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失い得たもの

イグニシャ・フラウは、ザブレ砂漠にある『コミュニティ』の基地にいた。


小さな城ほどの規模であり、それだけでなく、外装も内装も小洒落た城のようである。


庭には緑の芝生が広がり、色取り取りの花が飾っている。


(……まるで、どこぞの姫君を迎えるかのように)


と、皮肉気に思ってしまう。

邪推する訳ではないが。


少なくとも、この小城を建造したクロイツや、しばらく前から居座るザイアムに、こんな少女趣味があるとは思えない。


ザイアムは、一室を陣取り寝てばかりいる。


『ダインスレイフ』さえ手放し、無防備な姿でただひたすら横になっているのである。


(例えばだ……)


壁に触れる。

何枚かの壁の向こうに、ザイアムがいる。


透視能力のあるイグニシャには、その存在が視えた。


はっきりと姿が見えるのではない。


ぼんやりと、そこにいることがわかる。


イグニシャが持つ発火能力でザイアムがいる部屋に炎を叩き込み、焼き殺すこともできるはずだ。


『ダインスレイフ』を手放している今ならば。


だが、実際に実行しようとしてみれば、どうなるか。


おそらく、イグニシャが殺意を持って発火能力を使おうとした時には、ザイアムは何枚かの壁をぶち破り、この部屋に踏み込んでいることだろう。


抗うべきではない超人が、世の中にはいるのだ。


基地にいるもう一人の超人であるクロイツは、空模様ばかり気にしていた。


ラグマ王国では、五月の下旬から六月の終わりまでは雨期となる。


雨を極度に嫌うクロイツにとっては、さぞ憂鬱なことだろう。


クロイツの指令で、カレンという女を捕らえた。


『悪魔憑き』の被験者で、数少ない魔力を持たない人間での成功例である。


別に他の者が捕らえるために動いても良かったのだろうが、たまたまイグニシャがカレンのいたユガケの街に滞在していたので、任されてやったのだ。


カレンを連れていっても、クロイツは興味ないかのようにほとんど反応しなかった。


空ばかり見ている。

雨を気にするクロイツなど、そんなものだった。


取り敢えずカレンは、この基地にある一室に幽閉してある。


いずれ、我に返ったクロイツから指示があるだろう。


クロイツは、偉大なる魔法使いだった。


まともな土台ではないこの砂漠の地に城のような基地を建造したのも、昼は灼熱の太陽が照り輝き、夜は氷点下まで気温が下がる大地に芝生や花々を生やしたのも、クロイツの魔法の力だった。


厳密には魔法道具の力であるが、クロイツの魔法の力と言い換えても差し支えない。


ザイアムもクロイツも、超人でありながら欠点がはっきりしている。


超人であるが故に、隠しきれない欠点も生まれるのかもしれない。最近イグニシャはそう思うようになった。


もっとも、もう一人の超人であるソフィアには、欠点など見当たらないが。


超人たちに次ぐ力を持つのが、ノエルだろう。


死んだズィニアや消え去ったハウザードも、その位置にいた。


そして、彼らに続くのが自分ということになる。


イグニシャは、そう自己の力を評価していた。

大きく間違ってはいないはずだ。


よくわからないのが、クロイツの懐刀のような存在であるパサラだった。


一度だけ顔を合わせたが、別れ際にこちらの意識に侵入してきたのだ。


なんとか記憶の改竄を阻めたが、そうしなければパサラの存在そのものを忘却させられていたかもしれない。


まあいいさ。イグニシャの意識の中で、パサラはそう言って笑った。


俺のことを記憶しても、なにも得することはない。そう言って、去っていった。


パサラは、厄介な存在なのかもしれない。


ザイアムやソフィアのような鮮烈さはなく、霧のようにぼんやりとした存在なのではないか。


なぜパサラの記憶改竄を阻止できたか。


それについてクロイツは、イグニシャにある読心の能力の影響だろうと分析した。


読心の能力の持ち主の中には、相手の思考をなにからなにまで読み取れる者もいるらしいが、イグニシャにはそれほど高度な力はなかった。


精々浅い表層心理を感じ取れるだけで、表情や口調から相手の感情を読み取るのと大差ないといっていい。


クロイツの解説によると、読心の能力者は、知らず知らずのうちに相手の意識に侵入し、制御しようとしているらしい。


対象者の思考を知れるのは、その過程に発生した副作用のようなものだというのだ。


意識とはすなわち精神の一部であり、当然、他者の精神を制御することは、自身の精神を制御することよりも遥かに難しい。


そのため、読心の能力者は押し並べて精神制御に長けている。


パサラの記憶改竄に抵抗できたのはそれが理由だろう、とクロイツは言った。


使えない能力が、おかしな形で役に立ったものだ。


使える能力の一つ、透視能力で、基地とその周辺を見渡す。


配置されているのは、イグニシャの直属の部下である『百人部隊』の隊員たちだった。


全員が、なんらかの能力者である。


能力者というだけで気味悪がる者が世間にはいるが、イグニシャからしてみれば、ただの忠実な部下たちだった。


ザイアムやクロイツ、ノエルやパサラといった者たちに比べれば、余程接しやすくまともな人間に思える。


イグニシャが指揮を執ることが多いが、部隊隊長はウェイン・ローシュだった。


そのことについて、隊員から不満は出ない。


イグニシャもウェインも、納得していた。


数年前、部隊ではなくただの集団だった頃。


ボスから『百人部隊』という呼称を与えられ、だが誰を隊長にするかは決めてもらえなかった。


能力者たちは話し合い、候補として名前が上げられたのはイグニシャと、まだ若造だったウェインだった。


相応しいのは自分だと、イグニシャは思った。


指揮能力は、イグニシャの方が上である。

能力者としては、比べるまでもない。


ウェインは戦闘者として優れているが、戦って絶対に勝てないという訳でもない。

なにより、ウェインは若い。


だが、圧倒的にウェインを押す声が多かった。


能力者全員の名前と性格を、唯一ウェインだけが把握していた。

昨日加わった新入りのことさえも。

それで、決まったようなところがある。


強烈なカリスマ性があるのではない。

だが、誰からも認められる、味方の誰からも嫌われないようなところがウェインにはある。


矛盾しているが、素朴なカリスマとでも表現すればいいのか。


だから、ノエルのような変人にも懐かれる。


一人で暴れるのが好きだ。隊長なんてとんでもない。そう言って固辞しようとするウェインを、みんなで隊長に据えた。

誰もがウェインを認めたからだ。


不平不満を口にする者は、誰もいなかった。


これがイグニシャだったならば、こうもいかない。

指示に従わない者も出ていたはずだ。


ウェインは、余り部隊の指揮を執りたがらない。


だから、ウェインを上に置き、イグニシャが副隊長の立場から隊員たちに指示を出していた。


周りからはおかしな形に見えるかもしれないが、イグニシャはそれでいいと考えていた。

少なくとも、上手く回ってはいる。


部下が、カリフ隊の到着を報告しにきた。

戦闘経験が豊富な部隊である。


イグニシャは窓に寄り、透視能力ではなく自分の眼で庭を確認した。


部隊の指揮を執る中年の男が、イグニシャの視線に気付き顔を上げる。


カリフである。

黒く短い髪に、浅黒い肌、口髭も精悍な笑みも、全てが砂漠に似合っている。


カリフの隣には、彼の右腕であるナルバンという大男が、大振りの剣を背負い立っていた。


連れている兵士は、五十を超えているか。


このカリフ隊に、『百人部隊』。


やがて、ウェインとノエルも到着するだろう。


そして、ザイアムとクロイツがいる。


恐るべき陣容である。

ストラーム・レイルでも、この基地を攻略することなど不可能であろう。


それでも、彼らは来るつもりだろうか。


ウェインたちと共に到着する、ティア・オースターを救うために。


(無謀だとしか思えない。私たちに油断はないぞ、ルーア……そしてエスよ)


油断はしない。慢心もない。

指揮官のそれは、隊員たちの犠牲に繋がる。


手塩にかけた部下たちだ。

つまらない気の緩みで、一人たりとも失いたくはない。


カリフ隊を迎えるために、イグニシャは自室を後にした。


◇◆◇◆◇◆◇◆


レボベルフアセテ。

レボベル山脈の裾野。


この地を訪れるのは、約一年ぶりとなる。


少し南へと進めば、いくつもの集落で構成されるヤンリの村である。


今回は、村でゆっくり過ごす暇はないだろう。


裾野の地だけあって、急勾配が多い。

そのため、まともな馬車道などない。


さっさと麓まで降りて、馬車を購入して、ウェイン・ローシュやノエルの追跡を続けなければならない。


ヤンリの村まではまだ遠いが、桟道を通過し終える辺りから、村人の姿を多数見るようになった。


桟道の補修作業を行っているようだ。


途中から桟道は広くなり、かなり歩きやすくなっていた。


日々村人たちの手が加えられているのだろう。


何年後か、もしかしたら何十年後かには、立派な道になっているのかもしれない。


「そうよ、リィル!」


慌てた様子のユファレートが声を上げる。


「決して敵に捕まってしまったとか、挙げ句の果てに連れ去られてしまったとか、そんなことは全然ないんだから!」


誰か、この半天然を黙らせろ。


ルーアの願いが通じたか、テラントがユファレートの顔に手を回し口を塞ぐ。


「……なにがあったんですか?」


リィルはみなの顔を見回し、最後にルーアに視線を向けてきた。


(う……)


べつに、リィルに事情を説明する必要などない。


だがこれは、説明するにしてもごまかすにしても、ルーアの役割になりそうな流れである。


「ああ、そうだー」


シーパルが、わざとらしい口調で、わざとらしく右の拳を左の掌にぽんと落とす。


「僕は、ドーラさんとお話ししたいことがあるんだったー」


「……シーパル、てめえ」


面倒なことをルーアに押し付け、逃げようとしている。


「……俺も、ドーラさんとは積もる話があった」


便乗するデリフィス。

ドーラの背中を押す。


「ドーラさんとは美味い酒を飲みたいと兼ね兼ね思っていた」


「むー!」


更にテラントが乗っかり、口を塞がれたユファレートが同意するかのように呻く。


そして、ルーアとリィルを残し、彼らは去っていった。


(あいつら……)


リィルとドーラと共に行動していた村人たちは、先に桟道の方へと向かってしまっている。


リィルと二人きりということである。


「……それで、ルーアさん。ティアさんは、どうなったんでしょうか?」


「……ああ、オースターはな……」


一瞬ごまかそうかと思ったが、リィルの眼にはそれを拒む光がある。


ルーアは横を向いて、溜息をついた。


べつに、リィルに事実を語る必要はない。

だが、ごまかす必要もない。


ルーアたちの事情を知ったところで、この少女がなにかお節介を焼いたりはしないだろう。


戦えない者が側にいることがどれだけこちらの負担になるか、理解できないとも思えない。


「……オースターは捕まった。もう、結構前のことになる。俺たちは、なんとか助け出せないかと向かっているところだ」


「それって……」


リィルが、青冷める。


「あの……大丈夫なんでしょうか? 色々と……」


リィルも、年頃といえば年頃だった。


女が捕まるということがどういうことか、全くわからないということもないだろう。


「……まあ、それについては大丈夫だと思うよ。案外今頃、ちやほやされているかもな」


なにしろ、捕らえたのがザイアムの弟子だというノエルである。

そう乱暴なことはしないだろう。


その辺りは、リィルに説明するつもりはなかった。


複雑な関係があり、理解は難しいだろう。


心配顔のまま、リィルが聞いてくる。


「あの、それで……助けられるんですよね?」


「……当たり前だろ?」


苦笑して、ルーアはリィルの頭に手を置いた。


ちょうど置きやすい高さなのである。


だがそれで、リィルは赤面して後退る。


「……あ、ああ。悪い」


(……そういや、そうだったな)


つい謝り、そのことを思い出す。


「いや、そんな、謝ってもらうことでは……」


わたわた慌てながら、両手を振るリィル。


その様子は可愛らしいが、それ以上に気まずい。


もういいのではないか、とルーアはシーパルたちが去って行った方に眼をやった。


リィルと話すことは苦痛ではないが、色々と気まずい。


それに、余りのんびりとできる旅でもない。


「……ああ、リィル」


別れる前に、これだけは言わなくてはならないだろう。


更に気まずくなると、わかってはいるが。


「悪かったな、シーナのこと……助けられなくて……」


リィルの表情が変わった。

少しだけ衝撃を受けたかのような顔付きになり、すぐに微苦笑へと変わる。


「……謝らないでくださいよ」


穏やかで、そして寂し気な微苦笑だった。


「お姉ちゃん、最後ルーアさんに、『ありがと』って言ったじゃないですか。だから、謝らないでください」


「……ああ、そう言ってたな……」


「……わたし、この一年で、読み書きができるようになったんです」


唐突に、リィルが話を変えた。


「……そうなのか?」


リィルが読み書きをできないとは知らなかったが、驚くことではなかった。


村には、学校もない。

教えられる者も、そうはいないだろう。


「色々挑戦してるんですよ。色んなことを経験したいなって。ドーラさんやパナさんに、薬草のことも教えてもらっているんです。桟道の補修作業にも、自分で志願して加わりました。なんか、ご飯の支度ばっかりしてますけど」


そして、笑う。

少女らしい明るい笑い方だった。


「……なんか、無理してないか?」


ルーアの知っているリィルは、積極性に欠ける内気な少女だった。


そして、姉であるシーナは、社交的で明るい性格だった。


「……そんなのじゃないです」


ルーアがなにを考えているのかわかったか、呟くような小声でリィルが否定する。


「べつに、お姉ちゃんみたいになろうとか、お姉ちゃんの分も二人分生きようとか、そういうことじゃないんです。ただ、わたしは生きている。生き延びて……せっかく生きてるんだから、色々経験しないと損かなって思うんです」


「……そうか」


「ヤンリの村って、学校ないんですよ。知ってました?」


「……まあ、なんとなくは」


「わたし今、お金を貯めてるんです。王都へ行って、教師としての資格を取るつもりです。そして村に戻って、学校を建てて、村の子供たちに勉強を教えられたらなって。それがわたしの、将来の夢です」


「そうか……」


夢があるのか。


もしかしたら、少しは無理をしているのかもしれない。


それでもリィルは、前へ進めている。


「……一つだけ、聞いてもいいですか、ルーアさん?」


不意にリィルが真剣な顔付きになり、ルーアは戸惑った。


「……まあ、いいけど」


「ティアさんのこと、好きなんですか?」


「……!」


ぶっと吹き出してしまった訳ではないが、それに近い状態になり、ルーアは口を押さえた。


以前にも、同じようなことを聞かれたような気がする。


あの時の相手は、ユファレートだったか。


「……なんで、そんなことを……?」


「……前にみなさんが村にいた時に、ルーアさんとティアさんを見て……ああ、そうなのかなって思ったんです」


「……」


確かあの頃は、ティアが料理を作ることに目覚め、日々逃げていたような記憶がある。


どこをどう見たら、そんな印象を受けるのか。


「リィル、あのな……」


「あの、ルーアさん……」


小柄な少女が、ルーアを見上げる。

とてつもなく真剣な眼差しで。


「できれば、本当のことを言ってもらえませんか? わたしにとっても、大切なことなんです、すごく……」


「あー……」


困り果て、ルーアは頬を人差し指で掻いた。


これは、本気で本当のことを言うしかないのだろう。

そんな気がする。


深々と溜息をついて、ルーアは言った。


「……正直、よくわからん」


それが、本音だった。


異性であることはわかっているし、それを多少は意識もしているだろう。


だが、色々複雑なのだ。

色々なことがありすぎた。


リィルは、眼を離さずルーアを見つめている。


ルーアの発言の続きがあると思っている、そしてそれを口にするように催促している。

そんな瞳だった。


「……嫌いじゃねえよ。それに……大切な旅の連れでもある」


そこまで言って、ルーアは唸りながら頭を掻いた。


「もう勘弁してくれ。マジで、これが精一杯だ」


リィルが、くすりと笑う。


「よくわかりました」


なにがわかったのか。

にこにこしているリィルを、ルーアは見下ろした。


「ルーアさん」


「……なんだ?」


「わたし、ずっとルーアさんのこと好きでした」


「!?」


余りの不意打ちに、今度こそルーアは吹き出した。


「……あ、あのな、リィル……」


「でも、勘違いでした」


「……へ?」


「わたしくらいの年齢って、きっと年上の男の人に憧れちゃうんです。わたしも、きっとそう……」


「……オースターも、前に似たようなことを言ってたよ」


「あー、すっきりした」


爽やかな表情で、大きく伸びをするリィル。


「ティアさんのこと、絶対に助けてあげてくださいね」


「……だから、言っただろ。当たり前だって」


「そうでした」


リィルは、笑顔だった。

それが眩しくて、ルーアは少し眼を細めた。


(……五年もいらねえぞ、デリフィス)


かつてデリフィスは、五年後かなりの美人になるとリィルのことを評した。

だがこれは、五年もいらない。


以前よりも少しだけ大人になったリィルは、どうしてもシーナのことを思い出させた。


(シーナ……)


シーナの死を乗り越え、リィルは前へ進んでいる。


最愛の姉を失ったが、一年の間に得ているものもある。


そのことを、シーナは喜んでくれているだろうか。


シーナを助けることができなかった。


だが、リィルだけは生き延びらせることができた。


そのことが、シーナにとってのせめてもの救いだったと、ルーアは思いたかった。


◇◆◇◆◇◆◇◆


フニックは、ヤンリという村にいた。


今いる所は、村というよりも集落という規模だが。


レボベルフアセテ地方北部に点在するいくつもの集落を一括りに、ヤンリの村というのである。


この集落の代表者はジンという老人であり、ジンの集落と村人からは呼ばれていた。


三十人ほどが暮らしており、集落全体が段々畑に包まれている。


一時的に借りた空き家は、しっかりとした造りだった。


窓から外を眺めると、駆け回っている子供たちが見えた。


荷物の大半は外に停めてある荷馬車の中だが、この村ならば盗まれたりはしないだろう。

村人一人一人に誠実さを感じる。


仮に盗まれた時は、それを理由にして、村に様々な要求が出せる。


良い岩塩が採れる。

今後も、訪れる機会があるかもしれない。


しばらく外を眺めた後、フニックは屋内に眼を戻した。


居間の端で、耳に手を当て瞑目している女が座り込んでいる。


フニックに力を貸してくれている魔法使い、マリア・エセノアである。


たまにフニックの前に現れては、情報を渡してくるのだ。


こうして黙想している姿をよく見掛けるが、それが思念の内にいる誰かと会話しているようにフニックには感じられた。


マリアが被るフードが、微かに揺れる。


眼を開いたのだろう、とフニックは思った。


「……旅人たちは、レボベルフアセテ地方に到着したわ。数日のうちに、この集落か、集落の付近を通るでしょう」


「そうか……上手く顔を合わせられればいいけど」


種は撒いた。


旅人たちは、ザブレ砂漠を目指しているらしい。


だから、村中に自分のことを宣伝した。


普段は『砂漠の入り口』と呼ばれているユガケの街で商いをしている。

ザブレ砂漠や砂漠の東に行く用がある人は、私を尋ねてください。

ザブレ砂漠は、何度か越えたことがある。

格安で案内しますよ、と。


マリアの調べでは、旅人たちが助けようとしている者は、ザブレ砂漠にある『コミュニティ』の基地に連れていかれている。

そこに、カレンもいるのだ。


フニックと旅人たちの目的地は、同じなのである。


「大丈夫よ、きっと。彼らは、誘導されてくれる」


「……」


誘導するのは誰か。

視線で問い掛けたが、それを言うつもりはないのか、すくりとマリアは立ち上がった。


「わたしは、先に砂漠へ向かうわ。決戦に備え、準備しないといけないことがあるから」


「準備……?」


「このままでは、助け出すことはできない。だから、わたしが……」


少し上を向いて、息を吐く。

ローブがずれて、白い肌が頬の辺りまで見えた。


「もうあなたに、助言をすることはできないかもしれない。だから、これからはあなた自身で判断して。そして……約束は覚えているわよね?」


「もちろんだ。旅人たちのことを、裏切りはしない」


「あと二つ、約束して。彼らに、わたしのことを話さないこと」


「……なぜ?」


マリアと旅人たちの何人かは、顔見知りだろう。

フニックはそう予想していた。

おそらく、外れてはいない。


「言わなかったかしら? わたしは、枷になってしまうから」


「……」


「もう一つ、カレン……カレンさんのことだけど」


「ああ」


「彼女は、まだ幸運よ。『悪魔』という異物を、右手に埋め込まれたのだから。異物が、欠片が命の役割を果たす場合もある。そうなった者から、異物を分離させることは不可能」


「……なにが言いたい?」


「カレンさんを人に戻せるかもしれない、と言っているの」


「……なんだと!?」


フニックは、身を乗り出していた。


手が届く位置にマリアがいたら、掴み掛かっていたかもしれない。


「人と『悪魔』を強く結合させるのは、魔力よ。カレンさんには、その魔力がない。だから、まだ右腕までしか『悪魔』と融合していないのよ。だから、彼女を人間に戻すには……」


マリアが、語っていく。

その方法を。


汗が流れ出るのを、フニックは感じた。


「そうすれば……」


「あくまで可能性があるというだけの話よ。仮に上手くいったとしても、カレンさんがどれだけ苦しむか、想像できるでしょう?」


「……ああ、できる」


「そして、どれだけの時間とお金が必要になるか」


「……ああ」


「約束、できる? カレンさんを、裏切らないって。カレンさんを支え続けるって」


フニックは、息をついた。

それから顔を上げて、胸に手を当てた。


「約束する。両親と、商売の神キアエーラに誓って」


それは、ラグマ王国の商人たちの間で、契約を結ぶ際に使われている台詞だった。


在り来りな言葉ではあるが、商人たちにとっては強い意味がある。

商人ではない者たちが思うよりも、ずっと。


「そう」


マリアの反応は素っ気ないものだったが、覚悟が伝わっていない訳ではないだろう。


「それじゃあ、わたしは行くわ。くれぐれも、約束は守ること。カレンさんを裏切ったりしたら、わたしはあなたを許さないから」


「覚えておく」


頷く。


マリアの足下に、魔法陣が拡がった。

次の瞬間には、マリアの姿は消えていた。


「……裏切らないさ、絶対に」


借りた家の中で、独り呟く。


カレンの苦しみは、代わってやることはできない。


だが。


「金なら、なんとかする。いくら掛かっても構わないんだ。俺は、いつだって商人だからな」


金を稼ぎ、必要ならば金を出す。それが商人というものだった。


◇◆◇◆◇◆◇◆


シーパルたちから、事情は聞いたようだ。

ドーラは、ヤンリの村のジンの集落に滞在している、フニック・ファフという商人に会うことを、ルーアたちに薦めた。


桟道を造るためには、木材や人手だけではなく、当然金が掛かる。


フニック・ファフは、出資者の一人ということだった。


商人としては、ラグマ王国とホルン王国を行き来できる道ができるのは、色々と都合が良いのだろう。


ティアが連れていかれているザブレ砂漠に詳しいということだが。


(詳しい、ねえ……)


リィルとドーラは、桟道の補修作業に協力しなければならない。


五人で、ジンの集落へと向かっていた。


いや、もう一人。

他に人目がないからか、エスが姿を現していた。


ぼんやりとして見えるのは、クロイツに能力を封じられているからだろうか。


このエスがいるのである。

フニック・ファフという商人がザブレ砂漠についての知識をどれだけ持っているか知らないが、まさかエス以上ということはないだろう。


「私も、フニック・ファフと関係を持つことを薦める」


「なんで?」


意外に思いながら、横目でエスの顔を見遣る。


五月の時点ですでに暑いラグマ王国の熱気のせい、という訳ではないだろうが、エスは湯気のように揺らめいて見えた。


「私にとって、砂漠の気候など苦ではない。だが、君たちはそうでもないだろう?」


「そりゃそうだろうな」


「苦ではない。それは、適切な助言ができるかわからない、ということだ」


「気温よりも、気温差だな、注意しないといけないのは。……て聞いたことがある」


ラグマ出身のテラントが口を挟む。


「現地を知る者が協力者にいるのは、大きいだろう?」


「まあ、そうだろうけど……」


横目で見たついでに、ルーアはエスを観察した。


そのフニック・ファフという商人を、リィルたちと別れてから数日、妙に推しているような気がするのだ。


「けど、商人だろ?」


「戦力にはならない。だが、財力はある。金は力だ、ルーア。『コミュニティ』に比べ、君たちが圧倒的に劣っている部分でもある」


「……ストラームなら、金くらいいくらでも工面しそうだけどな」


「君は、ストラーム・レイルではない」


「ンなことはわかってるよ」


間もなく、ジンの集落に到着する。


他の者は、余り会話に参加してこない。


山の中であり、先頭はシーパル。

前に集中しているようだ。


もっとも、たいした危険は感じないし、去年しばらくジンの集落で過ごした時期があり、ユファレート以外の全員が道を大体覚えていた。


そのユファレートは、更に方向音痴に磨きが掛かったか、ふらふらと道を離れそうになる。


テラントとデリフィスは、それを止めるのに忙しそうである。


本来なら、ユファレートを管理するのはティアの役割であるはずだった。


挨拶もなく、エスが姿を消す。


ジンの集落を囲むようにある段々畑が見えてきた。


村人たちに目撃されたくないのだろう。


到着した、ジンの集落。

一年ぶりとなるが、ほとんど変わっていないように思える。


村人たちは、ルーアたちのことを覚えていた。


集落の代表者であるジンが、わざわざ挨拶に現れる。


適当に切り上げ、ルーアたちはフニック・ファフを捜した。


捜そうと意気込むまでもなく見付かったが。


ルーアたちが以前利用させてもらっていた空き家に、フニック・ファフはいた。


外には、荷馬車が停めてある。

白い鉱石のような物が、大量に積んであった。

テラントによると、岩塩であるようだ。


フニック・ファフは、笑顔でルーアたちを家へと招き入れた。


「もっとも、私の家という訳ではありませんけどね」


やはり笑いながら、そう言う。

どこか上品な響きのある声である。


居間に置かれたテーブルも、六脚の椅子も、去年のままだった。


フニック・ファフに促され、それぞれ席に付く。


デリフィスだけは、戸口の壁にもたれ腕組みをしていた。


この男はいつも、交渉や話し合いのテーブルには付かず、外を見張ったり出口の確保を行う。


「あなたは、ザブレ砂漠に詳しいということでしたが」


全員が挨拶と自己紹介を済ませた後、さっそくルーアは用件を切り出した。


「そうですね。どこへでも、とまでは言いませんが。大概の場所へ御案内できますよ」


「ふむ……」


砂漠にティアを連れていき、まさか野ざらしにするつもりではないだろう。


なにか基地のようなものがあるはずだ。


目立つ建物など知らないか、聞きかけてルーアは自重した。


エスが薦めるくらいなのだから、協力を求めるべきなのだろう。


だがそれは、巻き込むということでもある。


「……ザブレに、御用があるのでしょうか?」


ルーアが躊躇っていると、促すようにフニック・ファフは聞いてきた。


悪意は感じない。

それなりに整った顔に、穏やかな笑顔を浮かべている。


笑顔が作り物であるように感じられるのは、ルーアが商人に偏見を持っているかもしれない。


客が相手ならば、金のために商人は常に笑顔である。


「そうですね。そうなりますが……」


失礼なことにはならないよう気を遣いながら、フニック・ファフを観察する。


ラグマ出身なのだろう、真ん中で分けた髪は、金色である。


年齢は、三十前に見えた。

顎に髭があるが、それを剃れば二十五くらいに見えるかもしれない。


商人である。

武装して戦え、とは言えない。


そして、『コミュニティ』やザイアムは、戦えない者を庇いながら向かい合える相手ではない。


「……砂漠に向かわなくてはならない用事がある。だけど、初対面の相手に頼むには、やや気が引けてしまう。……そんなところでしょうか?」


「……まあ……そんなところです」


「私は商人です。きちんとした代金を支払っていただけるなら、仕事はいたしますよ。ですが、そうですね……気後れしてしまうのでしたら……」


フニック・ファフは、ルーアたち一人一人に視線を送っていった。


テラントやデリフィスの剣、それにユファレートが持つ杖などに、視線を止めていったようである。

装備を確認しているようだ。


「ふむ……」


しばらく考え込む様子を見せ、それから窓へ顔を向けた。

荷馬車が停めてある。


「……では、こういうのはどうでしょうか? 私はこの村に、岩塩の買い付けに来たのですがね。なかなかの量になってしまいました。馬車を速く駆けさせるのは、できそうにない。そこでみなさん、御相談ですが……私に雇われてみませんか?」


「荷の護衛ですか?」


「そういうことです。私は戦うことなどできない素人ですが、その私の眼にも、あなたたちは凄く強そうに見える。魔法を使える方もいるようだ。荷物と、私を守っていただきたいのです」


「……どこまででしょうか?」


「ユガケまで」


「……」


『砂漠の入り口』と呼ばれている街である。

ザブレ砂漠へ行く前に、立ち寄ることになるだろう。

ついでといえばついでだった。


「不安なんですよ。途中で、野盗に襲われるかもしれませんから」


「そうなのか?」


聞くと、テラントは肩を竦めた。


ラグマ王国に、そこまで治安が悪いという印象はない。

この辺りは野盗なんか出るのか、と聞いたのである。


テラントも、よく知らないようだ。


まあ、地方で野盗や山賊が出るのは不思議なことではない。


その一つ一つをわざわざ把握している者もいないだろう。

ラグマ王国出身の者であっても。


テラントの隣では、いつものようにシーパルが友好的な笑顔を浮かべていた。


ルーアの隣にいるユファレートは、妙にそわそわしている。


知らない男と関わることが、苦手なのかもしれない。


こういう時は、いつもユファレートの側にティアがいた。


「どうでしょう? 砂漠行きの件は、ユガケの街に着くまでに、ゆっくりと考えてみては?」


「……」


「村人たちの歓迎する様子からして、みなさん信用していい方々のようですし。私としては、そういう方々を雇いたい」


通り道である。

遠回りにならないのはいい。


だがやはり問題は、時間だった。


荷を多く積んだ馬車を激しく駆けさせることはできない。

数日の遅れは出る。


『時間ロスにはならない』


唐突に、エスの声が頭に響いた。

おそらく、フニック・ファフを除く他の者にも聞こえているだろう。


(……なんでだよ?)


『砂漠を移動するためにどれだけの準備が必要か、君は知らないようだな。フニック・ファフは、砂漠越えに慣れている』


(味方にしてしまえば、代わりに準備をしてくれると?)


『君たち次第で、費用をいくらか肩代わりしてくれるかもしれないな』


そこまで期待するのはどうかと思うが、ルーアは左右に眼をやった。


ルーアの視線に反応する者はいない。


横顔からして、エスの発言により、それぞれ考え込んでいるようだ。


「……取り敢えず、契約内容を詳しく聞かせてもらってもいいですか?」


「では……」


取り出した羊皮紙に、ペンを走らせる。


細かい契約内容と、報酬額が書かれていった。


契約書のようなそれを他の者と眺め、テーブルまで寄ってきたデリフィスに手渡す。


この中でもっとも人に雇われて慣れているであろう傭兵のデリフィスは、しばらく眼を通してから無言で頷いた。

悪くはない条件のようだ。


みんなの顔に視線を向ける。


「どうする?」


小声で聞いた。

向かいの席にいるフニック・ファフにも聞こえるだろうから、意味はないが。


「……金は、欲しいかな」


テラントが、同じく小声で返してくる。


旅も、随分と長くなった。

何人かは路銀不足に陥っている。


まだ魔法使いは、金を稼ぎやすいだろう。


医者が不足している街や村で魔法医の真似事をすれば、ある程度の収入を得ることができる。


これから暑くなる。

水を氷に変えるだけでも、金を稼ぐことはできた。


だが、テラントやデリフィスはそうもいかない。


都合良く日雇いの力仕事でもあればいいが、それがなければ剣の腕で雇ってもらうしかないだろう。


金を稼ぐには、日数を必要とするのだ。


目的地に向かうついでにできるこの仕事は、条件としてかなり良い。


野盗が相手なら、それほどの苦労もないだろう。


『コミュニティ』の襲撃も、アズスライの村を発ってからはなかった。


エスの分析によれば、ザブレ砂漠で迎え撃つ構えなのか、そこに戦力を集中させているとのことだった。


ユガケの街まで同道するだけならば、巻き込むこともないだろう。


一旦外に出て、五人、声だけのエスも含めれば六人で相談した。


旅に金は欠かせない。

契約条件としては、良い。

稼いだ金で、砂漠を移動するための支度を整えられる。

砂漠に詳しい知り合いができることも大きい。

結果的に、ティア救助のための時間ロスもないだろう。


最終的に、契約するべきだ、とみんなの意見が一致した。


家に戻り契約をすることを告げると、フニック・ファフは満足気な笑顔を見せた。


「それでは早速、契約書を作成します。それにみなさん、それぞれのサインをお願いします。当然、写しをみなさんにも渡しますので、不正がありましたら、裁判所に提出して、私を刑務所にでも叩き込んでください」


後半は、冗談めかして言った。


わざわざ契約書など作らなくても、とルーアは思ったが、デリフィスは当然だという表情で話を聞き、相槌を打っている。


ルーアが思うよりも、契約というものは、傭兵や商人にとって重要なことなのかもしれない。


「両親と、商売の神キアエーラに誓って、この契約を守ります」


契約書を片手に、もう片方の手は胸に当て、やや芝居がかった言い方で、フニック・ファフは宣言した。

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