天才の協力
『砂漠の入り口』ユガケの郊外に、ラグマの軍隊が駐屯していた。
率いているのは、執務官のジェイク・ギャメである。
軍営の中、ジェイク・ギャメが執務室のように利用している部屋に、エスは転移した。
深夜であり、わずかなランプの光の下で、ラグマ王国の若き執務官は黙々と書類に眼を通している。
机には、他の書類や資料が山のように積み重ねられていた。
その全てを自分で確認するのだろう、彼は。
ジェイク・ギャメの一日の睡眠時間は、四時間にも満たない。
そういう生活を、ずっと続けている。
周囲の者は体を心配しているが、彼は仕事の量を減らそうとはしなかった。
それが性分なのだろう。
エスの存在に気付き、ジェイク・ギャメが紙の山の向こうで顔を上げる。
「……あなたは」
「名乗る必要はあるかね、ジェイク・ギャメ?」
「エス殿、ですね? 『リーザイの亡霊』と呼ばれる。お噂は兼ね兼ね……」
静かな口調と表情だった。
「……落ち着いているね。初めて私を見た者は、大抵慌てふためくものだが」
「あなたのことは、陛下から伺っております。あなたが何者か、私なりに理解しているつもりです」
ペンを置き、エスを真っ直ぐに見つめてくる。
「御用件はなんでしょうか? ……いや、それよりもまず、リーザイ王国の使者として御来訪されたのか、伺うべきでしょうね」
「リーザイ王国のエスではない。ただのエスとして、今日は君の前に現れた」
「……なるほど。それで、御用件は?」
実に話が早い男だった。
それだけ、当人が多忙だということかもしれない。
「フニック・ファフという者を知っているかね?」
「……優れた商人です」
「ふむ」
「私と、接触したいようですが」
さすがに、フニック・ファフから送られた手紙の意図に気が付いている。
「それで、君は彼と会ってみるのかね?」
「必要ないでしょう。使者を送るくらいはするかもしれませんが」
微妙な返答だった。
フニック・ファフに、興味があるのか、ないのか。
「フニック・ファフの目的は……」
「存じております。恋人を、『コミュニティ』から取り戻すことでしょう?」
「……その通りだ。調査済みだったか」
「あれだけ露骨に市場を掻き回し注目を集め、尚且つ私との接触を望んできましたからね。調べようという気にはなります」
フニック・ファフの事情を知っているのならば、興味はあった、ということだろう。
ならば、次に確かめなければならないのは、フニック・ファフに協力する意思があるのかどうかだった。
「テラント・エセンツらは、彼に雇われたが……」
「それも、存じております。友人のために、ザブレ砂漠に向かっていることも」
ジェイク・ギャメは、壁に掛けられた地図にちらりと眼をやった。
「南東と南西の二路より、軍を向かわせる準備を進めています。どちらかの指揮は、私自ら執るつもりですが。必要となれば、更なる援軍を要請することになるでしょう。つまり私たちは、先陣ということです」
「ほう……」
協力する、と言っているように聞こえる。
だが、余りにも協力的過ぎる。
ジェイク・ギャメは、フニック・ファフと直接の面識がない。
エスとも、今宵初めて会ったばかりである。
ティア・オースターたちとは多少の縁があったはずだが、大軍を出動させる理由としては小さい。
「さて、なにを目論んでいるのか」
「それほどたいしたことでは」
ジェイク・ギャメは、薄く笑みを浮かべていた。
エスとのやり取りが楽しい、というふうに。
「ザブレ砂漠は不毛の地。人によってはそう言うでしょう。ですが、あの地で採れる資源などもあります。『燃える水』などがそうですね」
「ふむ」
『燃える水』とは、旧人類の時代、液体燃料として様々な使われ方をしていた物質だった。
その使用法をラグマ王国が研究していても、不思議ではない。
「ザブレ砂漠は、今後有用な地となる可能性が高い。そこに『コミュニティ』の基地があるというのは、なんとも具合が悪いのですよ」
「だから、軍を以て制圧すると?」
「制圧は難しいでしょう。『コミュニティ』のザイアム、クロイツ、彼らは、人の領域にない」
「大軍を向ければ向けるだけ、犠牲は大きくなるね」
ザイアムもクロイツも、大勢で取り囲めばどうにかなるという存在ではなかった。
彼らに対するために必要なのは、数の利ではなく、個々の強さである。
「あるいは、国外へ追い払えるかもしれない。ですが、多大な犠牲を被ることになるでしょう」
にこりとジェイク・ギャメが微笑む。
人の悪い笑顔である。
「彼らと正面から戦うのは、私たちではない。そうでしょう?」
「ふむ……」
『コミュニティ』を、ザブレ砂漠から撤退させたい。
しかしそのために、多くの犠牲は出したくない。
だから、ルーアたちを利用する。
利用されているとわかったとしても、ルーアたちもフニック・ファフも止まれないだろう。
ティア・オースターとカレンが囚われているため、彼らは切羽詰まっている。
軍を向かわせれば、クロイツは部隊を分けざるをえない。
少しはルーアたちに有利に働くだろう。
「二路から軍を向かわせる理由は? いや、それよりも、君が陣頭に立つ理由は?」
「今回の作戦、『コミュニティ』の指揮を執るのは、クロイツと考えて宜しいですか?」
「ザイアムが動かない限りは、クロイツだろう」
「彼の性格や行動パターンなどを、私なりに分析しました」
「ほう」
「慎重な性格をしており、組み上げるその作戦は、緻密なものです。ですが、彼は敢えて大胆なことをする。極端と言い換えても宜しいですが」
「それで?」
エスは、この若者の言葉を聞くのが、楽しいと感じるようになっていた。
同時に、似ているとも感じていた。
「ラグマ軍に対して、おそらく極端な対応を取るでしょう。殲滅か、あるいは……」
「無視をするか」
「二百にも満たない『コミュニティ』の部隊からしてみれば、大軍です。ですから、完全な無視は難しいでしょうが」
「戦わない、という選択は取れる」
「そうです。クロイツほどの者ならば、確実に牽制のための軍だと見抜く。牽制のための軍に、牽制のための部隊を向け、膠着させるくらいは瞬時に思い付くでしょう」
「むしろ、君はそれを望んでいるな?」
エスの指摘に、ジェイク・ギャメは頷いて認めた。
「私が軍を率いれば、クロイツは戦線を膠着させることを選ぶでしょう。ジェイク・ギャメという者、どうやら陛下から信頼を得ているようです。私の身になにかあれば、『コミュニティ』はラグマ王国を完全に敵に回す」
「二路から進攻するということだが」
「軍を二手に分ければ、可能性としては低いが、私がいない方の部隊は殲滅させられるかもしれませんね。その場合のクロイツの目的は、私への牽制でしょう。こちらとしては、進軍を止めやすくなります」
片方の軍が全滅すれば、片方の軍は様子を見るために止まらない訳にはいかなくなる。
状況は膠着する。
それは、ジェイク・ギャメもクロイツも望むところだろう。
「……半数は、死ぬかもしれないが」
「おそらく、クロイツは放置するでしょう。私の指揮する軍の動きに合わせて、もう片方の軍は進みますから。私を止めれば、両方止まる。それもまた、クロイツは見抜くでしょう。それに……」
「……それに?」
「ザイアムにもクロイツにも、私たちを全滅させられる力があります。それを考えれば、最悪でも犠牲が半分、ということです」
「なるほど」
王や、王に仕える者に相応しい考え方だった。
犠牲無しに国家は成り立たず、戦争もできない。
「随分と語ってもらった。作戦の概要まで。私は、リーザイ王国の者だが」
「本日は、リーザイ王国からの使者ではない、ということでしたので。私なりに、言葉で歓迎したつもりです」
「それが、本心の全てではあるまい」
「……」
ジェイク・ギャメが、眼を細める。
見抜かれることさえも、楽しんでいる。
今夜の会話はある意味、頭脳戦だった。
「ルーアか」
「と言いますと?」
ジェイク・ギャメが口角を上げる。
認めているも同然だった。
「ルーアが何者であるか、ベルフ・ガーラック・ラグマは知っている」
ラグマ王国国王ベルフ・ガーラック・ラグマにそれを教えたのは、他でもないエスだった。
「当然、君も知らされているはずだ。始末しろ、とでも命を受けたかな? いや、それならばとっくにルーアは消されているか。君に命じることもないだろう。となれば……」
「……」
「見極めろ、というところか」
「……私としてみれば、できれば彼には早々にこの国を出ていってもらいたい。他国でなら、その力を使おうとも、暴走させようとも、ラグマ王国の痛手にはならない訳でして」
「死ぬのは、他国の民だからな」
「まさしく、その通りです」
他国の民より自国の民を優先するのは、支配者として当然だった。
他国を蹴落としてでも、自国を繁栄させる。
その考え方を、エスは間違いだと思わない。
愛国心もなく世界平和を歌うのは、愚か者のすることだった。
「君は切れる、ジェイク・ギャメ。天才と言ってもいい」
「あなたにそう言ってもらえるとは、光栄です。が、恐縮でもありますな。私など、まだまだ若輩者です」
「いや、天才だよ。だからこそ、気を付けることだ」
「……?」
「君は、クロイツと似ている。自分と同じような天才の存在を、異様にクロイツは警戒するだろうよ。恐れさえするかもしれない。今はまだ、手出しをしないだろうが」
ドラウ・パーターのことも、クロイツは警戒し、恐れていた。
ドラウ・パーターが殺されずに済んだのは、彼に個の力があったからだ。
ジェイク・ギャメには、それがない。
執務官として、多くの兵に守られている。
だが、それでは足りない。
クロイツを相手にするには、攻めるにしても守るにしても、必要なのは数の利ではなく個の力である。
「……注意しておきます」
「もう一つ。君は天才であるが故に、他者を遠ざける。切れ過ぎる者の悲運とでも言うべきか。凡人では、君の補佐はできまい。孤独に戦うことにならないように、理解してくれる者を作ることだ」
「……私は、自分のことを天才だと思ったことはありませんが……天才は理解をされない、そして孤独になると? あなたのように?」
「私にも、理解者はいたさ。時が流れるうちに、みんないなくなってしまったがね。それに私は、天才ではない。それは、クロイツだ」
「忠告は、ありがたく受け取ります。ところで、私が気になったのは」
「ああ」
「フニック・ファフに、随分と協力的な様子ですが、それはなぜですか?」
「……優れた商才を持っている。それに、私は魅力を感じた」
「商才、ですか?」
「ルーアたちに、最も欠けている。だから私は、彼にも輪に加わってもらおうと考えている。ルーアたちが残していく、人と人が繋がる輪に」
「……」
「人と人が繋がる要因は、なんだろうな?」
少し黙したジェイク・ギャメに問いを投げ掛けると、すぐに彼は答えを出した。
「それは、得があるからでしょう」
「そうだな。なにかしらの得があるから、人は繋がっていられる。損しかなければ、繋がりを拒むものだ。なにかで得をするから、繋がりを残す。得とは、精神的なものであったり、経済的なものであったりするだろう」
「経済的……だから、彼を」
「今、ルーアたちが残していった足跡を、繋げている者がいる。だが、繋げるだけでは力にならないな。戦うためには、武器がいる。生きるために、喰う必要がある。武器も食料も、金で購える。フニック・ファフには、その金を稼ぐ才能がある。そして、わかりやすく恩を売れる状況でもある」
「なるほど。これは彼も、とんでもない方に眼を付けられたものだ」
苦笑する。
その表情には、疲れの色が見えた。
やはり、仕事量が多過ぎるのだろう。
この男の時間を、かなり奪ってしまった。
「多くを語っていただきました。考えの深いところまで、聞かせてもらえたように思います」
「君は、言葉で私を持て成してくれた。その、礼だよ。少し、時間を取り過ぎたかもしれないがね。さて、そろそろ失礼させてもらう」
「わかりました」
別れの挨拶を口にするエスに、ジェイク・ギャメが立ち上がる。
送る必要などないが、彼なりの礼儀だろう。
転移のために、エスはこの空間に於ける自己の存在を消失させていった。
去り際に、ジェイク・ギャメの言葉が届く。
「……主には、恵まれました」
「……そうだな。君を理解し、使うことができる王は、ベルフ・ガーラック・ラグマくらいなものだろう」
その台詞を、ジェイク・ギャメに聞かせることができたか怪しいものだが。
エスは、転移を開始した。
肉体がある者とは異なり、エスはその存在を、別の所に書き換えることにより転移を行う。
(もしかしたら……)
エスのことを真に理解しているのは、クロイツだけかもしれない。
転移の最中、ジェイク・ギャメとの会話を反芻し、ふとエスはそう思った。
◇◆◇◆◇◆◇◆
ユガケまでの旅は、まず順調だったといえる。
途中で盗賊団に荷を狙われ、狼の群れにも出くわしたが、ユファレートやシーパルが遠くから魔法を使うだけで撃退できた。
雇い主であるフニックは、ルーアたちをちゃんとした宿に宿泊させてくれたし、食費も出してくれた。
傭兵であるデリフィスの、フニックの評価はずっと変わらない。
雇い主としては悪くない、と。
食事の席などで、テラントやデリフィスに酒を振る舞う。
当然、払いはフニックである。
ユファレートの魔法についての長話にも、嫌な顔をしない。
魔法よりも、比較的誰でも扱える魔法道具に興味を持っているようだ。
商売に活かせないかと考えていることが、ユファレートとの会話の端々から窺える。
話の種を、豊富に持っていた。
それを話す術も心得ている。
笑顔でいることが多いためか、ユファレートやシーパルは警戒無くフニックと接していた。
行商人として、長く生きているということだった。
各地を旅するうちに、知識などを身に付けていったのだろう。
話術も笑顔も、交渉事などで他人と触れ合わなければならない商人には、必要なことだ。
フニックの笑顔を、逆にルーアは警戒した。
得をするためなら、商人は誰にでも笑顔を見せる。
笑顔の裏に、腹の内を隠しているように思えた。
必死で笑顔を作っているように感じられるのだ。
それについては、テラントもデリフィスも同意見だった。
ただ、言動におかしなところはない。
ユガケに到着した。
王都ロデンゼラーに近く、ラグマ王国中央付近にある街なためか、活気に満ちている。
おかしかったのは、大半の店舗の入り口が、西を向いていることだった。
フニックの説明によれば、東にザブレ砂漠があるせいらしい。
東からの風が吹くと、ユガケまで砂漠の砂が飛んでくるということだった。
フニックは、忙しく動き回っている。
これからルーアたちが砂漠へ向かうことを、ユファレートから聞いたようだ。
ルーアたちのために、飲み水や保存が効く食べ物、昼の日差しを遮るための衣服、夜の寒さを凌ぐための寝袋などの寝具、移動のためのラクダなどを揃えてくれている。
代金はいい、ということだった。
これには、さすがに人の良いシーパルも不信に思ったようだ。
いくらなんでも、気前が良すぎる。
なにか思惑があるのは、まず間違いないだろう。
出発の前日の夜、ルーアたちはフニックが泊まる宿の部屋に呼ばれた。
テーブルに身を乗り出すようにして、設えられた椅子に浅く腰掛けているフニック。
その隣に立つ白い人物を認め、ルーアは呻きそうになった。
他の者たちは、それぞれ苦笑のようなものを浮かべている。
「……なるほど、そういう繋がりか。お前が裏で色々やってたのな」
「誤解しているようだが、ルーア」
白い人影は、もちろんエスだった。
他にこんな白い奴がいるとしたら、頭から白ペンキを被る趣味がある変人くらいなものだろう。
紹介するかのように、エスがフニックに手を向ける。
「私が彼の前に姿を現し、会話をしたのは、今日の昼が初めてのことだ。彼はこれまで、知人の助言に従い、君たちと接してきた。それについては、私はなにも関与していない」
「知人……?」
「私の知人でもある。だから私は、彼に力を貸す気になった」
「誰だよ、その知人は?」
「敵ではない。だから、気にするな。少々変わり者だが」
と、エスが肩を竦める。
「君たちほどではない」
「お前に言われたくねえよ」
ルーアだけでなく、他の者も同じようなことを口にする。
言葉にしていない者も、心中では突っ込んでいるだろう。
エスにだけは、変わり者呼ばわりされたくない。
「彼の事情だが」
「エスさん。それについては……」
フニックが遮る。
ユガケまでの旅では見せなかった、陰のある表情。
「私から、話します。私のことですから……」
「わかった。任せよう」
頷き、一歩引くエス。
フニックが立ち上がり、ルーアたちに頭を下げた。
「まずは、皆様方には謝罪いたします。事情を隠したまま、私はあなたたちを利用しようとした」
フニックの様子に、みなが押し黙る。
笑顔の裏に隠していた腹の内を全て話そうとしていると、ルーアは悟った。
「お話いたします。私と、彼女のことを」
フニックが語る。
自身のこと。そして、カレンという女性のこと。
商人として、カレンを買ったはずだった。
だがフニックは、商品であるカレンに心を向けてしまった。
二人で旅をするうちに、カレンは大切な存在になっていった。
愛してしまった。
「ですが、彼女は攫われてしまいました……『コミュニティ』に……。私は、彼女を取り戻したい」
「『コミュニティ』に? なんで?」
「カレンは、元々『コミュニティ』に於ける『悪魔憑き』のための実験の被験者だ。『コミュニティ』を抜け出し、だが路銀が尽き、生きるために身を売ろうとした。それを買ったのが、彼だ」
エスが答え、更に補足する。
「カレンは今、ザブレ砂漠にある『コミュニティ』の基地に囚われている」
「それって……」
ユファレートが、杖を持つ手を震わせている。
女を商品として買ったというフニックの話に憤慨していたが、途中からはカレンに同情している様子になった。
「そうだ、ユファレート・パーター。ティア・オースターも、そこに囚われている」
「そこで、みなさんにお願いです」
フニックが、テーブルに両手を付いた。
「私は、カレンを助け出したい。だが、私には戦う力がない。強く、信頼できる方々に託すしかないのです。ユガケに到着するまでの間、あなた方のことを観察しました。知人の言う通り、信頼に足る方々だと思います。なによりも、強い」
テーブルに口づけするかのように、頭を下げる。
「どうか、カレンを助けていただきたい」
「……『悪魔憑き』だってことだけど」
「それでも、大切なのです」
「……」
『悪魔憑き』にも、感情があることをルーアは知っている。
全員が望んで『悪魔憑き』になったのではないということも。
無理矢理『悪魔憑き』にされ、そのことを恨み、『コミュニティ』を裏切った者たちもいた。
「……わたしは、そのカレンさんを助けたい」
ユファレートが呟き、みなを見回す。
「ねえ、みんなはどう?」
「そうですね。力になってあげたいと思います」
シーパルが言うと、ユファレートは表情を明るくした。
「デリフィスとテラントとルーアは?」
「……俺は傭兵だ、フニックさん。だから、あんたが出す物を出してくれるなら、その分は仕事をする」
「……もちろん、報酬は出させていただきます」
デリフィスが、如何にもデリフィスらしいことを言い、フニックが金額を告げる。
悪い額ではないだろう。
砂漠での旅のためにフニックが準備してくれている物も合わせて考えれば、破格なのではないか。
「ま、多数決に逆らう気はねえよ。ティアを助けるついでだしな」
テラントが、金髪を掻く。
「で、お前はどうする?」
視線が集まるのを、ルーアは感じた。
「……しばらく前、同じようなことを頼まれた。俺は引き受けて、その子のことは助けられたけど、結果的にオースターは攫われた」
頼んだあの男の名前は、テイルータだったか。
マーシャを助けるための戦闘でルーアは消耗し、ティアを取り戻すことはできなかった。
テイルータとマーシャのせい、とは言わない。
ルーアたちは、ティアとマーシャが同じ所に捕らえられていると勘違いしていたのだから。
マックスたちとの戦闘を避けることはできなかったはずだ。
それでも、時々思う。
徹頭徹尾、ティアを助けることだけに集中していれば、結果は違うものになっていたのではないか。
「オースターかカレンさんか、二者択一になったら、どちらかしか助けられないという状況になったら、俺はオースターを選ぶ。それでも、いいのなら」
フニックの視線は、鋭かった。
それだけは、商人に相応しくないのかもしれない。
「……それで結構です。逆の立場なら、私もそうするでしょうから」
「契約については、纏まったようだな」
しばらく黙って眺めていたエスが、声を上げた。
「それでは、作戦について話し合おうではないか。まず、吉報だ。ラグマ王国が、後ろ盾になってくれる。ジェイク・ギャメの指示で、軍が動く準備を進めている」
「ジェイク・ギャメ……」
微かに顔をしかめてしまう。
嫌いというよりも、苦手な人物かもしれない。
切れ過ぎる印象がある。
以前、上手く利用されてしまった。
そのため、危うくシーパルは死ぬところだったのだ。
「なんで、ジェイク・ギャメやラグマ軍が? おかしくないか?」
「魂胆があるからだ」
「……また、俺たちを利用するつもりか?」
「その通りだ。だがここは、利用されることを薦める」
「なんで?」
エスが、笑った。
見下す笑み。
「彼の方が、君たちより賢いからだ。彼に反発するよりも利用される方が、ティア・オースター救助のための道は開ける」
「……」
「納得できるかね?」
「……一応な」
すっきりはしない。
それでも、納得しなければならないのだろう。
なによりも優先しなければならないのは、ティアとカレンの奪還なのだから。
「それでは、話を進めよう」
どこからか取り出した地図を、エスはテーブルに置いた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
この基地に捕らえられている女性の名前はカレンだと、ティアは教えられた。
会うことは許されなかったが、散歩に行くついでに、扉にある覗き窓から部屋の中を見ることだけは許された。
カレンは背筋を伸ばし寝台に腰掛け、壁の一面を見つめている。
覗かれ慣れているのか、こちらの視線に反応はない。
単に気付いていないだけかもしれないが。
なにか声をかけたかったが、それは許されていない。
背後ではセシルが、油断なくボウガンを構えている。
ウェイン・ローシュの部下である女性二人は、最近現れなくなった。
なにか失態をした訳ではないので、敵に備えて配置を変えたのだとティアは判断した。
近くにいるのはセシルだけである。
取り押さえることは、できなくはない。
だが、その後の展望が開けない。
首尾良く基地を脱出できたとしても、周囲は砂漠である。
独力で逃げきれるとは思えない。
助けがくるのを待つことだ。
配置を変えたのが戦闘に備えてのことだとしたら、みんなが近付いてきているということかもしれない。
カレンの姿勢は変わらない。
部屋に差し込む光から、カレンが見つめているのは西の方だと知れた。
『砂漠の入り口』と呼ばれるユガケの街がある方向。
彼女は、そこから連れてこられたらしい。
どんな想いで西を見つめているのか。
カレンも、待っているのかもしれない。
肩を叩かれた。
少しだけ、という約束だった。
「……みんな、きっと助けに来てくれる」
セシルと並び、廊下を歩く。
捕虜と看守のような関係であるはずだが、共に歩いても不快にはならない。
「あの人、助けるから」
同じ立場である。
他人事だと見捨てたくない。
宣言すると、セシルはちらりとこちらを見て。
「そう」
とだけ呟いた。
感情や意思を強く表に出さない女性である。
ふと嫌な視線を感じ、ティアは立ち止まった。
外で談話している複数の男たち。
その一人が、にやにや薄ら笑いを浮かべながらティアたちのことを見ている。
「あの人……」
数日前に部屋に入り込んできた、ウェインの部下。
セシルが睨むと、男は口を尖らせた。
口笛を鳴らしたのかもしれない。
「……今日は、散歩やめとく」
「……そうね。そうした方がいいと思うわ」
セシルの横顔が、頷いた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
基地の西に突出していたカリフの部隊が、半数ほど帰還してきた。
クロイツによれば、ラグマの軍勢が北西と南西から迫りつつあるという。
それに押され、一旦前線を収縮させたという形である。
ラグマ軍を指揮するのは、執務官ジェイク・ギャメ。
クロイツが言うには、牽制の軍であり本気ではない、ということだった。
断言していたので、間違いないことなのだろう。
前線を引かせたのは、戦うにしても対峙するにしても、もっと引き寄せてからと考えているからかもしれない。
それだけこちらは補給が容易くなり、向こうは困難になる。
「明日、また発ちます」
カリフが、日に焼けた顔に精悍なものを見せながら言った。
「急だな」
カリフの隣で地平を眺め、イグニシャは返した。
「クロイツ様と会ってきましたが」
「ああ」
「ルーアたちが近くまで来ているようです。数日のうちに前線とぶつかるということ」
「そうか」
カリフは、元々補給のために帰還したのだった。
従う巨漢の剣士ナルバンの姿はない。
前線の指揮に残っているのだろう。
「私も、前線に出るが」
「聞いております」
「十名部下を連れていくつもりだが、九名までしか決まっていなくてな。あと一人を誰にするか迷っているのだ、カリフ」
実戦経験の乏しい隊員がいる。
成長著しい者がいる。
そういった者たちを優先して使いたいが、それは穴になる恐れがあった。
ルーアたちのこれまでの戦いぶりは、検証してある。
穴を見落とすほど、優しくはないだろう。
ここは、熟練の部下だけを連れていくべきか。
だが、実戦の機会は貴重である。
強敵が相手となれば、尚更だった。
ルーアたち一人一人が手強い理由の一つは、実戦を積み重ねてきたことにあるだろう。
「明日の朝までには決めるつもりだが……我々の出発は、一日か二日遅れるかもしれない」
「問題ないでしょう。ルーアたちとの決戦は、まだ少し先の話です」
「そうだな」
カリフは、落ち着いている。
これも、実戦に慣れているからだろう。
この砂漠で長く生きてもいる。
片腕のナルバンは、ザッファー人だった。
元々は、『カラフト・テヌ・ディアン』という職業についていたが、ラグマ王国に流れてきたところを、カリフにスカウトされた経歴がある。
『カラフト・テヌ・ディアン』とは、元々はザッファーの古語である。
現在世界で一般的に使用されている共通語に直訳すれば、『職業的に対魔法使い戦闘用の訓練を受けた魔法使いではない者』、というところか。
「前線では、兵士の指揮を執りますか、フラウ殿?」
「いや、それは任せる。私は、自分の部下たちの指揮に専念するさ」
カリフもナルバンも、砂漠での戦闘経験が豊富だった。
二人に任せておいた方が良いだろう。
「私の部隊は、夜間戦闘や奇襲に長けた編成になる」
「わかりました」
イグニシャの透視能力ならば、闇も苦にならない。
イグニシャが全てを見渡し指示を出す。
伝心の能力を持つ者が、それを隊員たちに伝える。
それで、夜の闇は味方にできる。
「クロイツ様には、突破されても構わない。ただ、できるだけ敵を分散させろ、と言われています」
カリフが言った。
前線で指揮を執る者同士、意思の疎通、作戦の確認、意見交換は必要となる。
カリフはイグニシャよりも何歳か年上だが、こちらの立場を尊重してか、上からの物言いはしない。
イグニシャとしてはやりやすい。
前線を突破されても構わないという理由は、よくわかった。
基地には、前線以上の戦力が残っている。
「私は、ルーアを狙うように言われている」
「ルーアを、ですね?」
確認するように聞き返すカリフに、イグニシャは頷いた。
殺せるだろう。
クロイツはルーアに利用価値を見出だしていたようだったが、計画を変更したのかもしれない。
カリフが、顎に手を当てなにやら考え込む。
「……どうした?」
「……いえ。今回の作戦、ローシュ殿が前線の指揮官だろうと思っていましたが」
「……そうだな。私も、そう思っていた」
ウェインは、単独行動を好む。
十人の指揮と八十八人の指揮ならば、十人の指揮を選ぶ男だ。
イグニシャとウェインが話し合って決めれば、間違いなくウェインが前線で指揮を執ることになった。
「……クロイツに、なにか思惑があるのだろう」
「ふむ……」
顎を押さえたまま、カリフが唸る。
「……フラウ殿」
「なんだ?」
「あなたとクロイツ様には、似ているところがある」
「……そうかもしれないな」
それは、自分でも意識していた。
クロイツ以上の頭脳の持ち主を、イグニシャは知らない。
指示を出す時、作戦を組み立てる時、クロイツならばどうするかと、いつも頭の片隅では考えている。
「しかし、それがどうかしたか?」
「……いえ、少し気になることが。ですが、杞憂でしょう」
「?」
「それでは私は、部下の指揮に戻りますので」
前線に立つ者同士、隠し事をするのは余り好ましくない。
だが、聞き出す前にカリフはさっさと離れていってしまった。
武器庫から出てきた兵士たちに、なにやら声をかけている。
(……私とクロイツが似ているとして、なんだというのだ?)
クロイツ以上の天才はいない。
その天才と似ていても、なにも問題はないだろう。
つまり、カリフが気にしたことは、当人が言う通り杞憂なのだ。
それからしばらく砂漠の日に当たり、イグニシャはそのことを忘れることにした。
◇◆◇◆◇◆◇◆
両手と両足を、縄で拘束された。
(そりゃそうよねー……)
ティアはふかふかの寝台に横になり、高い天井を眺めた。
囚われの身なのである。
救助の者たちが迫ってきていると知りながら、いつまでも自由の身にしておくはずがない。
セシルは、部屋の隅でなにかの雑誌を読んでいる。
話し掛けても、余り相手をしてくれない。
入浴と歯磨きを済ませた後は、いつもそうだった。
早く寝ろ、という合図らしい。
ティアがうとうとし始めると、セシルは明かりを消して部屋を出ていく。
そして、多分ウェインの部下が部屋の外で扉と窓を見張るのだ。
縄で手足を縛られている感覚がどうしても気になり、今晩はなかなか寝付けそうになかった。
だから、セシルも部屋を出ていけない。
嫌がらせで、ずっと起きていようか。
そんな考えが、ティアの頭を過ぎった。
セシルも、眠れなくなるだろう。
突然、扉が開いた。
部屋に入り込んでくる者の姿に、はっと身を起こす。
ウェインの部下、『百人部隊』の隊員、短い髪に四角い顔の輪郭の男。
数日前にティアに乱暴をしようとした、あの男である。
「この部屋は……」
セシルがボウガンを手に立ち上がる。
男が、腕を振った。
セシルとの距離はあったはずだ。
だが、ボウガンが叩き落とされる。
男は、手になにかを持っていた。
細長く、色が薄いなにか。
間合いを詰め、セシルの額の辺りを掴む。
そして、抵抗するセシルの体を二回、壁に打ち付けた。
ずるずると崩れ落ちるセシル。
負傷したらしく、こめかみから一筋の血が流れている。
「セシルさん!」
「へっ……」
寝台から降りようとしたティアに、男が嫌らしい笑みを向けてくる。
鳥肌が立ってしまう笑い方。
「……!」
逃げようとして、手と足を拘束されていることを思い出す。
それでも這うようにして、ティアは移動しようとした。
眼の前をなにかが通り過ぎ、壁に突き立つ。
セシルの手から、ボウガンを払い落とした武器だろう。
それは、男の人差し指から伸びていた。
(……爪?)
爪が刃物のように、壁に突き刺さっているのだ。
中指からも、爪が伸びる。
ティアが着ている寝巻きは、ゆとりのあるひらひらしたものだった。
その寝巻きの肩のところを爪は貫き、ティアの体を縫い付けるように壁に突き刺さる。
男が、足を浮かせた。
飛行の魔法を使っているかのような勢いで、こちらに向かってくる。
伸ばした爪を縮めることで、自分の体を運んでいるようだ。
瞬きするほどの時間で、男はティアの側まで移動していた。
「やっ……!」
嫌悪感から、ティアは拘束された手を男の顔に向けた。
しかし、あっさりと払いのけられる。
その勢いで、爪が刺さっていた寝巻きの肩の部分が破れる。
寝台の上に、押し倒された。
「やだやだやだやだっ! 冗談じゃ……!」
抗おうにも、手足の自由が利かない。
それに、力が違い過ぎる。
男の手に、顎を押さえ付けられた。
そして、男が顔を近付けてくる。
だが、男は動きを止めた。
天井が崩れたのではないかというような圧力を感じる。
部屋の入り口に、無表情な大男が佇んでいた。
「ザイアム……!」
ティアに跨がっていた男が、顔を引き攣らせる。
ザイアムの後ろには、ノエルもいた。
ザイアムの脇を通り抜け、セシルの側で膝を付く。
怪我の具合を気にしているようだ。
ザイアムが、足を前に出す。
なにか重たい物を引きずるような足音が響いた。
男が、慌ててティアの上から飛びのく。
ザイアムが、また前進した。
「待て! 待ってくれ、ザイアム! これは、ちょっとふざけただけで……」
無表情なまま、ザイアムがまた進む。
男は殺されるだろう、とティアは思った。
男に対する明確な殺気を感じる。
ティアには向けられていない。
それなのに、吐いてしまいそうなまでの強烈な殺気、圧力。
なぜそこまでザイアムが腹を立てているのか、ティアにはわからないが。
この部屋は、男性の出入りが禁止されていたはずだ。
それを決めたのは、ザイアムだという。
男がそれを破ったから、怒っているのだろうか。
ザイアムが進む。
迫るその姿に、男が寝台から転げ落ちる。
「それくらいにしてやってくれ、ザイアム」
背後から声をかけられ、ザイアムが動きを止める。
新たに部屋に現れたのは、ウェイン。
肩越しに向けられるザイアムの視線に臆する様子もなく、部屋の中を進み、大男の横を通り過ぎる。
腰を抜かしているらしい部下の腕を掴み、無理矢理立たせた。
「……全面的にこちらに非がある。が、許してくれねえかな?」
「……」
「こんなのでも、俺の部下だ。部下の不始末は、躾けなかった俺の責任でもある。あんたに殺されるのを、黙って見ている訳にもいかない」
「……」
見下ろすザイアムの視線。
部下を庇いながら、堂々とウェインはそれを受け止めていた。
「今回だけだ、ザイアム」
「……」
ザイアムが、息を抜く音が聞こえた。
部屋に満ちる重苦しい空気が、少しだけ軽くなったような気がする。
背中を向けた。
「……今回だけ」
ぼそぼそとした声。
「今回だけ、お前の顔を立てよう」
「すまんな」
そのままザイアムは、ゆっくりとした歩調で部屋を出ていった。
治療のためか、ノエルに肩を借りセシルも退室する。
座り込んだ部下に蹴りを入れ、引っ張り上げるようにして立たせ、それからティアに視線を向け、ウェインは溜息を付いた。
なにか言ってくるかと思ったが、無言で部下を引きずっていく。
部屋に一人となり、ティアは震えた。
肩に触れる。
少し破れた寝巻き。
危ないところだった。
乱暴なことをされそうになったら舌を噛み切るつもりだったが、いざとなったら思い出すこともできなかった。
シーツに窪みができている。
押し倒された時に鎖が壊れてしまったのか。
瘴気を防ぐというネックレスの形をした魔法道具が、シーツの中に埋もれていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
ウェインは、グレイを殴り倒した。
ティア・オースターに乱暴なことをしようとした、愚かな部下である。
若い女を好むのは知っていたが、ザイアムの娘に手を出そうとするほど自制が利かない男だったとは。
それとも、実際に殺意を向けられるまで、ザイアムの怖さがわからないような阿呆なのか。
「グレイ、お前は、イグニシャに付いて前線に出ろ」
「……お、俺がですか?」
鼻から下を血で染めたグレイが、顔を上げる。
前線に連れていく人選はイグニシャに任せているが、まだ途中だったはずだ。
そこに、グレイを捩込む。
イグニシャは、グレイのような思慮に欠ける人物を嫌う。
グレイには好戦的なところがあり、それは前線に向いているとウェインは考えていた。
指揮官が上手く使ってやれば、力を発揮するだろう。
人を使うことに関しては、ウェインよりもイグニシャの方が上だった。
「逃亡は死。戦って、結果を残せ。俺とイグニシャが満足できる働きができなかったその時は、俺がお前を殺すぞ」
グレイが、震え上がる。
寛容な宣告だろう。
活躍すれば、今回の件については許してやる、と言っているのだから。
グレイは、あのザイアムの決定に逆らうような真似をしたのだ。
本来なら、くびり殺されている。
「わかったら、行け。備えるなり体を休ませるなりしてろ」
蝿を追い払うように、ウェインは手を振った。
何度も頷き、グレイは走り去っていく。
夜は更けている。
ザイアムには、きちんと謝罪をしておく必要があるだろう。
それは、朝になってからの方がいい。
今はまだ、怒りを忘れることができていないはずだ。
ザイアムの大きな姿を思い浮かべ、ウェインは溜息を付いた。