契約編―鬼と契約しよう4
今日も今日とて、ルーシアと浅葱は図書館へと繰り出すために、街道を歩いていた。多くの人間、鬼とすれ違う。
この鬼の里は隠れ里で、あらゆる地図に載っているわけではない。どこにあるのか、知る人ぞ知る里なのだ。
(それにしちゃー人通りは多い気がするけどな)
ここでは、強靭な体を持つ鬼が生まれることが多い。優秀な魔術師もだ。だから、主を求める鬼や、鬼を求める魔術師が集まってくる。
(この里も、場所が場所なら伝説かもな)
そんなことを考えていると、ふわりと慣れ親しんだような、けれど違和感のある香りがした。浅葱は振り返る。
(誰もいない?いや―)
視線を落とせば小さな姿がある。浅葱とすれ違ったばかりの少女は、黒い袖のない上着をまとい、黒いスカートを身に着け、タイツも靴も、極めつけにはその短い髪も黒い少女だった。
「―鬼神」
黒をまとう者は、鬼だけではなく人間にも珍しい。そして、昨日の今日で黒と鬼神が結びつきやすくなっていた。浅葱のつぶやきに、少女は足を止めて振り返った。
黒水晶の瞳が浅葱を見た。とたん、動けなくなる。圧倒的な何かが襲ってくる。少女は笑った。
「この血に反応する者がまだいたか」
「浅葱~何止まってるの?」
後ろにいるはずの浅葱がついてきていないと、ルーシアが戻ってくる。
「この里の者か」
少女は、10前後に見えるにしては堅苦しい話し方をする。ルーシアは何度か瞬きをした後、笑顔でうなずいた。
「ええ。そうよ」
「この里の鬼と契約したい場合はどうすればいい」
「この里の鬼はうちで管理されているから、長にかけあわないといけないわ」
「そうか、やはり管理されているか」
ふむ、と少女は考え込む。
(こいつの匂い、知っている)
どこでだ?いつ?浅葱は必死に頭を回す。全身黒い少女。その白い肌以外、すべての色が黒い少女。それは、別の誰かを思い起こさせる。
「あいつの匂いだ」
「ん?」
浅葱のつぶやきに、少女は視線だけ持ち上げた。上目遣いになるが、かわいいなどとは思わない。愛らしい顔はしているが、その目の色がどうも外見年齢と釣り合わない。
「崖の上の、黒い鬼だ」
「ああ」
合点がいったと、少女は鋭い笑みを見せた。その笑みに、浅葱は背筋が凍る。同時に血が騒ぐ。心臓が早鐘を打つ。
(なんだ?)
口が乾いて不快だった。
「私はあの黒い鬼を譲り受けたい」
「「!!!」」
ルーシアと浅葱は顔を見合わせた。そして思案する。もし、あの黒い鬼に変化を与えた外部の存在があるのだとしたら。それがこの少女なのだとしたら。それは今の状況ではまずい気がした。
「えーと、あの子は特別だから、許しはもらえないと思うわ」
「知っている。本人も禍を呼ぶと言っていた」
「そうなの?」
ルーシアは困惑する。しかし、浅葱は問題はそこではないと割り込む。
「お前、あいつと話したのか」
「ああ、契約したいからな」
(いつの間に)
あの崖に、そうそう人間はやってこない。だから、この少女があの鬼と会っていたのなら、鬼たちはその話題で持ちきりになるはずだった。
「念のため、話は通しておきたい。どこに長はいるんだ?」
「えーと、あの坂道を登ったところにいるわ。守衛がいるから、鬼をもらいに来たと言えば通してくれるはずよ」
「分かった。世話になったな」
少女は上着を翻して歩き始める。
「ま!」
待て―。そう伸ばしそうになる浅葱の手を、ルーシアが掴む。
「予定変更。アスランのところに行きましょう」
そのささやき声が、まさか少女に届いているとは思ってもいない二人だった。
※
「彼に接触していた少女がいたと」
アスランは器用に片眉を持ち上げた。ルーシアはうなずいた。
「そして、契約したいと言っていたわ」
「そうですか」
「禍を呼ぶことも知っているんですって」
「それでも欲しいと」
アスランは考えるように視線を落とした。
「そいつは長のところに行ったんでしょう?」
劉輝が窓際の椅子に腰かけながら会話に入ってくる。
「そうよ」
「じゃあ、上層部も把握したってことでさ、触らいないほうがいいんじゃない?」
「でも動き出しちゃったもの。あの子が何で禍を呼ぶなんて言われているのか。それくらい知りたいわ」
「嫌な予感がする」
浅葱は腕をこすった。寒気がする。同時に血が体中を駆けめぐる。この感覚は戦闘の時のものによく似ていた。血がたぎる感覚。会敵した時の興奮。
「浅葱がそう言うなら、悪いことが起きようとしているのでしょう」
もしかしたらもう起きてるかもしれませんね。とアスランは優雅にお茶を飲んだ。
「うーん。でも、悪いことって何なのさ」
劉輝はこの話題は好かないようだった。少々唇を尖らせている。
「それは分かりませんよ」
アスランは笑顔で答えた。ちぇーと劉輝はつまらなさそうに外を見るのだった。
コンコン。
扉がノックされる。一同は息を飲んだ。黒い鬼について探っていると上にばれたのだろうか。
コンコン。
アスランはさっと視線を走らせる。三人は静かにうなずいた。アスランは返事をすると扉を開けた。現れたのは、長と契約する鬼だった。長のいる屋敷の門番も兼ねている。全員に緊張が走る。
「先ほど、黒い娘が長を訪ねた」
あの少女だとルーシアと浅葱は目くばせをする。
「娘は黒い鬼を望んだが、長は当然断った。長は娘と、崖の上の黒い鬼を見張るよう里の鬼たちに指示を出したところ。その言伝に参った次第」
「―分かった。崖の鬼たちにも伝えて見張らせよう」
「助かる」
にっこりと鬼は笑った。しかし、伝言はすんだのに、なかなか鬼は出ていこうとしない。それに四人は冷や汗をこぼす。
―浅葱はこの里の鬼をまとめる指揮権は持っているが、この鬼の力は計り知れなかった。充分古参に入る浅葱だが、それよりも昔からこの里にいて歴代の長に仕えていると聞いている。今は穏やかに笑んでいるが、里の掟を守らない者には容赦がない。
「―何か、他に用でもあるのか」
浅葱が問いかける。長の鬼は、ええと穏やかにうなずいた。
「某には思っていることがある」
「なんだ?」
浅葱は促す。ここで鬼は、少し困ったような顔をした。しかし、意を決したように言った。
「某はあの黒い鬼と娘を契約させたい」
部屋中に緊張が走る。
(こいつは何と言った?)
頭が追い付かない。長は娘の願いを却下した。しかし、この鬼は娘の願いを叶えたいという。
「長の指示に逆らうのか」
あんなに掟にうるさい鬼の口から出た言葉とは思えなかった。浅葱の言葉に、鬼は悲しそうにうなずいた。
「彼には悪いことをした。既知が殺されたくはないがために、人間の過ちを正せなかった」
「既知って、もしかして、鬼神、とか?」
ルーシアが恐る恐る口を開く。鬼は目を丸くした。
「ご存じだったか」
「本当にいるの?!」
だんまりを決め込むつもりだった劉輝はつい声を上げてしまう。その言葉に、鬼は苦笑した。
「彼が王位についている期間は長すぎた。力が弱まり、徐々に忘れ去られていったのだろう」
「ちなみに、どのくらい在位しているのかしら」
ルーシアは興味ありげに尋ねた。そうですね、と鬼は考え込む。
「軽く500年はいくでしょうか」
「そんなに!!」
劉輝が悲鳴を上げる。不老不死と言われる鬼だが、その多くはだいたい戦闘の中で命を落としていく。500年など桁違いだ。
「つまり、次の鬼神になるのが彼だというわけですね」
自分の読みがあっていたらしいと、アスランは確認するようにそう言った。鬼は頷く。
「左様。しかし、今の鬼神は歴史に残る統治をした。これほど長い間鬼と人の争いが起きなかったことはない」
「だから、いつの間にか今の鬼神を殺すことが御法度になったと」
「それでつながれてるってこと!!」
なにそれとばっちり!と劉輝は叫ぶ。
「彼を自由にしたいのだが、いかんせん私ではあの首輪は壊せない」
「お前に無理なら、ここの誰にも壊せないだろう」
浅葱の申し出に、鬼は首を横に振った。
「一人だけいるのですよ」
「あいつ自身か」
「ええ」
浅葱は考える。あの少女は何と言っていたか。知っていると言っていた。禍を呼ぶとあの鬼自身から聞いたと言っていた。
「あいつ、契約の申し出、断ったんじゃないか?」
その推測に、鬼は目を丸くした。
「何故」
「禍を呼ぶからじゃないのか?」
「なるほど―」
人間の言い分が、彼自身にしみついてしまったらしいと鬼は了解する。
「ひとまず、見張るついでに探ってみて欲しい」
「なぜ俺にそんなことを頼む」
「貴殿の実力を認めているからだ」
にっこりと鬼は笑った。そこまで言うと、話は終わったとでもいうように背を向ける。しかし、思い出したように振り返った。
「そういえば、まだ名乗っていなかった。某は鉄斎と申す者」
以後、お見知りおきを。そう言うと、唖然とする四人を置いて出て行ったのだった。