始まりの時
カリフとナルバンが、いい働きをした。
二人の奮闘と兵士の指揮があったからこそ、ここまで圧倒的な状況に持ち込めた。
ルーアを、部下たちと十一人で取り囲んだ。
予想以上の抵抗により、グレイとタスが立て続けに倒されたが、さすがにもう限界だろう。
勝利を確信しつつ、だがイグニシャは部下たちを止めた。
ステットが発生させた霧の中に、ルーアはいる。
イグニシャの『透視能力』は、程度としては高くない。
霧に包まれているルーアの存在が、ぼんやりと視えているだけである。
そのため断言はできないが、おそらく右腕を失っている。
戦う力を残しているとは思えない。
それでもイグニシャは、慎重に構えた。
半死半生の者を相手に、これ以上の犠牲を部下から出したくはない。
最後の力を振り絞り、ルーアはなにか強力な魔法を使うかもしれない。
それを防ぐのは、難しいだろう。
こちらは、魔法を弾く能力を持つタスを殺されたのだ。
ゆっくりと部下たちを、配置に付けた。
指揮官であるイグニシャの指示を、『伝心能力』を持つアスフがみなに伝える。
ステットは霧を発生させ、視界を奪う。
リッチは砂を操り、敵を牽制し、動きを封じる。
クーティは空間移動を瞬時に行い、味方を敵の間近へと運び、あるいは反撃を回避させる。
チードは念動能力者。攻撃にも防御にも補助にも向いた能力である。
シュウの『発電能力』は攻撃性に優れ、その電撃は威力も速度も申し分ない。
エルトは、風と光を操る複合能力者。能力を多様に使い熟す。
アーチは肉体を硬化させることができる。
鍛えた鋼であろうとも、その肌は弾く。
アーチと、殺されたばかりのタスが、この部隊の防御の要だった。
その部下たちを率いているのが、イグニシャである。
『発火能力』、『透視能力』、『読心能力』を持つ特別な能力者。
自分以上の能力者は、大勢が所属している『コミュニティ』でも、『邪眼』を持つソフィアだけだろう。
一対一でイグニシャに勝てる可能性があるのは、組織の頂点に立つ三人以外では、ウェインにノエル、あとはパサラくらいなものか。
指揮官としての能力も、磨いてきた。
そして、信頼できる部下たち。
負ける要素が、何一つない。
陣ができあがった。
ルーアの正面に、イグニシャ。
側にはアスフがいて、イグニシャの意思を他の者たちに伝える。
イグニシャの前には、身体を硬化させることができるアーチがいた。
シュウは右から、エルトは左から。
イグニシャがルーアに炎を叩き込むタイミングに合わせ、それぞれ電撃と風で攻撃する。
それだけでも決着は付くだろうが、念には念を入れて、クーティの『空間移動』能力でチードとリッチとステットを突っ込ませる。
リッチとステットの能力は補助向きであり、接近戦をそれほど得意としていないが、今のルーアならば問題はないだろう。
近接戦闘を得手としていたグレイが殺されていなければ、戦闘補助に専念させるだろうが。
部隊一丸になっての、全力の攻撃である。
堪えられるはずがない。
霧の中で、ルーアはよろけ、ふらついている。
まともな意識は残っていないだろう。
そして、イグニシャは攻撃命令を出した。
炎がルーアを撃つ、電撃が貫く、風が炸裂する。
部下たちが、突撃する。
ルーアの首を掲げるのは、誰になるか。
いや、すでに消し飛んだか。
突然だった。
霧が吹き飛ばされる。
「なんだ……!?」
なにか薄気味悪い大きな力が、渦巻いている。
その中心に、なにかがいる。
霧は吹き飛んだが、肉眼では確認できない。
『透視能力』を以ってしても、はっきりとはわからない。
ただ、なにかがいる。
音を立てて、なにかが足下に転がった。
醜悪なそれが、肉の塊だと、死体だと理解できるまで、しばらく掛かったような気がする。
人の体の原形を留めておらず、誰の死体かまではわからない。
悲鳴が、いくつか聞こえた。
シュウやエルトがいた方向からだろうか。
なにかが始まっている。
なにか、とてつもなく危険なことが。
「アスフ、全員を退かせろ!」
命令を出した。
アスフから、返事はない。
なにをぐずぐずしているのか。
苛立ち、イグニシャは隣にいるはずのアスフに眼をやった。
そこに、アスフという人間はいなかった。
アスフの下半身だけがある。
上半身は、えぐり取られたかのようになくなっている。
ひどく軽い音を立て、半分となったアスフの体は、砂地に倒れた。
「副隊長!」
アーチが、イグニシャの前で腕を拡げている。
なにかから、イグニシャを守るために。
その体が、股間から頭頂まで、真っ二つに割れていく。
下から振り上げられたのは、剣。
重力に逆らい振られた剣に、それほどの威力があるのか。
剣を振った赤毛の人物をルーアと言っていいのか、イグニシャにはわからなかった。
だが、ルーアである。
ルーアの姿をしている。
体格に特別恵まれている訳ではない。
どこにそんな膂力が。
そもそもアーチの体は、刃を防ぐ。
剣や膂力で傷付けることはできない。
ルーアの持つ剣が、なにかに包まれている。
ルーアの全身も、なにかに包まれている。
視えない。だが、なにか。大きな力のようなもの。
恐怖から、イグニシャは叫び声を上げていた。
『発火能力』を使用していた。
ルーアが猛火に呑み込まれる。
それを見たと思った次の瞬間、イグニシャの視界は切り替わっていた。
星空を見ている。
首を掴まれ宙吊りになり、そのため上を向かされているようだ。
顔の向きをなんとか変えて、イグニシャは自分の首を掴む者を確認した。
ルーア。右手。右手だ。失ったはずの右手で、イグニシャの首を異様な力で掴んでいる。
徐々に、その力が増していく。
締め上げることは可能だろう。
敢えて動脈を避けて掴んでいるようにイグニシャには思えた。
ルーアの右腕にかじりついても、びくともしない。
誰か、攻撃を。
アスフとアーチは殺された。
リッチは、ステットは、クーティは、チードは、シュウは、エルトは、なにをしている。
逃げている様子ではない。
息を潜めているようでもない。
(……みんな……死んだのか……?)
愕然とイグニシャはしていた。
肉体の損傷をわずかな時間で復元し、イグニシャが選んだ部下たちを一蹴する。
そんなことが、可能なのか。
この戦闘能力、まるでザイアムやソフィア、クロイツではないか。
イグニシャは、炎をルーアに叩き込んだ。
接触した状態である。
自身が発生させた炎は、イグニシャの肌をも灼いた。
炎が消える。
無傷なルーアの姿。
衣服が燃えた様子もない。
(なぜだっ!?)
なにが起きている。
能力を無効化しているのだろうか。
炎が、届いていないのだろうか。
直撃さえすれば、ザイアムもソフィアもクロイツも殺せるはずの力が。
(馬鹿なっ! そんなことが……!)
何度も何度も炎を発生させる。
ルーアには効かない。
ただ、イグニシャの肌だけが傷んでいく。
首を掴む力が、更に増していく。
(私は、イグニシャ・フラウなのだぞ!?)
『コミュニティ』でも特別である十二人の一人。
ボスが死に、ソフィアの側近二人も死に、ズィニアは殺され、ハウザードは消えた。
今では七人となった特別な存在の一人。
そのイグニシャ・フラウが、部下諸共殺されるのか。
こんな小僧に。
そんなこと、認められるか。
炎を放つ。
何者だろうと焼き滅ぼすはずの炎。
それが、通用しない。
ルーアの表情。
前髪でよく見えない。
だが、口許は笑っていた。
『読心能力』で、その頭の中を覗く。
イグニシャは戦慄した。
怒りや憎しみとは異なる、今まで感じたことのない真っ黒な意思が、いくつもない交ぜになっている。
これは、人の意識ではない。
この力は、人のものではない。
「……化け物……め……!」
気道は完全に潰されていない。
だから、なんとか声を搾り出せた。
ルーアは、表情を変えない。
右手の力だけが増していく。
そしてイグニシャは、自分の首の骨がへし折られる音を、最後に聞いた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
ルーアは、砂漠に独り佇んでいた。
(……なにが……あった……?)
地面に転がる、いくつかの死体。
まともとは言えない死体も、いくつかある。
なにが起きたか、上手く思い出せない。
靄が掛かったように、頭の中がぼんやりしている。
思考が制限されているような感じだった。
剣を鞘に収め、左手で体に触れて回る。
(……右腕……あるな……)
無くしたような記憶がある。
気のせいだったのだろうか。
殺し合いとは、本来異常な行為だろう。
日常生活から逸脱したことであり、その最中の記憶に混乱が見られても、不思議ではない。
だが、片腕を失った生々しい喪失感は、依然ルーアの中にあった。
なにかを訴えるかのように、右腕は熱を持っている。
転がっている、一つの死体に視線を落とした。
痩せた男だ。
喉が潰れ、半開きになった口から溢れるように舌がはみ出している。
見開いた眼は、死の直前になにを見たのか。
男のことを、知っているような気がする。
だが、名前を思い出すことはできなかった。
男が率いていた者たちが、何者であるかも。
ただ、死体を見ていると、ひどく苦しめられたという感覚だけが蘇る。
眩暈を感じ、ルーアはよろめいた。
考えても、なにも思い出せない。
なにか答えを見付けた訳ではないが、漫然とルーアは歩き出した。
這うような速度で、ゆっくりと前に進む。
進む理由は、後から遅れてやってきた。
(助けないと……)
奪われたのは、もう随分前のことになる。
早く、助けにいかなければ。
(あいつを……助けないと……ティア……)
漫然と歩き始めたような気もするが、足が向かっているのは、ティアがいる方向だった。
なぜか、それを確信できる。
砂漠の夜。
その寒さに、ルーアは震えた。
右腕だけは熱い。鈍い痛みもある。
イグニシャ。
歩きながら、その名前をふと思い出した。
痩せた男の、名前だ。
率いていたのは、『百人部隊』の部下たち。
殺した。この手で。
記憶は変わらず混濁しているが、間違いないだろう。
この右手でその首を掴み、そして。
一瞥することもなく、右腕を撫で回す。
感触。この右手で、イグニシャの首の骨をへし折った。
死ぬ間際、イグニシャはなんと言ったか。
絶望感を浮かべた表情と、その言葉を思い出す。
イグニシャの瞳に映った、なにか。
得体の知れない恐怖を感じた。
小さな存在が、自分よりも圧倒的に大きな存在を恐れてしまうような、本能的な恐怖。
ともすれば、押し潰されて泣き出してしまいそうな不安。
『化け物』。最後に、イグニシャはそう言った。
「くっ……!」
震えながら、ルーアは喉を鳴らし笑った。
泣くよりはましだろうと思い、無理矢理笑った。
◇◆◇◆◇◆◇◆
エスは、笑った。
「見たかね、ジェイク・ギャメ? これこそが、彼の可能性だよ」
ルーアは、システムを歪めた。
その歪みを修復させるだけの可能性が、ルーアにはある。
笑うエスとは対照的に、ジェイク・ギャメは表情を強張らせていた。
「……あれが、彼の力ですか」
「ほんの一端に過ぎないがね」
「……」
「ミジュアの第九地区は消滅した。あの程度では、まだまだ……」
わずかな覚醒。
それでも以前のルーアならば、制御できずに暴走させていただろう。
人に戻ることができるかどうかも、怪しかった。
ドラウ・パーターとの出会いは、それだけルーアにとって大きかったということだろう。
ルーアは、魔法使いとしての基礎ともいえる、制御力を磨くことの大切さを知った。
力を暴走させたかのように奮いながらも、無意識下で制御していた。
「……リーザイ政府は、彼を兵器として扱うつもりなのでしょうか?」
それは、エスには答える義理のない質問だった。
表向き、エスはリーザイ政府の者なのだから。
ラグマ政府の高官であるジェイク・ギャメに、本来は語るべきではない。
だが、エス個人として、協力者であるジェイク・ギャメには語っていい。
「リーザイ政府は、彼を利用できるなどとは考えていないだろうな。彼に利用価値を見出だしたのは、私とクロイツだ」
「……今後、彼はどこへ向かうのでしょうか?」
「ティア・オースターの元へ。彼女は、『コミュニティ』に囚われている。つまり、『コミュニティ』次第で行き先は変わるな」
クロイツは、いつまで砂漠にティア・オースターを置いておくか。
どこかの街へ連れていく可能性もある。
当然、ルーアはそれを追うだろう。
「次に彼がどこで力を奮うか、今の段階では、私にもわからない」
あるいは、ラグマ王国王都ロデンゼラーかもしれない。
ミジュアの第九地区を壊滅させたような魔導災害が、このラグマ王国で起きるかもしれない。
エスが言外に込めた意味を、ジェイク・ギャメはしっかり受け止めたようだ。
リーザイ政府が放棄を決めたルーアの力を、ラグマの国王ベルフ・ガーラック・ラグマや執務官ジェイク・ギャメは、兵器として用いようとは思わないだろう。
歴史の裏側で起き続けていることを、彼らは知っている。
そして、迂闊に排除することもできない。
ルーアを始末しようとしたイグニシャ・フラウとその部下たちの結末を、ジェイク・ギャメはつぶさに見た。
「……もし、彼がティア・オースターを取り戻せば、どうなりますか?」
「彼は、リーザイ王国へ帰還しようとするだろう。ここからだと、まずはザッファー王国ということになるな」
「……」
考えているはずだ。
ジェイク・ギャメとすれば、ルーアにラグマ国内に留まって欲しくない。
力尽くというのは、難しいはずだ。
どうしても、イグニシャ・フラウの死に様が頭を過ぎるだろう。
ならば、どうするか。
ルーアが、自分の意思でラグマ国外へ行くよう仕向ければいい。
「……兵を、動かします」
「……ほう」
「『コミュニティ』の砂漠の基地へ、軍を進めます」
ジェイク・ギャメの決断に、エスは薄く笑みを浮かべた。
ティア・オースターを、取り戻させる。
それでルーアは、ラグマ王国を去るだろう。
ティア・オースターのために軍を進めるということは、同じ『コミュニティ』の基地に囚われの身になっている、カレンのためとも主張できる。
商人フニック・ファフに、恩を売れる。
ラグマ王国の、利益に繋がる。
決断すると、ジェイク・ギャメの動きは早かった。
すぐに従者を呼び、指示を出す。
存在を透過させ、エスはその様子を眺めた。
ジェイク・ギャメを眺めながら、エスは他の者たちのことを考えていた。
クロイツは、ルーアの覚醒を視ていただろう。
ハウザードが『器』を磨いたドニック王国東部ほど、砂漠の瘴気は濃くない。
ハウザードは、クロイツの視線を遮る瘴気を利用した。
クロイツは、あの時のように見落としたということはないだろう。
クロイツが知れば、共にいるザイアムも知る。
ノエルも、ウェイン・ローシュも。
ザイアムやノエルはともかく、ウェイン・ローシュは、イグニシャ・フラウの死をどう思うか。
そして、ジェイク・ギャメによる、ラグマの部隊の進軍。
『コミュニティ』の基地は、大きく動く。
フニック・ファフは、小躍りして喜ぶだろうか。
マリア・エセノアと名乗っているあの女は、どう動くか。
単身基地へと向かっている、テラント・エセンツとデリフィス・デュラムは。
基地の変化に、カリフやナルバンはどうするのか。
カリフと対峙している、シーパル・ヨゥロとユファレート・パーターは。
たった一人の変化により、事態は一気に加速する。
一枚のピースの出現により、全てのピースが組み合わさっていく。
これから、時と段階を掛けて、ルーアの力は大きくなっていく。
完全に近付いていく。
だが、完全にはなれない。
彼は力の一粒を、欠片を、ティア・オースターに分け与えてしまったのだから。
完全の一つ手前までにしかなれない。
そして、完全に至る直前で、奇跡的な均衡により成り立っている力は崩壊する。
どの段階で、クロイツは仕掛けてくるか。
終わりの時は、近いのかもしれない。
少なくとも、それほど遠くはない。
『コミュニティ』の基地に、変化があった。
そしてそれを、エスはマリア・エセノアと名乗る女に伝えた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
クロイツが、笑っている。
壁に映し出されていたイグニシャとルーアの戦いを見届けてからずっと、笑い続けている。
ノエルなどは、笑うクロイツを気味悪そうに眺めている。
ザイアムが視線で止めていなければ、不快感から斬り掛かっていたかもしれない。
「見たかね、ザイアム? これこそが、彼の可能性だよ」
「……」
やや興奮気味に声を上擦らせるクロイツに、ザイアムは眼を細めた。
「ルーアは、システムを歪めた。システムを根本から破壊できるだけの可能性が、ルーアにはある」
「まだまだ……」
「そうだな。まだまだ、あの程度では……。ザイアム、君はあの状態の彼に勝てるかね?」
「……問題なくな」
ただし、今の段階ならば、である。
適当にクロイツと言葉を交わしながら、ザイアムは気付いていた。
ここは、ザブレ砂漠にある『コミュニティ』の基地。
小さな城のような規模と外装であり、謁見の間ほどもありそうな広間に、ザイアムたちはいた。
人の出入りは特に制限しておらず、『百人部隊』の隊員たちも五人いた。
それが、三人に減っている。
確か、イグニシャが死んだ辺りからだ。
乱暴な足音が響いた。
感情をそのまま表すかのような、やや乱れた歩調。
外の見回りをしていたはずだ。
部下たちから知らせを受けたのだろう。
血相を変えて広間に飛び込んできたのは、ウェインだった。
「イグニシャが戦死したという報告を受けた。本当なのか?」
「本当だよ」
答えたのは、クロイツだった。
ザイアムは、口を開くのを控えた。
大股で、ウェインは近付いてくる。
「馬鹿な! イグニシャだぞ!? 負ける要素なんてなかった! あいつには、油断も慢心も……」
こちらの五メートルほど手前で、はたとウェインは足を止めた。
「……お前ら、なんでそんなに落ち着いている……?」
それは、ザイアムとクロイツに向けられた言葉だろう。
ノエルは、普段と変わりない。
元々、イグニシャに関心を持っていなかった。
嫌っているような素振りを見せたこともある。
だが、他の者は動揺しなければならないはずだ。
イグニシャの死は、それくらい『コミュニティ』にとって大きい。
ズィニアが殺された時と同じような衝撃を受けて然るべきなのだ。
ザイアムは、イグニシャの死に余り動揺しなかった。
動揺しなかったことに、むしろ驚いた。
どこかで、イグニシャの最期を予感していたような気もする。
そしてクロイツは、冷笑さえ浮かべていた。
それは、ウェインの感情を逆撫でし、勘を働かせる行為だった。
「まさか……」
呻きつつ、睨み付けてくる。
「お前ら、イグニシャを……捨て駒にしたのか……?」
ウェインの鋭い視線を受け流す心地で、ザイアムはクロイツに眼を向けた。
クロイツの冷笑は、変わらない。
軽く肩を竦める。
「仕方なかったことだ、ウェイン・ローシュ」
「……仕方ない?」
「彼を計画に組み込むために、そろそろ彼には、段階を上げてもらわなくてはならなかった。だが、このザイアムでは強すぎる。また、殺してしまうだろう。今度は、戻ってこれなくなるかもしれない。カリフやナルバンでは、少し弱いな。ウェイン、君を失う訳にはいかない」
「……」
「だから、イグニシャだ。彼は、ちょうど良かった」
「てめえ……」
ウェインが踏み出す。
クロイツに飛び掛かろうとする。
両者の間に割って入り、ウェインと体をぶつけるようにしながらも止めたのは、ノエルだった。
「……落ち着きなよ、ウェイン」
(……ほう)
意外なことに驚きながら、ザイアムはノエルの背中を見つめた。
他人のために誰かと誰かの間に割って入り、争いを止める。
ノエルにとって、初めての経験ではないだろうか。
予想以上に、ノエルはウェインを気に入っている。
「……彼は、一応は上司だろ? 喧嘩を売るのは、まずいんじゃないかな?」
正論を口にするノエル。
これもまた、非常に珍しい。
ザイアムがこの場にいなければ、ウェインのためにクロイツに斬り掛かっていたであろうノエルに、正論を吐く資格があるのかどうか怪しいものだが。
唸り声のようなものを上げ、ウェインは背中を向けた。
「……俺は、降りるぜ」
「ほう」
冷笑を浮かべたまま、クロイツ。
「部下たちも、連れていく。あとはお前らだけで、勝手にやってろ」
ウェインが、入ってきた時と同様に、大股で広間の出入り口へと向かう。
背中へと、クロイツが言葉を投げ掛けた。
「まさか、裏切るつもりかい、ウェイン・ローシュ?」
ウェインの足が止まる。
「……部下たちを、これ以上あんたの捨て駒にしたくないだけだ」
「組織を裏切るつもりはない、ということだね? それは良かった。言っただろう? できれば、君を失いたくない。副隊長に続き隊長まで失えば、部隊はどうなってしまうか」
挑発しているかのようなクロイツの口調に、ウェインが振り返る。
並の者ならば震え上がりそうな眼だが、涼し気にクロイツは受け止める。
「先程の君の言動を、私は忘れる」
「あ?」
「不問にする、と言っているのだよ、ウェイン・ローシュ。その代わり、一つ頼みを聞いてくれないか?」
ウェインが、額を押さえる。
クロイツから、なにかのデータを送られているのだろう。
「ラグマの軍勢が動いた。指揮は、ジェイク・ギャメ。この基地へ迫りつつある。これを、君の部隊で止めて欲しい」
「……まだ、俺たちを捨て駒として利用するつもりか?」
「三度目だ、ウェイン・ローシュ。私は、君を失いたくない。君が率いる部隊に、余計な手出しなどしないよ」
「……」
「ジェイク・ギャメの目的は、この基地の戦力を減らすことであり、戦うことではない。君から仕掛けない限りは、敢えて攻撃してくるということはないだろう。……わかるね?」
砂利が擦れ合うような音がした。
ウェインが、床を踏みにじっているのだ。
それ以上言葉を発することもなく、ウェインは固い表情で広間を出ていった。
『百人部隊』の隊員たちが、慌ててウェインを追う。
「……ノエル」
「なんだい、ザイアム?」
「ウェインに、付いていてやれ」
「……僕は」
言葉にも表情にも、ありありと不満が出ている。
ノエルは、自分の近くに居たがるとわかっていた。
「……私の、命令だ」
「……」
ふて腐れたような顔をする。
ノエルは、ザイアム以外の者からの命令を受け付けない。
だが、ザイアムの命令には逆らわない。
「……セシルも、連れていくよ?」
(……?)
セシルというのが誰か、ザイアムにはすぐにわからなかった。
おそらく、ティアの世話をしている女のことだろう。
少し驚いた。
ノエルが、ザイアムやウェイン以外の者に関心を持ちこだわったことが、これまでにあったか。
「……好きにしろ」
ザイアムにとっては、ほとんど知らない女だ。
だから必要ないことに思えたが、一応ザイアムは承諾した。
未練がましくこちらに視線を送りながら、渋々といった感じでノエルが広間を出ていく。
ノエルのような所々異常な言動をする者が側にいれば、ウェインは逆に冷静さを取り戻せるだろう。
「そこまで心配する必要はない、ザイアム」
クロイツが言った。
「ウェインは、聡いな。彼は本能的に、良い選択をしているよ」
「……」
ザイアムには、クロイツもウェインも互いに譲歩し合い、決定的な対立を避けたように見えた。
クロイツはウェインの言動を見逃し、ウェインはクロイツの頼みを聞く。
良い決着の仕方をしたように思えた。
「ウェインの怒りは、本物だった。彼は、私に逆らう姿勢を見せた。『百人部隊』の隊員たちは、彼に共感しただろう。部下たち以外にも、彼に感心する者が現れるはずだ。基地を離れる。これにより、部下から犠牲を出すことを防げる」
「そして、お前の頼みを聞く。自分と部下たちの立場を守ることができるな」
「素晴らしいのは、彼はそれを考え抜いてやっている訳ではないということだ。腹を立てながらも、最善の選択をしている。まるで、ルーアのようだね。彼は、冷静さを失っていても、冷静な時と同じ選択をする」
「……」
出てきた名前に、ザイアムは口をつぐんだ。
会話をするのが、急に面倒臭くなった。
イグニシャの死。それがすぐにウェインに伝わるよう、わざと『百人部隊』の隊員たちに見せなかったか。
そして、ウェインの反抗。
どこまでが計算だったかは、聞いてみたい。
「さて、私と君だけになってしまった訳だが」
「……生憎とな」
「間もなく、テラント・エセンツが基地に侵入してくる。彼の撃退は、君がしてくれるのだろうか?」
ザイアムは、鼻から息を抜いた。
「……面倒だから、嫌だな」
クロイツが苦笑する。
「まあいいさ。もっと強大な存在が現れるだろうしね」
「ほう」
「『魔女』、あるいは『ルインクロード』」
「……」
「私では、とても太刀打ちできまい。彼女の相手は、君にしてもらうよ。私は、超人と化け物の対決を、見物させてもらう」
ふざけるな、とザイアムは口の中で呟いた。
本気のクロイツに、敵う者などいない。
「彼女は、ホルン王国北部でルーアの『中身』に触れ、『ルインクロード』を理解した。そして、この砂漠の瘴気で、『器』を磨いた。ハウザードのようにね」
「……」
「手強いよ」
確かに、手強いだろう。
それでも、敵ではない。
もしかしたら、『魔女』との対決から遠ざけるために、クロイツはウェインを怒らせたのかもしれない。
どうやってクロイツを戦闘に巻き込んでやるか。
ザイアムは、それを考え始めていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
百人近くが基地を出ていくのを、テラントは砂漠に身を伏せながら見ていた。
逡巡はしなかった。
エスが言っていた、もぬけの殻に近い状態。
それこそが、今なのだろう。
その状態が、いつまで続くかわからない。
見張りもいない基地へと駆け込む。
小さな、そしてメルヘンチックな造りの基地だった。
余りに『コミュニティ』の基地らしくない。
設計士は、年若い少女なのではないか。
疑問は捨てて、テラントは基地の廊下を駆けた。
余計なことは、あとで考えればいい。
敵の部隊が、いつ戻ってくるかわからないのだ。
廊下に、火は灯されていない。
窓から差し込む月の光だけが頼りである。
ティアがどこにいるか、わからない。
エスからの知らせを期待していたが、そんなものはなかった。
自力で見つけ出すしかない。
人数的には、本当にもぬけの殻に近い状態だった。
だが、実際には違う。
広い基地のどこに誰がいるか気配を読める、などとは言わないが、強力な存在が確かにいる。
そして、自分たちの存在を、まったく隠そうとしていない。
音を立てるのはとてつもなく危険である気がしたが、テラントは手近な扉を蹴り破った。
とにかく、時間が惜しい。
一枚目の扉の向こうに都合良くティアがいるということは、さすがになかった。
扉を見付けては蹴り破り、階段を発見しては駆け登るということを繰り返していく。
馬鹿なのではないか、などと考えてしまう。
敵地で、なんと大胆なことを。
大胆不敵なのではなく、ただ無謀なだけではないのか。
そうだとしても、まだ敵に見付かっていないのだ。
駆ける。
止まると、どこかにいる敵に、追い付かれるような気がした。
常にどこかから、見られているような気がする。
それでも、ふとテラントは足を止めた。
壁と扉の隙間から、明かりが漏れている一室がある。
誰かがいる。
ティアではないかもしれない。
敵だとしても、捕らえればティアの居所を聞き出せるかもしれない。
扉へと駆ける。
室内にいる者にフェイントをかけるつもりで、途中で足音を消し、だが速度は上げる。
扉を開け放ち、飛び出す者がいた。
手にしているのは、黒塗りのボウガン。
(……素人だ)
一瞬で、テラントは判断した。
動きで、それがわかる。
素人が武器を手に、飛び出してきただけ。
勢いで、一人二人は倒せるかもしれない。
ただし、ろくに戦闘を知らない者や、極端に弱っている者が相手の場合に限る。
放たれた複数の短い矢を、テラントはかわし、掌で叩き落とした。
接近する。
敵だ。殺していい。
だが、まともに戦闘訓練を受けたことがあるとは思えない、素人だった。
ついでに、女である。
拳を、女の腹に打ち込んだ。
呻きと共に、女が崩れ落ちる。
気絶させるつもりだったが、女にはまだ意識があった。
拳が当たる直前、女は身をよじらせていた。
身を守るための訓練だけは、受けていたのかもしれない。
ボウガンを、手から奪った。
女が、悔しそうな視線をテラントに向ける。
黒髪の、なかなか整った顔立ちの女だ。
これ以上痛め付けるのは、さすがに抵抗がある。
ティアを助けるために必要ならば、躊躇うつもりはないが。
ティアの居所を問い質すために、テラントは女に言葉を掛けようとした。
女の視線が動く。
テラントの背後を見ている。
その瞳に、黒い人影が映っていた。
誰かが、背後にいる。
黒ずくめの格好をした、誰か。
女の瞳の中で、黒ずくめの人影が動く。
鞘から剣を抜き放つ音が、聞こえた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
かなりの人数が去ったのか、基地は静かになっていた。
基地を去ったということは、当然外へ出たということだ。
戦闘員が多かったはずだ。
となると、敵の迎撃のために出発したと考えられる。
きっと近くでみんなが戦っているんだ、とティアは思った。
助けに来てくれている。
親友であるユファレートよりもまずルーアの姿が頭に浮かび、ティアは戸惑った。
色々と思い出してしまったせいか、妙に意識している。
争っている様子ではないが、時折激しい物音が聞こえてくるようになった。
多分、誰かが扉を蹴り破ってでもいるのだろう。
捜しているのだ。ティアか、ティアと同じくこの基地に囚われの身となっているカレンを。
物音が近付いてくる。
セシルの命令で、ティアは寝台の上で小さくなっていた。
(……助けに来てくれたの……ほんとに……?)
遠い遠いホルン王国から、こんな辺境の地まで。
また、ルーアのことを思い出した。
動悸が激しくなるのを感じる。
物音が鳴らなくなった。
セシルは緊張した面持ちで、ボウガンを手に扉に張り付くようにして構えている。
足音が響く。すぐにそれが聞こえなくなる。
声を上げるべきだ、とティアは思った。
ここにいると。敵が待ち構えていると。
だけど、喉が詰まって上手く声を出せなかった。
助けに来てくれた。みんなが、ユファレートが、ルーアが。
感情としては、感激に近い。
セシルが、廊下へと飛び出す。
物音、呻き。
ややあって、風を切るような音、そして罵声。
部屋に、誰かが転がり込んでくる。
「ルーア!」
ティアは、声を上げていた。
現れた人物が、困ったような表情をしながら立ち上がる。
「……残念ながら、俺だ」
「テッ……!?」
ティアは、頬の肉が引き攣るのを感じた。
部屋に転がり込んできたのは、ルーアではなくテラントだった。
「おかしいな……空気は割りと読めるつもりなんだが。なんか、悪いな。なんだったら、後でルーアにやり直しでも……」
「な、なに言ってんのよ!」
妙に恥ずかしくなり、ティアは慌てた。
顔が赤くなっているのを感じる。
「助けに、来てくれて、ありがとっ! すごく、嬉しい!」
「……なんか、たどたどしいな」
テラントは、『カラドホルグ』を抜いて光を伸ばしていた。
向ける先にいるのは、右手でセシルを支え、左手で剣を構えたノエル。
互いの武器を手に、睨み合う。
ノエルはセシルを床に座らせ、部屋に足を踏み入れてきた。
「ティア」
テラントが、セシルから奪い取ったのだろう、黒塗りのボウガンを放り投げてくる。
手枷を付けられたままだったが、なんとかそれをティアは受け取った。
というよりも、受け取れる位置にテラントが放ってくれた。
「な、なに?」
「見えたら、撃て」
「え?」
セシルに向かって矢を放て。テラントは、そう言っている。
ノエルの足が止まった。
ノエルを見据えながら、テラントが壁際へと移動する。
「その女から離れてみろ。俺は、その女を狙うぞ」
「……」
体はこちらに、首から上をテラントに向け、ノエルは動かない。
ボウガンの引き金に、ティアは指を掛けた。
テラントは、本気でセシルに斬り掛かるつもりだ。
本意ではないだろう。
剣を持った相手が一人。
本当は、正面から正々堂々と応じたいはずだ。
だがここは、敵地のど真ん中。
ぐずぐずしていたら、敵に取り囲まれるかもしれない。
なによりも、おそらくはティアを助け出すために、テラントは誇りを捨てている。
テラントが本気だと、ノエルには伝わったようだ。
溜息をつきながら、剣を鞘に収める。
「……わかった、見逃してあげるよ。けど……」
と、ティアの手元を指す。
「それ、返してよ」
「え?」
「セシル、気に入ってたみたいだから」
ボウガンを返せ、と言っている。
ティアは、指示を求めてテラントに視線を向けた。
テラントは、固い表情でノエルを見つめている。
ノエルが、鞘ごと剣をテラントの足下に放り捨てる。
「これでいいでしょ? 返してよ」
「……」
テラントは、構えを崩すことなくノエルを見つめ続けている。
ややあってから、口を開いた。
「……ティア、矢を捨てろ。カートリッジの中身のもだ」
「う、うん」
カートリッジという物がなにかよくわからなかったが、ボウガンの横っ面に外付けられている、箱型の物体のことだろう。
脱着式となっており、外すと矢が大量に入っていた。
中身を捨て嵌め直し、テラントの横顔に眼を向ける。
テラントが、無言で頷く。
ティアは、ノエルにボウガンを放った。
「ありがと」
短く礼を言いながら、受け取るノエル。
ティアとテラントに交互に視線を向け、セシルに肩を貸し、廊下へと姿を消した。
ノエルの姿が見えなくなっても、しばらくテラントは動かなかった。
数分は経過した後で、ようやく廊下へと顔を出し、敵の存在がないことを確認したか息をついた。
「……随分遅くなっちまったが、無事かティア?」
手枷足枷を叩き割りつつ、聞いてくる。
「……うん、大丈夫。ありがと、テラント。……他のみんなは?」
「わからん。途中ではぐれた。けどまあ、あいつらのことだ。それぞれ、なんとかするだろ」
テラントの手を借りて、寝台を降りる。
手足が自由になったのは久々で、立つのに少しだけ苦労した。
「よし、逃げるぞ、すぐに」
「……あの、あたしの武器と服、見なかった?」
「いや、見てないな」
ティアが着ているのは、ひらひらしたドレスだった。
砂漠を移動するのに向いているとは思えない。
それに、『フラガラック』だけは回収したかった。
あれを譲ってくれたのは、亡きドラウである。
ドラウの形見のような物だとティアは思っていた。
「……捜す暇はないぞ」
「……うん。あ、あと、あたし以外にも捕まっている人がいるんだけど」
「知ってる。カレンのことだな。その知人から救助の依頼を受けているが、まずはティア、君だ。俺一人じゃ、二人を守りながら逃げるのは難しい」
「……うん」
まずは、自分が助かることだ、とティアは思った。
態勢を立て直し、それからカレンのことは助ける。
こうしてティアは助けられようとしているのだ。
カレンを助け出すのは、決して不可能なことではない。
暗い通路を、テラントに続き進む。
敵とはまったく遭遇しない。
これならば、カレンの救出に向かってもいいのではないのか。
思ったが、口にはしなかった。
迷いを口にするのも行動に出すのも、危険であるような気がする。
なにより、テラントにも迷いが生じてしまうだろう。
基地を出て、走る。
普段履いているブーツではなく、ヒールのある靴である。
砂の上をまともに歩けるような物ではなく、ティアは裸足になった。
ひんやりと冷たい砂が、少し気持ちいい。
しばらく走ると、指先が痺れるようになってきたが。
背後から響く重い音を聞いて、ティアは足を止めた。
テラントも立ち止まり、振り返っている。
「……なんだ、ありゃ……?」
呆然と呻く。
基地が、崩れ出していた。
正確には、基地の屋根や壁のほんの一部が、崩れたパズルのようにばらばらに分解して、それが宙に浮いているのだ。
屋根や壁の一部だった無数の物体は、ゆっくりと動いていた。
西へと移動しているようだ。
「あたしのティア城が!?」
「なんだ、そりゃ……」
今度は呆れたように、テラントが呻いた。
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こちらが辟易してしまいそうになるくらい、何度も何度もセシルは謝った。
「ごめんなさい、ノエル。わたしのせいで……」
「いいよ、べつに。そんなの、どうでも」
無視をしたら、泣くような気がした。
泣く女は嫌いだった。
だから仕方なく、いちいちノエルは返事をした。
「ザイアムもなんか、目的を達成したみたいだし。クロイツがいっつも側にいて、目障りだし。なんか萎えた。あと、砂漠に飽きた。しばらく、ウェインに構ってもらうとするよ」
「……」
「君も、連れてくよ。いいよね?」
「……はい」
セシルは、どうにも落ち込んだ様子である。
ティア・オースターを奪い返されたことなど、どうでも良かった。
ザイアムに頼まれ攫ってきたのだが、それはこの砂漠までルーアたちをおびき寄せるためだったのだろう。
ルーアたちは、砂漠にまで来た。
だからもう、ティア・オースターはどうでもいい。
それを説明しても、セシルは慰められていると思うだけだろう。
かえって傷付くだけのような気がした。
上手く説明できる自信もない。
全部投げ出したくなった。
すべてを捨て、見える物すべてを斬って回る。
さぞかし爽快だろう。
剣を捨てたことを思い出して、ノエルは溜息をついた。
打たれた腹がまだ痛いのか、セシルは一人で歩くことができず、ずっとノエルの肩を借りていた。
女にしては身長が高い方だが、重たくはない。
やっぱり女なんだな、そんなことを考えながら、ノエルは砂漠を歩き続けた。