砂漠の強者たち
ザブレ砂漠にある小城のような『コミュニティ』の基地に、新たに辿り着いた者たちがいる。
先頭でラクダに跨がっているのは、ノエル。
芝生の上で待っていたイグニシャを一瞥し、顔を歪める。
人の好悪がはっきりとしているところが、ノエルにはある。
ノエルには嫌われているだろうという自覚が、イグニシャにはあった。
おそらく、クロイツのことも嫌っている。
そして他人の眼には、イグニシャとクロイツは似ているところがあると映っていることだろう。
珍しく、ザイアムが外に出てきた。
ラクダから飛び降りたノエルが、少年のように眼を輝かせて師である男に駆け寄る。
基地に来てからしばらく経つが、ザイアムは与えられた部屋から出ることがほとんどなかった。
それが外へ出たのは、なんのためか。
弟子を迎えるためか。それとも。
ザイアムの無気力な眼差しからは、感情は読み取れない。
ノエルの後ろに続いていたのは、女だった。
ノエルとは違い、危なっかしい様子でラクダに乗っている。
親の形見のように大事に抱えているボウガンを捨てれば、少しは安定するのだろうが。
砂漠の日に髪が青く光沢している、なかなか美しい女である。
今の状況で襲撃などないだろうが、いつでも矢を放てるよう周囲を警戒している。
感心な心構えだが、若い女がボウガンを持っている姿は、どうにも浮いて見えた。
更に続くのは、二人組の男である。
上部に棒を通した籠を、輿のように二人で担いでいた。
おそらく、籠を運ばせるために途中から同道させた兵士だろう。
砂漠で肉体労働とは過酷だが、所詮は動く死体である。
この砂漠では、いつまでも動き続けはしない。
どんな扱い方でもできるというものだ。
最後尾にいるのは、赤毛の男だった。
それがウェインだと、この基地にいる兵士以外の全員が知っている。
籠や兵士たち、女を追い抜き、ラクダを降りる。
基地の入り口や外に配置されていた『百人部隊』の隊員たちが、歓声のようなものを上げた。
ウェインはおざなりに手を振り、籠に近付いた。
転がり出てきたのは、女である。
ティア・オースターだろう。
逃亡でも試みたのか、両手両足を縛り上げられている。
ウェインが、軽々とティア・オースターを担ぐ。
罵声のようなものが砂漠に響いた。
「きゃああ!? ちょっと……」
「ええい、耳元でうるさいな」
「どさくさに紛れて、どこ触ってんのよ!」
「どっこもややこしいところは触っとらん! 誤解を招くような言い方を……」
「……という台詞には、男の妄想を促進させる働きがあると変態兄貴に教わりまして」
「……そうだとして、君になんのメリットが……?」
呻きが聞こえる距離まで、ウェインは近付いてきていた。
イグニシャを認め、気軽に手を上げる。
「よお、イグニシャ」
「無事に到着してくれて良かった、ウェイン。心配はいらないと思っていたが」
イグニシャは、部下を二人呼んだ。
数少ない『百人部隊』の女隊員である。
「ティア・オースターを連れていけ」
イグニシャの命令に敬礼すると、ウェインからティア・オースターを受け取る。
女であることに安心したか、喚き続けていたティア・オースターがいくらかおとなしくなる。
十八歳であったはずだが、十六、七くらいにイグニシャには見えた。
「セシル」
ウェインが、連れていかれるティア・オースターを顎で指す。
セシルと呼ばれたボウガンを持つ青い髪の女は、疲れた様子ながらも気丈に頷き、『百人部隊』女隊員たちと連行されるティア・オースターに付いていった。
「……あの女は?」
「ティア・オースターの世話係。戦力にはならんが色々気が利く、使える女だ」
辟易した様子で体に付いた砂を払いながら、ウェインが答える。
「さすがに疲れたな。長旅の上に、最後は砂漠だからな」
「そうだろうな。部隊の配置状態など確認してもらいたいところだが」
「明日にしよう。当分敵さんは来ないだろうし。と言うか、あんたの配置なら問題ないだろ。今日は、もう休む」
ウェインは、余り隊員たちの指揮を執らない。
だから、大抵イグニシャが指示を出す。
いつものことだった。
自分が不在となった時に問題が発生するような気がするが、そんな場合に備え、現在指揮を執れる者を十名育てていた。
そのうち三人が、頭角を現しつつある。
そういうことも報告しておきたかったが、明日でも問題はないだろう。
女たち四人に遅れて続くウェインの背中を見送る。
入り口の近くにいるザイアムと適当に会話を交わし、ウェインたちは基地へと入っていった。
ザイアムに何事か言われたらしいノエルも、口を尖らせながらウェインたちに付いていく。
もしかしたら、クロイツに挨拶でもするよう言われたのかもしれない。
なぜザイアムほどの面倒臭がりが、外まで出迎えに現れたか。
ティア・オースター。ザイアムにとっては、娘のような存在であるはずだ。
あるいは、彼女のことが気になったのではないか。
ザイアムは、ティア・オースターを一瞥もしなかった。
逆にそれが、気にしている証のようにも思える。
ウェインたちが基地に入っても、ザイアムは戻ろうとはしなかった。
入り口の前で、石像のように突っ立っている。
視線がこちらに向いていると、イグニシャは気付いた。
促されている心地で、イグニシャの足は大男の方へ動いた。
「ザイアム、あなたが部屋の外へ出るとは、珍しい」
「……たまにはな」
ザイアムが、寝起きの様子そのままに、視線をさ迷わせる。
砂漠の地平を見遣り、太陽を見上げ、眼を細めた。
眩しくはあっても、暑くはない。
基地とその周囲には、クロイツが持つ魔法道具の力が働いている。
気温や湿度は、常に快適な状態に保たれていた。
草花も育ち、水だって湧く。
小城のような基地を建設できるほど、大地は安定している。
「……ウェインは」
なんとなくというふうに、ザイアムがその名前を口にする。
「たいした男だな。『百人部隊』の者たちが、活気づいた」
「ウェインのあれは、生れついたものだ。生まれた時からある、資質だ。私には、真似はできないな」
ウェインの味方以外にはわからないかもしれないが。
ウェインは、味方の誰からも嫌われない。
その特性を妬んでいた時期が、イグニシャにはある。
過去の話だ。
今は、『百人部隊』副隊長として、ウェインの補佐をすればいいと思っている。
ウェインにはできずイグニシャにはできることだってあるのだ。
「ウェインは、まるで……」
そこで、イグニシャは言葉を呑み込んだ。
人を引き付けるところがある。
人の上に立つことを、宿命付けられているかのように。
そして、赤い髪。
「……まるで、死んだボスのような、か?」
ザイアムの言葉に、イグニシャは喉を動かし、今度は唾を呑み込んだ。
しばらくは、なぜか気付けなかったことだ。
同じ部隊の隊長と副隊長になり、成長していくウェインを側で見ているうちに、ふと思うようになった。
外見や雰囲気が、ボスとウェインは似ている。
認める形で、イグニシャは頷いた。
「……次のボスはウェインなのではないかと、私は思っていた時期がある。ウェインこそが、『ルインクロード』の『中身』なのではないかと」
「私もだ」
その考えに至った時は、歓喜した。
自分は、時期『コミュニティ』の、信頼足る右腕になるのだと思った。
「ルインという少年の存在を知り、私の考えは否定されたが」
宮廷魔術師として、ドニック王国に潜入していた少年である。
ルインは、死んだボスと魔力の質が余りにも酷似していた。
イグニシャの思惑を打ち砕くほどに。
そして、ボスの死亡と同時に生まれた。
「だが、イグニシャよ」
呟くように言うザイアムに、イグニシャは首肯した。
「ああ。ルインさえも、真の『ルインクロード』の『中身』ではなかった」
あの男は、『器』であるハウザードを試すためだけに造られた存在だった。
それでは、ウェインはなんのために存在しているのか。
ただ『百人部隊』の隊長となるために、育てられたのか。
イグニシャもウェインも、『コミュニティ』が計画的に男女を交配させて産ませた存在だった。
能力者だったイグニシャは、クロイツの指示により、能力解析のための検査を徹底的に受けさせられた。
だが、クロイツはウェインに関心を示そうとはしない。
つまらない能力だからという理由で。
本当にそうなのか。
別の理由があるのではないか。
例えば、その能力がなんなのか、ウェインが何者であるか、最初からわかっていれば、わざわざ調べる必要もない。
「……誰にでも、役割はある」
イグニシャの言葉に、ザイアムは反応しなかった。
それはそれで構わなかった。
ただの独白でいい。
ザイアムは、ストラーム・レイルに対抗するために造られた、成功以上に最高な失敗作だった。
イグニシャは、『コミュニティ』の戦闘員、そして能力者として産まれた。
そんな者は、大勢いる。
彼らを押し退け部隊を指揮する立場まで上り詰めたのは、これまで訓練に必死で取り組んできたからだと思っている。
(……誰にでも、役割はある)
胸中で呟いた。
ザイアムは反応しないのだから、言葉にする必要はない。
クロイツは、全ての者に役割を与え、期待している。
ソフィアやパサラ、あのノエルにも。
死んだハウザードやズィニアにも、役割はあった。
ルインにも。
(それでは……)
イグニシャは、考える。
自分の近くの立場である、その男のことを。
自分が従う、彼のことを。
ウェイン・ローシュには、亡きボスの面影を残すあの男には、果たしてなんの役割が与えられているのか。
◇◆◇◆◇◆◇◆
ザイアムは、螺旋階段を登っていった。
この基地では、最も高い所へと繋がる。
城のような造りの建造物であるため、城塔とでも呼べばそれらしいのかもしれない。
本来は、高所から周囲を見張るために建てられた塔だが、配置されていた者は現在、クロイツにより追い払われていた。
そのクロイツは、夕方過ぎに塔に登ったきり、夜半になっても降りてこない。
クロイツに用があった。
だから、ザイアムの方から向かっていた。
面倒だが、仕方ない。
ティアが、基地に連れてこられた。
一室に軟禁している状態である。
ザイアムの命令により、ノエルが捕らえ連れてきた。
周りの者は、ノエルはザイアムの弟子であり、部下だと認識している。
つまり、ノエルが捕らえたティアの管理は、ザイアムの管轄となる。
クロイツといえど、手出しはできないはずだ。
それでも、なにかを企むかもしれない。
ザイアムからクロイツの元を訪れることで、それを抑止することになるだろう。
自分の管轄であると主張する効果もある。
わざわざ口にすることもあるまい。
クロイツならば、牽制されていることに勝手に気付く。
ティアのために、クロイツは基地をきらびやかな城のようにしたのではないかと思う時があった。
ティアには、少女趣味なところがある。
ピンクや白といった色を好む。
ぬいぐるみの収集癖があった。
無骨な砦のような外観の基地よりも、ティアの趣味に合っているだろう。
逃亡する気を削ぐ程度の効果はあるかもしれない。
もっとも、ティアの力では逃亡など不可能だろうが。
その能力を最大限活かしても、無理だ。
イグニシャがいる。
実に効果的に部下を配置していた。
外からの襲撃を警戒するだけでなく、内から出ていく者にも注意するような人の置き方である。
そこまで意図して指示を出せる者は、そうはいない。
全体を見る眼が、イグニシャにはあるということだ。
最上部へと出た。
望遠鏡などがあるが、それは使わずクロイツは遠くを眺めている。
「……なんの用かな、ザイアム」
「……いや、べつに」
振り向こうとしないため、クロイツの背中に言葉を返す。
魔法道具の力が一帯に働いているためか、高所でありながら風は入ってこない。
クロイツの着るローブが、微かに揺れる。
身じろきしているようだ。
「……なぜこんな所に、クロイツ?」
「余り意味はないな。ただ、高い所から外を見たくなった」
「……なにを考えている」
「……なにも」
それは嘘だろう、とザイアムは思った。
エスとは違い、クロイツは嘘をつくことに抵抗を持たない。
意味もない嘘をつくこともある。
喋っている時も、食事をしている時も、寝台で横になっている時も、常にクロイツはなにかを考えているような男だった。
クロイツが、ザイアムと対面するように体の向きを変える。
身を壁に預け、窓から落ちるつもりではないかというくらい首を後方へ傾け、クロイツは聞いてきた。
「なぜこの地が砂漠になったか、君は知っているか?」
「……知っている」
エスの誘導により、過去に幾度かここで戦闘があった。
繰り返すうちに、大地は滅んでいった。
長い時間が経過した今も、ここは生命の乏しい砂漠のままだった。
「君が、ティア・オースターをここに連れてこさせた理由を、私なりに推測した。あの娘を捕らえれば、彼は必ず救助に向かう。それが、どこであろうとも」
「……」
「『ダインスレイフ』の力や『魔女』マリアベルの魔力を喰らい、だが現状、彼は人のままだ。ドラウ・パーターは、まだ人でいるよう彼を導いた」
「そうだな」
「ドニック王国東部では、都合が悪いか?」
「……」
ドニック王国東部。ハウザードが、『器』を磨いた地。
あそこは、新し過ぎる。
刺激が強すぎる。
「……勘違いしないで欲しいが、ザイアム。私は、非難している訳ではない。悪くはないと思うよ。最大限利用させてもらう」
「……」
「現在、私が最も懸念していることがなにか、わかるかね」
「……さあな」
身を乗り出したまま、クロイツは首の向きを変えた。
北東の方か。ザッファー王国がある方角である。
「ザッファー王国のすぐ北が、リーザイ王国だ」
「……ああ」
「ザッファー王国には、ソフィアがいる。その意味がわからない、君ではないだろう?」
「……」
おそらくは、そこに『中身』もいる。
「決着を付けるために、終わらせるために、ストラーム・レイルは南下をするのではないか? 私は、それを恐れている」
「……南下できるか?」
「ライア・ネクタスを破棄する覚悟が固まったら、彼は南下するだろう。我々としては、『器』も『中身』も失う痛恨の一手となる」
「『中身』か……」
昼間にイグニシャと交わした会話を、ザイアムは思い出した。
「イグニシャは、ウェインが『中身』だと思っていた時期があったそうだ」
「ほう」
クロイツは身を乗り出すことをやめ、真っ直ぐにザイアムと眼を合わせてきた。
楽しそうに瞳を輝かせている。
「……私も、以前はそう思っていた」
ザイアムが言うと、クロイツは笑い声を上げた。
「その通りだよ、ザイアム。ウェイン・ローシュこそが、『ルインクロード』の『中身』だ」
「……」
ザイアムは、眼を細めてクロイツを見つめた。
クロイツは、意味もなく嘘をつく。
視線を煩わしいと感じたのかもしれない。
顔の近くを飛び回る虫を払うように、クロイツは手を振った。
それは、話題を変える合図でもあったようだ。
「前線となるであろう地域の監視は、カリフに任せてある」
「ああ」
このザブレ砂漠に詳しい男だった。
部下であるナルバンという剣士と兵士たちの指揮を執り、来たる戦闘に備えている。
「これに、『百人部隊』の精鋭を加える。十名ほどでいいだろう。イグニシャに選抜させるつもりだ」
「……指揮官は?」
「イグニシャ」
「ウェインは?」
「基地に残り、他の隊員の指揮を執る」
「……逆の方が良いのではないか?」
ウェインは、少人数の指揮を望むだろう。
というよりも、大勢の指揮を執りたがらない。
単独行動を好む男だ。
「……ウェインは今後、できるだけ前線には出さないようにする。相手にルーアがいる場合に限ってだが」
「……なぜ?」
「ウェインは、ルーアと決着を付けたがるだろう。指揮官の立場上、無駄な一対一などできないだろうが、作戦に影響を及ぼす可能性はある。一対一になるように作戦を展開するかもしれない」
「……それは、まずいことなのか?」
ウェインがルーアに劣るとは思わない。
五分五分というところだろう。
賭けるものは同じである。
「……あの二人は、戦闘スタイルが噛み合い過ぎる」
「だから、それがまずいのか?」
クロイツは、少し驚いたような顔をした。
「意外だな。君がそれに気付いていないとは。ウェインでは、ルーアに勝てない。おそらく、ほぼ絶対に近い可能性で」
「……」
「ルーアの最大の長所に、私は気付いたよ。先のウェインとの戦闘で、確信した」
「……ルーアの、最大の長所?」
「なんだと思う?」
「……」
難しい問いだった。
ルーアは、長所を多く持つ。
そして、短所がない。
全てが平均以上であり、飛び抜けた長所がない。
それがルーアだった。
「……髪が、赤くて長い。すごく」
「君の冗談はつまらないな」
クロイツはザイアムの言葉を一蹴して、告げた。
「彼は、負けたことがない。必ず、引き分け以上の結果に持ち込む」
「……負けたことがないだと?」
ソフィアに負けたことがあるはずだ。
ザイアムも、負かしたことがある。
ストラーム・レイルやランディ・ウェルズは、弟子に勝ちっ放しの人生を歩ませるほど甘くはないだろう。
「ある条件下に限るがね」
「条件とは?」
「対等以上の条件で戦える環境であること。そして相手の実力が、同等か、同等以下であること」
「……」
「彼の過去のデータを調べた。それによると、訓練における試合形式だろうと実戦だろうと、対戦相手の実力が同等か同等以下の場合、ルーアは必ず引き分け以上の結果に持ち込んでいる。これがどれだけ異常なことか、わかるだろう?」
「……ああ、わかる」
自分と互角の実力の持ち主と、何度も戦ったとする。
相手と同じ程度勝ち、そして負けるだろう。
全てにおいて引き分け以上の結果に持ち込むなど、誰にもできない。
ザイアムにも、ソフィアにも、ストラーム・レイルにも。
ザイアムは、クロイツの肩越しに見える砂漠を眺めた。
この地では、過去に幾度も『ルインクロード』と『ネクタス家の者』がぶつかった。
ハウザードが『器』を完成させた、ドニック王国東部のように。
クロイツの声が、響く。
「自分と同等か同等以下の相手には、必ず引き分け以上の結果に持ち込む彼が、もし誰よりも強大な力を手にしたら。その時、この世界はどうなってしまうのだろうな?」
◇◆◇◆◇◆◇◆
「……なんでしょうねえ。この扱いは……」
広い部屋、ふかふかな寝台の上で、ティアは呟いた。
敵に捕まり、連れ去られた。
囚われの身になったということであるはずだ。
(それにしては……ねえ……?)
女は捕まるな、そういうことを以前言われた。
意味は、ある程度わかる。
だが、捕まってしまった。
最悪なことも考えた。
もしスケベなことをされそうになったら、舌を噛み切って自殺しよう。
そこまで覚悟を決めていた。
舌を噛み切っても死ねるとは限らないとか、聞いたことがあるような気もするけど。
ホルン王国からニウレ大河を遡上し、ラグマ王国に入国した。
そこから更に南下し、昼は灼熱、夜は凍り付くようなザブレ砂漠を進み、連れていかれた先は、小さなお城のような建物だった。
『コミュニティ』の基地の一つなのだろう。
あのザイアムという男がいた。
ルーアを死なせかけた、大男。
どんな乱暴をされることか。
拷問などを受けるのだろうか、などと考えていたが、今のところそういったことは一切ない。
それどころか、大切な客人のような扱いである。
セシルの他にも監視が二人増えたが、いずれも女性である。
ウェイン・ローシュの部下らしい。
部屋を与えられたが、広大なものだった。
天井には豪華なシャンデリア、敷かれている絨毯は年代物だろう。
置かれている調度品は、高級品ばかりである。
金持ちの御令嬢とかの部屋は、こんな感じなのかもしれない。
オースター孤児院で育ったティアにとって、これだけ立派な部屋で過ごすのは初めてのことだった。
幼い頃は姉や妹と同室だったし、ようやく獲得した個室は手狭なものだった。
体を洗いたいと言えば、ちゃんと浴室に連れていってもらえる。
外を歩きたいと言えば、見張り付きではあるが緑の芝生を踏めた。
剣の訓練をしたいと言えば、木剣を渡される。
食事もちゃんとしたものが出されるし、それが美味だったりする。
料理の練習をしたいという要求だけは、却下された。
全身を映せる鏡の前で立ってみる。
今ティアは、舞踏会でお姫様が着そうなドレスを身に纏っていた。
どこまで我が儘が通るのかと冗談半分で要求したら、本当に準備されたのだ。
せっかくの機会だから着てみようとは思う。
たまには、綺麗な格好をしてみたいのだ。
(こうしてみれば、あたしもなかなか……)
普段はユファレートが近くにいるので霞んでしまうが、一応ティアも女として、それなりであるはずなのだ。
うん、きっと。
それなりだったらいいな。
基地にいる男共に乱暴なことをされないのも、女としての魅力がないからではなく、なにか複雑な理由があるからなのだ。
鏡の前でくるくると回ったり、ポーズを取ったりしてみる。
ティアが動くたび、身に付けているネックレスがちゃらちゃら鳴った。
ウェイン・ローシュによると、砂漠には瘴気が漂っており、長時間浴びると人体に害を与えるらしい。
このネックレスは、それを防ぐための魔法道具だった。
ユファレートとハウザードが戦った場所と同じような空気なのかもしれない。
ウェイン・ローシュやセシルも似たようなアクセサリーを身に付けているし、ノエルは『ブラウン家の盾』を装着している。
他の『コミュニティ』の者たちも、なんらかの方法で瘴気を防いでいるのだろう。
肌身離さず持ち歩くように忠告されているので、風呂に入る時も寝る時も外さないようにしていた。
敵の言う通りにするのは少々癪だが、体調は崩したくはない。
(それにしても、暇……)
仲間たちはいない。
一人で時間を持て余すことが多かった。
身の回りの世話をしてくれる三人の女性たちは、敵であることを意識しているのか、余り話し相手になってはくれない。
「あの、なにを……?」
「!?」
背後からの遠慮がちな声に、スカートの裾を摘んだポーズのまま、ティアはしばし硬直した。
恐る恐る振り返ると、セシルが申し訳なさそうな眼差しでティアを眺めている。
「いや、これはですねえ……」
慌てて手を振り、鏡から離れ、寝台まで退却する。
「深い意味などなくて……」
「……そうね。深くは考えないことにするわ」
「うう……」
着飾った自分の姿を鏡に映して楽しんでいたのだが、それを人に見られるのはなんだか恥ずかしい。
「て言うか、ノックくらいしてください!」
「今度からは、忘れないようにするわ」
セシルは、いつものようにボウガンを持っていた。
小脇に抱えている。
それがもったいないようにティアは思う。
ユファレートがお洒落をしないのと、同じもったいなさである。
「あの……それで、なんの用ですか?」
「そろそろ、あなたが散歩をしたがる時間だから」
「え?」
窓に眼をやる。
昼下がり。確かにこの時間に、外に出ることが多い。
気を遣ってくれたということだろうか。
「それで、どうするの?」
「……どうしましょう?」
芝生を歩くのも花を眺めるのも嫌いではないが、いくらか飽きを感じるようになってきた。
ただ、体を動かさないのは運動不足になりそうだった。
ただでさえ食事がおいしいので、体重とか気になっているというのに。
それに、暇なのである。
「……セシルさんは、普段なにをしているんですか?」
セシルは、ボウガンさえ手放せば普通の女性であるように思える。
基地にいるのに相応しくないような気がするのだ。
戦闘訓練を受けたことがある様子もなく、その気になれば、ティアが取り押さえることも不可能ではないだろう。
他の者たちもいるので、今は控えているが。
セシルを取り押さえ脱出を試みる。
それは一度きりしか試せないことであり、そのため実行する時を慎重に選ばなければならない。
ティアの問いに、セシルは困ったかのような顔をしてみせた。
「……あなたの、監視」
「ですよねー」
セシルとは、会話が弾まない。
だが、こちらの言葉を無視するということはなかった。
「ええと、それじゃあ……」
無理に会話を続ける必要はないが、ティアは質問を捜した。
聞き出せる情報は聞き出しておきたい。
なにが脱出に役に立つか、わからないのだ。
「ここって、何人くらいいるんですか?」
「……さあ? 百人とか、百五十人くらい? 二百人はいないと思うわ」
(百五十人……)
力尽くで突破できる人数ではない。
「……女の人って、あたしたち四人だけなんですか?」
「そうね。……あ」
「……? どうしたんですか?」
「あと一人、いたわ」
「え? どんな人ですか?」
ここに連れてこられて数日経過したが、まだ見たことはない。
「わたしは、よく知らないわ。だけど、あなたと同じよ。どこかから、誰かが連れてきたみたいね」
「……」
ティアと同じ、囚われの身であるということか。
「……会ってみたい」
言うと、またセシルは困ったような顔をした。
「……わたしの一存ではね。上の人たちに聞いてみるわ」
「うん」
『コミュニティ』に捕らえられた人。
どんな人だろうか。
もしかしたら、逃げ出すために力になってくれるかもしれない。
逆に足手纏いになる可能性もあるが、それはそれで見捨てられない。
考えていると、セシルが声を上げた。
部屋の入り口に立っていたところを、背後から押されたのだ。
セシルを押し退けたのは、短い髪に四角い顎をした男だった。
「……ふぅん」
鼻を鳴らし、まじまじとティアのことを見つめてきた。
「若い女だとは聞いていたが……結構……」
眼付きにも口許の笑みにも、身の危険を感じてしまうような嫌らしさがある。
「どれ……」
部屋に入り込んでくる。
「ちょっと……!」
迫ってくる男に、ティアは寝台の上で後退りした。
と、男が足を止める。
「……なんの真似だ?」
睨み付ける先に、セシルがいた。
ボウガンを男に向けている。
「この部屋は、男性の出入りは禁止されているはずです。今すぐに出ていってください」
「……お前、誰に言ってるのかわかっているのか? 俺は……」
「『百人部隊』の方、というくらいなら」
「だったら話は早え。これから起きることについて、なにも知らない振りをしてくれればいい」
「そういう訳にはいきません」
「おい……」
男が凄む。
『百人部隊』という部隊のことは、少しだけ聞いたことがある。
戦闘集団なはずだ。
その隊員である者を、武装しているとはいえセシルに力でどうにかできるとは思えない。
「……わたしに乱暴なことをすれば、ノエルが黙ってはいません」
「……」
「それに、男性の出入りは禁止だとお決めになったのは、ザイアム様です。彼の決定したことに、逆らうつもりですか?」
「……ちっ」
男は舌打ちして、必要もないのに短い髪を掻き上げた。
「……女ぁ、覚えておくからな」
捨て台詞を残し、大股で部屋を出ていく。
ティアは、息をついた。
腰が抜けかけているのを感じる。
足音が聞こえなくなったところで、セシルが絨毯の上に座り込んだ。
こちらは、本当に腰が抜けたのかもしれない。
「……セシルさん?」
「……なによ?」
どこか不機嫌そうに、ティアのことを見上げる。
「……いや、あの……助かりました」
「……べつに……同じ女として見過ごせなかっただけよ。あなたのためというよりも、わたしの自己満足」
「でも、助かりました」
礼を口をすると、セシルは横を向いた。
礼を言われ慣れていないのかもしれない。
(それにしても……)
自分の腕を摩る。
鳥肌が立っていた。
もしセシルが止めてくれなければ、どうなっていたことか。
舌を噛み切らなければならない展開になっていただろう。
今回は助かったが、今後こういうことがないとは言いきれない。
ここは敵の基地であり、やはり現在は囚われの身なのだ。
今更かもしれないが、ティアはそれを強く意識した。