契約編―鬼と契約しよう3
浅葱はふと視線を右にやった。主のルーシアに呼ばれていたから、出かけるところだ。洞窟の一つしかない入口から出た時に、何やら気配を感じたのだった。
そこいるのはいつも通り、みすぼらしい格好をしたあの黒い鬼だ。そう、それはいつも通り。変わらないはずの日常。なのに―
(雰囲気が違う?)
気づけば足が向いていた。サクサクと歩き近寄っていると、黒い鬼は浅葱に気づいた。首を回し浅葱に顔を向ける。足が、止まった。思考も止まり、二人は膠着する。
「…―何?」
その声は存外はっきりと聞こえた。見てくれと違わず、声も青年のものだった。
「いや、別に―」
浅葱は踵を返しそうになる。しかし、耐える。
「―いや、何かあったか?」
「…何かって、何?」
それは警戒と拒絶だった。わが身を守るように、膝を抱えて小さくなっている。浅葱はこれ以上は何も答えないだろうと判断して、何も答えず今度こそ黒い鬼に背を向けた。
いくばくか距離が開くと、後ろで空気が緩むのも感じる。ほっと吐き出された息の音も聞こえた
(―何か、隠しているのか?)
そもそも己はなぜあの鬼に話しかけたのか、浅葱は全く分からなかった。しかし、時間に遅れてはルーシアにどやされると、振り払うように首を横に振るだけだった。
※
「なに怖い顔してるのよ」
そう浅葱に声をかけるのは、彼の主であるルーシアだ。揺れる金髪を首元で束ねた20歳を超えたくらいの女性だ。緑の瞳が美しい。その瞳は、何やら果物を値踏みするようににらみつけている。
(こいつ、どうやって俺の顔を見てるんだ?)
そんなことを思いながら、浅葱は黙っていることでもないかと今朝の顛末を話す。
「あなた、本当にあの黒い鬼が好きよね!」
「好きじゃない!」
がおと浅葱は吠える。2mを超す大男に、店の店員や客が震える。しかし、ルーシアは全く気にした様子もなく笑った。
「あなたくらいじゃない、あの子のこと気にしてるの」
でも、そうねー。とルーシアは人差し指を顎に当てて思案を始める。
「あなたが惹かれたくらいだから、何か変化はあったんでしょうね」
浅葱はこの里の鬼たちの中でもリーダー格に値する。それだけ生き、実力のある鬼が動かされたのだ、何かある。
「そもそもあいつは何でつながれてるんだ?」
「悪いことが起きるからでしょう?」
「本当にそうか?別の理由はないのか?」
「表向きの理由で本当の理由があるってこと?」
「そうだ」
ルーシアは買い物に戻りながら浅葱と会話をする。その「ながら会話」に浅葱は少々いら立っているのだが、怒ったところで聞かないのがルーシアなのでそこは自分が我慢する。
ルーシアは今日の夕飯にでも使うのだろうか、ハーブの一種をじっと見ながら言った。
「調べてもいいけど、どうやって調べましょうか」
「調べるって。上に知れたら面倒そうなことを」
「でも、気になるんでしょう?」
「………。」
無言は肯定。ルーシアはどれを買うか決めたらしい。買い物かごに入れると子どものように笑って浅葱の方に振り替える。
「ね、調べてみましょうよ」
「…どうやって?」
「まずは里の図書館じゃないかしら」
古文書とかないかしらね、とルーシアは瞳をきらめかせる。もちろん、店主のところでお金を払うのも忘れない。目当てのものを購入すると、当然のように浅葱に差し出し、浅葱も当然のように受け取る。荷物持ちは浅葱の仕事だった。
面白い遊びを見つけたとでもいうように、ルーシアはスキップで街道を進む。といっても、この里の道は舗装されているわけでもない。ここ数日は天気が良すぎて、少し埃っぽい。
(言わないほうが良かったか?)
ルーシアの上機嫌さに、少々浅葱は後悔した。が、それは後の祭りというやつだ。
そもそも彼女は聡明だ。明るく朗らかで、気遣いも忘れない。その気遣いがちょっと浅葱に回されないだけで。
(まあ、どうにかなるだろう)
悪いことにはなりはしないだろう。そう判断して、痩身の女性の後ろに続くのだった。
※
「怪しいのはここらへんよね~」
図書館で、里の歴史についてのコーナーをルーシアは浅葱を連れて歩いていた。
(こんな堂々と置いてあるのか?)
浅葱はそんなことを思わないでもない。そんな浅葱の視線の先で、ルーシアはご機嫌だ。
めぼしい本を何冊か本棚から抜き取ると、閲覧席に持っていく。それを二人で手分けしてぺらぺらとめくった。が、そう簡単には見つからない。本棚と閲覧席を10往復はしたかと思われたとき、ルーシアが浅葱の背をたたいた。
「ここ」
示された箇所を浅葱は見る。
『黒は鬼神の色。黒をまとう鬼だけが、鬼神を殺すことができる―』
「鬼神って」
「あなたたちの王様でしょう?」
「本当にいるなんて聞いてないぞ?」
「鬼なのに?」
こそこそと二人は話し合う。
「禍って、鬼神が死ぬことか?」
「これ見るとそうよね」
「鬼神なんているのか?」
「知らないわよ」
「相変わらず仲いいね~」
少し高い、少年のような声が割り込んでくる。ばっと後ろを振り向けば、黄色の髪と明るい茶色の目をした少年が立っていた。名を劉輝という鬼だ。簡単に説明すれば浅葱の同僚に当たる。劉輝は浅葱と同じくらい古参の鬼だが、外見年齢は10代の少年だ。
「浅葱、図書館似合わないね~」
「お前もだろうが」
「俺はお使い」
ひょいと本を一冊持ち上げて見せる。
「アスランか」
「そう」
劉輝の主の名を口にすれば、劉輝は頷きで是と答えた。
「よし!」
ルーシアが突然立ち上がる。鬼二人はその勢いに驚くが、ルーシアはそんなこと知ったこっちゃない。
「私もアスランのところに行くわ!」
「―巻き込むのかよ」
「いいじゃない。一番仲良しなんだから」
「なになに?何に巻き込むの?」
劉輝が興味を惹かれたようだ。浅葱はちらと周囲を見渡してから確認する。
「アスランは家か」
「そうだけど」
「家で話す」
「―分かった」
何かを察したらしい劉輝は真剣なまなざしでうなずいた。三人はアスランの家に向かうのだった。
※
途中でアスランに土産を買うというルーシアを止めるのに浅葱は難儀し、その様子を劉輝は面白そうに見ていた。
「おや、お友達もつれてきたんですか?」
茶色の髪を伸ばした30代の男がアスランだった。彼もルーシアに負けず劣らず優秀な魔術師だ。
「なんかね、アスランに協力してほしいことがあるんだって」
「私にですか?」
アスランは劉輝が差し出した本を受け取りながら首を傾げた。見ればルーシアは声が外に漏れないよう音消しの呪文を唱えている。何か重要な話なのかとアスランは緊張する。
「お邪魔するわね」
結界で家を囲み切ったルーシアは、アスランが勧めるより先に椅子に腰かける。アスランはお茶の用意をしながら話を促した。
「なんかね、浅葱が言うには崖の上にいる黒い鬼の様子が変なのよ」
「変とは?」
「こう、なんていうか、存在感が増したというか?」
「気づけば近づいていた」
浅葱もどうにか伝わらないかと加勢するがうまくいった気がしなかった。主従で困った顔をしていると、アスランがお茶を出してくれる。
「―浅葱が気づけば近づいていたのですか?自分の意思からではなく?」
「ああ、そうだ」
「そうですか」
アスランも椅子に座ると考え込む。
「浅葱はもとより他の鬼よりは彼のことを気にしてはいました。とはいえ、吸い寄せられたように足が動いたとなると話は変わってきますね」
「さすがアスラン、話が早いわ」
「それだけの人徳があるんですよ」
「あんまりほめちゃだめよ?図に乗るから」
「お前と一緒にするな」
「本当、仲良し」
「それで、話はそれだけですか?」
ずれそうになる話の軌道をアスランが元に戻す。そうだったとルーシアは図書館で借りてきた本を広げる。
「彼が本当に禍を呼ぶのか調べてたのよ。呼ぶならどんな禍を呼ぶのかとかね?」
「なるほど」
アスランはルーシアが広げた本を覗き込む。
「ここなんだけど」
「―鬼神ですか」
「本当にいると思う?」
「伝説上の存在ですね」
「でしょう?どう思う?」
アスランは考え込む。じっと一点を見つめながら、紅茶を口に運んだ。
「昔話に出てくる鬼神は妖魔の王、鬼の王と言われています。私が聞いたおとぎ話では、確かに黒い鬼で、赤い雷を操ったと言われています」
「あの子、雷なんて操れるの??」
「待てよ、あいつが鬼神てことか?」
「でも、黒い鬼が鬼神なんでしょう?」
ルーシアと浅葱が混乱し始める。
「―代替わり」
「ん?」
ルーシアと浅葱が動きを止める。アスランが本を引き寄せる。
「いえ、鬼神が代替わりするものだとしたら、この書き方もつじつまが通るかもしれないということです」
そう言われ、ルーシアは浅葱と一緒に再び本を覗き込んだ。
『黒は鬼神の色。黒をまとう鬼だけが、鬼神を殺すことができる―』
「―鬼神が、鬼神を殺すということ?」
「そもそも鬼神って一人なのか?」
「王様はふつう一人だよねー」
やっと間延びした声で劉輝が会話に参戦する。
「でも、国に一人なだけで、世界で見ればたくさんいるわよ?」
「まあねー」
「少しは真剣に考えろよ」
「だって、真剣に参加したら上層部にばれた時怖いじゃん」
「結界は張ったろう」
「まあ、どっちにしろ」
再びアスランが軌道を元に戻す。
「鬼神について調べる必要があるでしょうね」
アスランの言葉に、ルーシアと浅葱は力強くうなずいた。