契約編―鬼と契約しよう10
妖魔騒動から丸一日以上経ったころ、やっと動けるようになった浅葱は劉輝と一緒にぶらぶらと街を歩いていた。十六夜が倒れたあと、浅葱も結局動くことはできず、鉄斎によってなぜかルーシアの家に運ばれた。
『浅葱殿は強い故、鬼神の血により強くあてられたのだろう。回復まで今しばらく時間を要するため、主に面倒を見てもらうとよい』
そんなことを言われ、あろうことかルーシアのベッドに寝かされた。ルーシアはそれは甲斐甲斐しく浅葱の看病をしてくれた。
夢うつつの中で何度もうなされ、そのたび優しい手が己の額をなでていた気がした。
「浅葱」
後ろから声がかかる。浅葱は不機嫌さを隠さないままに振り替える。
「げ」
「げとはご挨拶だな」
そこにいたのはリリアだった。見慣れぬ青年を連れている。長い黒髪が首元で一つに束ねられており、厚い前髪が目の上ぎりぎりで切りそろえられている。耳はとがっていて鬼だと知れた。
(黒い、鬼―)
「「十六夜!!」」
浅葱と劉輝は叫び声をあげた。青年は逃げるようにぎゅっと目を閉じたが、恐る恐る瞼を持ち上げる。そこでは二人の鬼が丸い目でまだ自分を見つめていた。
「えと、えーと、うん…そう」
青年は頷いて是と答えた。それに二人は駆け寄る。
「お前こんな顔してたのか」
「へー女の子みたいでかわいい顔だね」
「へ?え?え?」
十六夜は口をパクパクとさせる。その様子にリリアはくすくすと笑っていた。
「すまないがな、頼みたいことがあるんだ」
「―なんだ」
逃げたいとも思ったが、それは不可能だと直感した。浅葱は不貞腐れた顔をしている。
「なんだ、そんなに主人に看病されたのが嫌だったのか?」
「なぜそれを知っている!」
「お前たちは仲がいいことで有名なのだろう?」
「そんな話知らないぞ!」
今度は浅葱が口をパクパクさせた。リリアはまあいい、と浅葱を見上げた。
「お前はなかなか古い鬼らしいな。我が父上の統治する世に長くいすぎたのだろう。長い年月の中で記憶からは忘れ去られようとも、血が覚えていたのだろうな」
「それで、リリアの血に恐れおののいてしまったと」
「…まあ、そういうことになるな」
浅葱よりは早く回復した劉輝の言葉に、リリアはうなずいた。
「じゃあさ、何で鉄斎は平気だったの?」
「慣れだろうな。私はあの鬼は知らないが、口ぶりから父上を知っていた。会ったことがあるのかもしれない」
「そういうもん?」
「そういうものさ」
リリアは劉輝の疑問に答えてやった。
「で、頼みってのは何?」
まだ固まっている浅葱に代わって、劉輝が話を元に戻す。ああそうだったとリリアは思い出したように言った。
「十六夜をな、銭湯に連れて行ってほしい」
「なるほどね。分かった」
「頼んだよ」
そういうと、リリアは手を振って三人から離れて行ってしまった。
「えと、あの、その…」
「ああ、俺は劉輝。よろしくね十六夜」
「えと、うん。よろしく」
「ほら浅葱も、行くよ」
劉輝は自分より背の高い男二人引っ張って歩く羽目になった。
※
リリアが頼んできただけあって、十六夜の背中からは垢がぼろぼろと出た。
「本当、俺らってひどいことしてきたんだね」
十六夜をどれだけ放置していたのか思い知る。劉輝の言葉に、十六夜は首をかしげていた。
「こすりすぎるなよ。赤くなるぞ」
「じゃあ浅葱がやってよ」
「お前のほうが力加減うまいだろう」
「それは認める」
浅葱は力任せにこするから。と劉輝は付け足した。それに浅葱は鼻を鳴らす。
「えーと」
「ああ、気にしないで気にしないで。たぶん自分じゃ洗いきれないし、任せて」
じっとしていて申し訳なさを感じたらしい十六夜に、劉輝はそう説明した。口で勝てるはずもなく、十六夜はまたじっとする。黙ってしまえばなんとなく空気が悪い気がして、浅葱は口を開いた。
「よく髪がまっすぐになったな」
「うん。…リリアが洗ってくれた。でも、まだまっすぐじゃなくて、床屋さん?にやってもらった」
「床屋すげー」
けたけたと劉輝が笑った。
「その前髪、邪魔じゃないのか?」
浅葱は、厚い前髪が気になった。これじゃよく見えなくて、戦いが不利なのではと心配になる。そういうと、十六夜は前髪を抑えてしまう。
「それじゃ目が見えないだろう」
「だって、俺の目、黒いし」
「珍しい色だもんね」
劉輝の言葉に十六夜はうなずく。
「でも邪魔だろう」
「とりあえずはこれでいいんでしょう?邪魔になったら切ればいいよ」
大丈夫大丈夫と劉輝は十六夜の背をなでた。そして背中をお湯で流す。
「うん!大体きれいになったかな!」
お湯つかろう!と劉輝は十六夜の手を引いていく。浅葱はため息をついてそれに続いた。
「ああ~」
ついそんな声を漏らしながら、浅葱は伸びをした。
「じじくさ」
「うるさい、外見だけ若造」
「鬼は外見年齢取りませんから」
劉輝はへらへらと笑った。二人の会話を、十六夜は不思議そうに聞いていた。
「今はリリアの宿にいるんだっけ?」
「うん」
浅葱は鉄斎に運ばれていたが、十六夜はリリアに担がれて運ばれていったのだ。リリアは小さいが半分は鬼だ。力はそんじょそこらの成人男性より強いのだろう。
「リリアってどんな子?」
「リリアは」
劉輝に問われて十六夜は考える。じっくり考えた後、答えた。
「リリアは、優しいよ」
「そっか」
劉輝は笑った。少し悲しそうだったから、無理して笑っているのだろうと浅葱は思った。十六夜はというと、劉輝の笑顔を見るとうつむいてしまった。
「どうしたの?」
劉輝が顔を覗き込もうとするが失敗する。
「…俺、おかしいんじゃないかと思って」
「何が?」
劉輝が説明を求める。
「俺、ずっとあそこにいて、なんともなかったのに」
あれは拷問だと浅葱は思う。生かしもせず殺しもせず。ただの思い込みでずっとつながれていた。
「でも、リリアが来て、優しくしてくれて、十六夜って名前をくれて―」
ヒクリと小さく体が揺れる。
「二人が、優しくしてくれて―なんか、なんか、涙、出る」
十六夜は膝に顔を押し当ててしまう。二人は何も言葉を返せなかった。
(何もないはずがなかったんだ)
浅葱は今更今までの自分を悔いた。十六夜は乾いていた。そこに優しさがしみ込んできて、どうってことないことが痛いのだ。
浅葱はぽんぽんと十六夜の頭をなでた。十六夜の肩が大きく震える。
「そういう時は、涙が出なくなるまで泣けばいいんだ」
こくりと、小さく頷いたのが手から伝わってきた。
「今度からはさ、ちゃんと助けるから、困ったことがあれば俺たちに言うんだよ?もう里の仲間なんだから」
(そうだな)
劉輝の言葉を肯定するのは恥ずかしくて、浅葱は内心でうなずいたのだった。
※
風呂から上がれば、、リリアから預かったと他の鬼から十六夜の服を手渡された。確かに今まで身につけていたものを着るわけにもいかなかったので、二人は服の着方を十六夜に教えた。
リリアが選んだのは深緑のタンクトップと、白い麻の長ズボンだった。顔は女顔だが、十六夜はどう見たって戦闘向きの鬼だった。背はあるし、筋肉も無駄なくついている。
「いいんじゃない?」
劉輝は満足そうにうなずいた。十六夜はしげしげと鏡に映る自分を見ていた。
「なんか変な感じ」
「十六夜、鏡初めて?」
「そうかも」
(そうか、鏡も初めてか)
十六夜のこれからにはたくさんの初めてが待ち構えているのだろうと浅葱は思った。
「俺、コーヒー牛乳飲みたい」
劉輝のそんな言葉にいざなわれて脱衣所を出る。休憩用の長いすにはリリアが腰かけていた。
「うん、見違えたな」
リリアはうれしそうに笑った。それにへへっと十六夜も照れ臭そうに笑い返す。
「悪かったな。助かった」
そういいながらリリアが出したのはペラペラのスリッパだ。
「靴はさすがに履いてみたほうがいいと思ってな。汚れないようにこれを足に引っ掛けておくと良い」
「今から買いに行くの?靴はトムじいさんのところがいいよ」
「そうか」
劉輝が店への地図を描き始める。紙とペンなんてどこから取り出したんだと浅葱は思っている。
その後、リリアがお礼もかねてコーヒー牛乳をおごってくれた。