
「このままいけば、鬼と人間は戦争でも始めちゃうのかしら」
「言い分を聞くとそうですね」
「それは嫌ね」
ルーシアは悲し気に眉をハの字にする。
「そもそも、ここから自由になって、鬼神になることがあいつの幸せなのか?」
「自由にはなったほうがいいんじゃない?」
浅葱の疑問に劉輝が答える。うぬぬと浅葱はうなる。そうだが、そうなのだが。結局は自分たちのために十六夜を利用するということではないのか。それは今の状態と変わらないのではないかと浅葱は思っているのだが、それをうまく言葉にできない。
それを理解したかのようにルーシアは笑う。
「浅葱は優しいんだから」
「どこからそうなった」
「ええ?今の言葉からよ」
くすくすとルーシアは軽やかに笑った。
(優しいのはお前だ)
それは口にしなかったけれど。
「今、リリアを見張っているのは誰ですか?」
「確か、紫吹だ」
アスランの問いに、浅葱が記憶を引っ張り出して答える。アスランはふむ、と考え込む。
「彼の手には余るかもしれませんね」
確か紫吹はまだ契約者がいない。一度も人間と契約をしたことのない若者だった。
「リリアが十六夜に接触するのは夜だ」
「それは長に報告したの?」
「……してない」
劉輝の言葉に、浅葱は渋面を作る。
「昼間は追っ手をかいくぐる必要性はないということですね」
アスランが浅葱の言葉をそう解釈する。ならいいでしょう、とティーカップに手を伸ばす。結局浅葱はどっちつかずだった。長の命令にも従えてないし、鉄斎のお願いも聞けてはいない。それにもやもやする。
「でも、十六夜って素敵な名前ね」
「本人に言ってやれ」
「―言いに行こうかしら」
「は?」
ルーシアの言葉に、浅葱は絶句する。
(この女、今何と言った)
「ねえ、見張り、私と交代させてよ」
浅葱、できるでしょう?と上目づかいでねだられる。
―大体この女は図太いのだ。見た目は可憐な女性の形をしているが、買い物の荷物は持たされるし、いらないといっても料理を何やら食わされるし、極めつけには要らないというのに毎年手編みのセーターを渡される。鬼は人間のように寒暖の差は感じないと言っても聞かないのだ。
それでも自分よりたくさんの感情と言葉を知っているし、その機転の良さに助けられたことも何度だってある。だから、自分は彼女を主に選んだ。何十年も主を決めなかった浅葱が、年端も行かぬ少女を主に選んだときは里中大騒ぎだった。その時のことも思いだし、浅葱の顔は苦々しくゆがむ。
「良いでしょう?」
ね?と愛らしく笑む。そうだ、自分は結局この女には勝てないのだ。浅葱は折れて肩を落とした。
※
「こんにちは。私、ルーシアっていうの。よろしくね、十六夜」
浅葱が権力乱用で、十六夜の見張りについていた鬼を追い払う。ルーシアはにこにこと笑いながら、十六夜の隣に座った。
(距離感近いだろう)
警戒されはしないかと浅葱は心配する。思った通り、十六夜はだんまりを決めこむ。
「―ねえ、リリアってどんな子なの?」
空気が揺れる。リリアの話題に戸惑っているようだった。十六夜はぽつりと言った。
「リリアは、優しい」
「そうなの」
小さくて、かわいいわよね。とルーシアは笑った。
「初めて会ったとき、あなたが欲しいと長に言いに行くと言っていたわ」
「……だめって言って」
「どうして?」
十六夜はぎゅっと膝を抱き寄せた。
「リリアに、悪いことが起こるから」
「うーん、それなんだけど」
ルーシアは青い空を見上げながら、体を前後に揺らした。
「調べたんだけど、あなた、別に悪いこと呼ばなさそうよ?」
「……うそだ」
「そう思っちゃう?」
そうよね、それが普通よね。とルーシアは笑った。
「ごめんなさいね、ずっとあなたのこと、こんなところで一人にして」
「うるさい!」
十六夜は叫んだ。ぎゅっとルーシアは目を閉じた。そしてゆっくりと開く。緑色の目で、まっすぐに十六夜を見る。十六夜はうつむいていた。
「俺は、行かない……リリアとは、行かない…」
声が、震えている気がした。
(もしかして、泣いているのかしら)
肩に、手を伸ばそうとしたとき―
「浅葱!ルーシア!!」
劉輝の声が鋭く二人の名を呼んだ。ルーシアはさっと手を引いて劉輝のほうに向きなおる。
「何?」
ルーシアは立ち上がる。
「リーゼンの東森から討伐体が返ってきた!作戦失敗!けが人多数!妖魔を引き込む可能性ありで緊急網を敷くって!!」
「なんだと!」
「浅葱は指揮取って!ルーシアはけが人の治療をお願い!」
「分かったわ!」
ルーシアは一度座り込む十六夜を見たが、すぐに踵を返して長のもとに向かった。
※
「騒がしいな」
リリアは出店で買った飴をなめながらぼやいた。
(案外十六夜は頑固だな)
「優しさは美徳だがなー」
リリアに悪いことが来るからと言っていた。そんなことはないと、リリアは知っている。
「自己犠牲は感心せんな」
どうすれば十六夜は自分とくるだろうかと思案する。時間はあると言ったが、早いに越したことはない。
その時、ふと見知った気配がした。ちらと視線をやれば、浅葱がルーシアを肩に担いで走り去っていくところだった。
「浅葱、急いで!」
「分かってる!」
そんな喧嘩が聞こえてくる。
(何かあったな)
浅葱が強い鬼だということは簡単に知れたし、ルーシアも優秀な術師だと浅葱の態度からわかる。その二人があれだけ急いでいるのだ、長あたりにでも呼ばれたのかもしれないとあたりを付ける。
風が吹いた。わずかに妖気を乗せてくる。その風には、血の匂いも混ざっていた。
なんとなく、何が起こったのか理解して、リリアは薄く笑んだ。
「利用できるものは、利用しなくてはな」
それと同時に、里の鬼が建物の中に入るよう促し始めたのだった。