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白紙の時間

寝台に腰掛け、ティアはぼんやりと外を眺めた。


茜色の景色。

砂漠のような殺風景な場所だろうと、夕方の空は綺麗だった。


ザイアムと会って、話したかった。

だが、会ってはくれなかった。


囚われの身となって随分経つ。

その間に、随分と要求を出した。

これはさすがに無理だろうという我が儘も通った。


それなのに、会って話をするのは断られるとは、どういうことだろう。


(……やっぱり、そういうことなの?)


ザイアムやルーアと暮らした記憶がある。

十四歳の、ある日までだ。


そして、十四歳のある日以前の、オースター孤児院での生活の記憶がなくなっている。


幼い頃から、オースター孤児院で暮らしてきたはずだ。


そう思っていただけで、実際は違ったのだろうか。


記憶も思い出も、本物である自信がない。


(訳わかんないよ……)


頭を抱えて、意味もなく喚きたいという衝動があった。


もしかして、十四歳の途中までは『ティア』だったのではないか。

その可能性を、否定できない。


記憶が目茶苦茶なのは、なぜなのか。


(……誰かに、なにかされた?)


他人の記憶の改竄など、普通の人間にできる訳がない。

なにか特別な力を持った者。


エスの姿が思い浮かんだ。

他には考えられないといってもいい。


だが、ティアの記憶を弄って、エスになんの得がある。


ザイアムに問い質したかった。

彼ならきっと、真実を知っている。

だけど、会ってくれない。


(……ルーアなら)


ルーアは、『ティア』やザイアムと家族だった。


ティアよりも、『ティア』について知っている。


『ティア』としての記憶に、ティアは危うさを感じていた。

思い出すたびに、不安になる。

あやふやな部分が、いくつもある。


十四歳のある日を境に、『ティア』としての記憶は突然白紙となるのだ。


あの日の夜、外の明るさに眼が覚めた。

西の空が、輝いていた。

太陽が、そちらから昇ったかのように。


それが、『ティア』として覚えている最後の記憶だった。


(……ルーアなら、なにがあったか知ってるはず……)


家族として、『ティア』やザイアムと暮らしていたのだから。


なによりも、ルーアは。


(……あれ? 確か、ルーアって……)


『……まあ、そうだな。確かに俺は、『ティア』のことが……』


「はぁうっ!?」


以前ルーアが言っていたことを思い出し、ティアは奇声を上げた。


「……えっ!?」


顔を挟むように頬に手を当て、おろおろと辺りを見渡す。


「……ええっ!?」


頬が熱くなるのを、ティアは感じた。


そのままの姿勢で、寝台に倒れ込む。


(……なんでっ!? なんでどさくさに紛れて告白してるの!? 馬鹿なの!? 馬鹿なのかーっ!?)


ごろごろと転げ回る。


一頻り身悶えし、それからティアは起き上がった。

えらく息が荒れている。


「……いや、でも、あれよね。それって、『ティア』さんのことが、である訳で、あたしのことが、ではない訳で、でもその『ティア』さんがあたしかもしれなくて、いやでもルーアはそんなつもりはなくて、過去形で言ってたから今はどうかわかんないし……」


また、ばたりと倒れ込む。


「……ぬううううぅあぁぁあぁぁ……!」


枕に顔を埋め、足をばたつかせ、ティアは呻いた。


「なんなのよーっ! はっきりしてよぉぉぉぉっ!」


「なにを?」


「……!?」


不意に聞こえた声に、跳ね起きる。


部屋の戸口にいたのは、頭部を負傷した時から姿を見せなくなっていたセシル。


困ったような顔で、ティアを眺めている。


「セ、セ、セ、セシルさん!? なんでここに!?」


「……なんでって、見張りだから」


「い、いつから!?」


「……あなたが、ごろごろしてた辺りから、かしら?」


「ノックしてくださいって、あれほど……!」


「したけど、返事がなかったから……」


「あうぅ……」


ノックの音を聞き取れないほど、混乱していたのだろう。


「……なにも見てないから」


囁くように言って、セシルは部屋の隅の椅子に腰掛けた。


持っていた雑誌をぺらぺらめくり、こちらを見ようとしない。


三度、ティアは寝台に倒れ込んだ。


セシルに目撃されたことも問題ではあるが。


(どうしよう……)


どんな顔をして、ルーアに助けられればいいのだろう。

なにを話せばいいのだろう。


ティアは、そんなことを考え始めていた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


ルーアたちと連絡が取れなくなった。


他の能力は使用可能になったが、唯一それだけができない。


ありとあらゆる方法を試したが、すべて妨害されてしまう。


誰による妨害か、はっきりしていた。


(……クロイツめ、思い切ったことを)


エスは、自らが創造した白い空間にいた。


クロイツは、エスとルーアたちとの通信線を絶つことだけに集中している。

防御を疎かにしてまで。


他の能力は使える。

クロイツのデータベースに侵入することも、書き換えることも可能だった。


構わない、クロイツはきっとそう考えている。

データは後で修復できる。

どこかにバックアップもあるのだろう。


イグニシャ・フラウとカリフによる作戦を成功させることを、なによりも優先している。


エスは、彼らの作戦を見抜いていた。


だが、ルーアたちに伝えることができない。


(……わかっているよ、クロイツ、そしてザイアム。目的は、勝つことではない。そうだろう?)


そして、ザイアムの目的とエスの目的は、一致している。


だから、作戦を進行させられてもいい。


(さて……)


ルーアたちとは、連絡が取れない。

ルーアたち六人とは、だ。


座標を指定して、エスは転移した。

白い空間から、砂漠の風景へ。


転移先では、今はマリア・エセノアと名乗っている女が待ち構えていた。


エスが現れることに、気付いていたのだろう。


フニック・ファフはエスの出現に驚き、ラクダから落ちそうになっている。


「状況を説明するまでもないと思うが」


「どうするの? わたしを中継すれば、彼らと連絡を取ることも可能だと思うけど」


「いや、それでは君の居場所が、クロイツに知られてしまう」


この女は、今回の切り札だった。

その存在を、クロイツは気付いているだろう。

せめて場所だけは隠しておきたい。


「今後どうなるか、私には見えているが」


「なに? 未来予知でもした?」


「違う。あらゆる方向から、事態を見つめただけだ。それにより、未来はある程度まで予測できる」


「それで?」


「ある時、ある瞬間から、事態は一気に加速する。その時のために、手を打っておかなければならない。君が、その時を見失うことはないと思うが」


女が頷く。


「問題は、ジェイク・ギャメだ」


ジェイク・ギャメが、ラグマ軍を動かした。


そのため、『百人部隊』の大半が基地に釘付けとなっている。


充分な働きといえるが、勝つためにはまだ足りない。


『百人部隊』には、ラグマ軍に対して進軍してもらわなくてはならない。


「説得できる?」


「ルーアたち六人と、『百人部隊』全軍。勝てるものか。必ず、説得しなければならない。フニック・ファフ、君の力も借りるぞ」


「え?」


話に付いていけていない様子のフニック・ファフが、眼を白黒させる。


「カレン救出のためには、ラグマ軍のもっと全面的な協力が必要だ。軍をもっと進め、基地に圧力を掛けてもらわなくてはならない。そのためには、リーザイ政府関係者の私ではなく、ラグマ人である君の一言が重要となる」


「……一体、どういう……?」


「細かい説明は、彼女……マリア・エセノアから後で聞きたまえ。いいかね、一言だ」


ジェイク・ギャメは、天才だった。

商人、そして凡人フニック・ファフの多過ぎる言葉では、彼を動かすことはできない。


説得のために必要なのは、効果的な一言だった。

彼の感性を刺激するような一言。

彼が、自分で解を導き出すような一言。

エスから与えられた言葉ではなく、フニック・ファフ自身が考えに考え捻り出した、飾りない一言。


「このラグマ王国の現状、ラグマ政府がなにを求めているか、そして、君が何者であるかをよく考え、一言を決めたまえ」


「……はあ」


曖昧な返事だった。


無理もない。

天才ではないフニック・ファフでは、まだ状況のすべてを把握できないだろう。


だが、商才はある。

商人として、一流である。

商売については、頭が回る。


それは、自分だけではなく他の者の損得も見抜けるということだった。


エスは、女へと顔を向けた。


「最大の問題は、クロイツとザイアム」


「ええ」


「そして、ザイアムの目的はルーアで、クロイツの目的は君であるということだ」


女は、エスの視線を真っ直ぐに受け止める。


「私では、クロイツの目的を阻めない」


エスは、息をついた。


「すまないが、死んでくれ」


告げると、女は無言で頷いた。

そこには、いかなる動揺も見えない。


フニック・ファフは、呆気に取られた表情をしている。


女は、とっくに覚悟を決めていたのだろう。


カレンの境遇に、同情した。

救いたいと考えた。

だから、フニック・ファフに力を貸している。


テラント・エセンツたちを紹介した。


彼らなら、フニック・ファフに協力してくれるとわかっていたから。


そしてこの女は、テラント・エセンツのためならなんだってする。


「わかっているわ。あの人たちを、クロイツやザイアムと戦わせる訳にはいかない。わたしが、引き受ける」


死さえも受け入れる。


「……ストラーム・レイルとライア・ネクタスが、密かに南へと向かっている。その事実を、いずれクロイツも掴むだろう」


『バーダ』第八部隊隊長と隊員であるストラーム・レイルとライア・ネクタスが、リーザイ王国ミジュアを発ったのは、数日前のことだった。

間もなく、国境へと差し掛かる。


リーザイ王国の南は、ザッファー王国だった。

ラグマ王国から見れば、北東の方角になる。


「最大限利用すればいい」


女が、何度目になるか、頷く。


「それでは私は、ジェイク・ギャメと会ってこよう」


「頼むわよ、エス。絶対に、ラグマ軍を……」


「全力を尽くすと約束しよう」


女の表情には、悲壮感などない。

あるのは、強い決意のみ。


それを認めて、エスは転移を開始した。


ランディ・ウェルズは去った。

ドラウ・パーターも去った。

また一人、消えようとしている。


愛する者のために戦うのは、死ぬのは、どんな気分なのだろうか。


転移が完了するまでの束の間に、エスはそれを考えた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


嵐が吹き荒れる。

砂が舞う。


シーパルはフードを目深に被り身を伏せ、嵐が過ぎ去るのを待った。

ただひたすらに待った。


自然の猛威に曝されることなど、慣れている。


シーパルは、山の民ヨゥロ族なのだから。


決まった住居など持たない。

雨が降ろうと風が吹こうと、嵐の時でさえも、外で生きてきた。


向き合い抗うのではない。

流れに身を任せ、いなす。


風に対して踏ん張るのではなく、倒されてしまう。


嵐が去るまで、倒れていればいい。


立ち上がるから、横から横に流れる風を浴びるのだ。


身を伏せているうちに、自分でも呆れてしまうが、眠気を感じるようになってきた。


戦闘の緊張感により、疲れてしまったのか。


それもあるが、旅の疲れもあるのだろう。


訪れる街や村で、事件や戦闘に巻き込まれてきた。


よく今まで生き延びられたものだと思う。


いや、死ぬところだったのだ。

このラグマ王国で、殺し屋の凶刃により。


うとうととしていた。

ふっと眼を覚ます。


眠っても、夢を見ることはない。

夢を、見たことがない。


だからシーパルにとって、眠っている間は白紙だった。


眠り、目覚める。

何度か繰り返した。


眠っている間、意識はない。

真っ暗だった。


目覚めても、暗い。

大量の砂が空を覆い、日の光を隠している。


眠りは闇。目覚めても闇。


(……僕は、闇の中にいた)


ズィニア・スティマの刃に倒れ、三ヶ月半もの間眠り続けた。

闇の中にいた。


シーパルにとっての、長い長い白紙の時間。


(本当に……?)


本当に白紙だったのか。

なぜか、ふと疑問に感じた。


白紙の時間だったはずだ。

眠っていた。

闇の中にいた。

なにも見なかった。夢も。


だが、本当は誰かと会わなかったか。

なにかを、話さなかったか。


気付くと、砂嵐は治まっていた。

起き上がる。


妙に体が冷えていた。

頭も、冷たく痺れている。


砂漠の暑さなど、まったく気にならなくなっていた。


(……なんだろう、この感覚……?)


砂一粒一粒が、大きく見えるような感じがした。


いや、砂一粒一粒のことがわかる。把握できる。


冷えた感覚。

氷の世界に、裸で立っているような気分だった。


視覚の外のことなのに、誰がどこでなにをしているのか、わかってしまうことがある。


今は、砂漠全域に自分の意識や感覚が拡がっているかのようだった。


神経が、地中を通じて行き渡っているかのような。


起きているのか眠っているのかはっきりしない、曖昧な感覚もある。


シーパルは、ある一点に眼をやった。


この先にみんながいる。

戦っている。


魔力の感知はできない。

それくらい遠い所の出来事がわかる。

確信できる。


「ヨゥロ……僕は、ヨゥロ……」


呟く。


ヨゥロ。ヨゥロ族。ヨゥロ族の、シーパル・ヨゥロ。


そして、彼は歩き出した。


◇◆◇◆◇◆◇◆


慎重に、カリフは進んだ。

連れているのは、ナルバンの他には兵士が三人のみ。

これだけで、ルーアたちの相手をする。


イグニシャたちが身を潜めている場所まで、誘導する。


そこまで行けば、作戦は成功したも同然だった。


イグニシャたち能力者の一斉攻撃に、ルーアたちは纏まっていられないだろう。


それは、昼間の戦闘で証明されている。


散らばったところで、カリフとナルバンがそれぞれ兵士を率い、圧力を掛け合流を阻む。


イグニシャたちは、ルーアを狙う。


エスは、クロイツが抑えている。

助言を受けることもできないはずだ。


間もなく、ルーアたちに気付かれるだろう。


イグニシャたちの所まで、逃げきれるか。


兵士三人に指示を出すナルバンは、落ち着いていた。


危険な任務に臨もうとしているとは思えないほど、堂々としている。


ナルバンを見ていれば、カリフも慌てなくてすむ。

ただし、気分は昂揚していた。


自分を餌とする。

危険だが、快感に近い緊張感があった。

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