終わりの時
追ってくるのは、能力者たちと兵士たち。
能力者たちを率いているのは、イグニシャ・フラウなのだろう。
兵士たちを指揮するのは、おそらくナルバン。
その巨体を、何度か見掛けた。
デリフィスは、自分が疲れているのを感じていた。
隣を走るルーアも疲れているだろう。
この場にいないテラントやシーパル、ユファレートも。
日程を詰めて、ホルン王国からラグマ王国に来た。
そして、砂漠という厳しい環境での旅である。
終日敵の襲撃を警戒しなければならなかった。
心身共に少しずつ削られていった。
それが今、疲労として体を重くしている。
炎や電撃をかわし、防ぎながら逃げる。
デリフィスとしては、魔法をかわす時と同じ感覚で避けていたが、ルーアにとってはそうでないらしい。
魔法使いであるルーアは、魔力を感知できる。
敵の魔法を、感覚を頼りに防ぐことができる。
しかし、能力者たちの能力の前では、その感覚が働かないらしい。
贅沢なものだと思う。
デリフィスやテラントが、日頃どれだけ神経を尖らせて、敵の魔法に備えていることか。
兵士たちは、近くまで迫ってきていた。
能力者が放つ電撃が、デリフィスたちの所まで届く。
かわすことはできる。
ルーアが展開する魔力障壁で防ぐことも可能だ。
だがそのたびに、こちらの逃亡速度は落ちる。
何度目になるか、ルーアが魔法で電撃を防ぐ。
そこで、兵士たちに追い付かれた。
人数が多い。
あっという間に乱戦となった。
それでもルーアを突き飛ばし、なんとか先に行かせる。
剣を持っている兵士が多い。
囲まれた。
四方から突き出される剣をなんとかかわし、受け流す。
だが、一本の剣が右眼の上を掠めていった。
流れ出る血に、視界を奪われる。
やはり、疲れている。
少しずつ、動きに狂いが出る。
それが、体に剣を触れさせてしまった原因。
「なにやってんだよ、おい!」
「うるさい」
背後のルーアに言い返し、デリフィスは剣を振った。
一人の体が割れ、三人が後退し、あるいは尻餅を付いている。
乱戦から抜け出したルーアが、魔法を組み立てる。
「ファイアー・ボール!」
火球が、デリフィスの剣から逃れた三人を呑み込む。
ルーアの援護を背に、デリフィスは踏み出した。
両手に剣を持った兵士を斬り伏せ、ルーアに向かって放たれた矢を叩き落とし、不用意に跳躍した者を斬り飛ばす。
眼に血が入り、よく見えない。
勘に頼り、デリフィスは剣を振っていた。
時間を稼ぐことができたか、ルーアがまた火球を放つ。
四人が炎に巻き込まれる。
体に火が付いたまま果敢に向かってくる兵士が一人いたが、容赦なくデリフィスは剣をその体に突き立てた。
ナルバンは、向かってこない。
ユファレートの魔法で負傷したが、理由はそれだけではないだろう。
能力者たちからの攻撃がない。
乱戦の外側を移動している。
兵士たちの攻撃は、能力者たちが包囲を完成させるまでの時間稼ぎ。
ナルバンが合図を出した。
兵士たちが、一斉に退く。
追撃はできなかった。
背中合わせに、ルーアと立つ。
能力者たちによる包囲は、完成していた。
どの方向を見ても、誰かがいる。
包囲。デリフィスとルーアを殺すための陣。
「眼、見えてるか?」
「半分はな」
傷口を拭うが、思ったよりも深いのか、血が止まらない。
暗さのせいもあり、デリフィスにはどれがイグニシャかわからなかった。
兵士たちを後退させたナルバンが、誰かと話している。
もしかしたらそれが、イグニシャなのかもしれない。
「……優先順位を決めとこうか、デリフィス」
ルーアの息は、弾んでいた。
「まずは、当然自分の命。これは、不動の一番でいい」
デリフィスは頷いた。
背中合わせのルーアには見えないだろうが、気配は伝わっているはずだ。
「で、二番は……」
ルーアの、乱れた呼吸が聞こえる。
「オースターの救出にしてくんねえかな……?」
「……」
「やるからには、もちろん勝ちにいく。けど、もし無理なら……俺はあんたを見捨ててでも、先に行く。だからあんたも、俺を見捨てて先に行けるなら、そうしてくれ……」
敵は、不思議な力を持つ能力者たち十一人。
部隊として、非常に統制も取れている。
二人では、勝ち目がない。
二人揃って死ぬよりは、別の選択をした方がいい。
一人を見捨ててでも、一人は先に行く。
ティアを助けられる可能性を、残すことができる。
「いいだろう」
答えると、ルーアは低く喉を鳴らした。
笑ったようだ。
「んじゃま、ぎりぎりまでは全力で抗いますか」
背中合わせ。逆の方を向いている、剣。
静寂に近い、砂漠の夜。
砂が風で流れる音が、微かに聞こえた。
テラントたちとはぐれてから、二時間は経過している。
ずっと走り続けた。
夜は、まだ長い。
明日の朝を、迎えられるのか。
イグニシャと思われる男が、口を動かす。
そして、能力者たちが襲い掛かってきた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
遠く離れた所にいるシーパル・ヨゥロとユファレート・パーターを、カリフは双眼鏡を使い観察していた。
対峙が続いている。
目論見通りの対峙だった。
ルーアとデリフィス・デュラムの方は、イグニシャ他能力者たちが倒してくれるだろう。
ナルバンもいるから、心配はいらない。
テラント・エセンツを見失ったことが唯一の不安材料だったが、ルーアたちと合流しようとする動きを見せたら、クロイツから連絡が入るはずだ。
カリフは、ここでシーパル・ヨゥロとユファレート・パーターを押さえ込んでいればいい。
優れた魔法使いだからこそ、遠距離の魔法が不確実であることをよく知っている。
相手に魔法使いがいれば、かなりの確率で防がれてしまうことも。
前衛となる者が不在では、積極的に戦闘を仕掛けることに躊躇いが生まれてしまうだろう。
ルーアかテラント・エセンツかデリフィス・デュラムがいれば、戦闘になっていた。
前で戦うことができるというのもあるが、性格的に長い対峙を選択しないだろう。
慎重なところがあるシーパル・ヨゥロとユファレート・パーターが相手だからこそ、対峙を長引かせられる。
兵士を盾に、こちらから仕掛けることはできる。
優位に戦えるかもしれない。
だがそれは、決着が早目につくということだった。
必ずこちらが勝つと決まっている訳ではない。
戦闘中にできあがる隙をついて、二人は逃げ出すかもしれない。
その行き先が、ルーアたちの所かもしれないのだ。
戦うよりも、無駄に動かず堪えることをカリフは選んだ。
二人がルーアたちの元へ向かおうとした場合は、阻む。
逃げようとしたら、距離を保ち追う。
その方針を、兵士たちには貫かせればいい。
魔法を使い、逃げたり誰かと合流するのも、少し難しいはずだ。
移動するための魔法には、どれにも欠点がある。
飛行の魔法を使用途中は、他の魔法を使えない。
狙撃されてしまえば、そして命中してしまえば一溜まりもない。
片方が飛行の魔法を使い、片方が防御の魔法を使うという手もあるが、他者を抱えながらでは飛行速度が落ちる。
カリフに、強力な魔法を発動させるための暇を与えるということだった。
瞬間移動の魔法は、転移直後の隙が多い。
だからこちらからは手を出さず、相手が転移してから攻撃魔法を使えば、割と捉えることができる。
ユファレート・パーターは、他者も術式の対象に組み込んだ長距離転移を使えるが、発動前に時間が掛かる。
使う姿勢を見せたら、躊躇わず攻撃を開始させてもらう。
シーパル・ヨゥロだけでは防ぎきれないだろう。
実はカリフが一番恐れているのは、二人の強力な魔法使いが正面から力押しに攻めてくることだった。
単純なだけに、目的がはっきりしている。
罠に簡単に嵌まってくれるほど、馬鹿ではない。
こちらとしては、受け止めるしかないのだ。
両方の戦力に、極端な差はない。
勝機は、どちらにもある。
突破されれば、ルーアたちと合流されてしまう。
(……クロイツ様)
呼ぶと、反応があった。
エスに妨害されているのか、声はない。
(使用許可をいただきたい)
明確な返事はなかったが、意思のようなものは流れてきた。
承知してくれたようだ。
(ありがとうございます。できるだけ、そちらには影響が出ないように致しますので)
すぐに接続は切れた。
優勢ではあるだろうが、クロイツもエスへの対応にはそれなりに苦労しているのだろう。
シーパル・ヨゥロとユファレート・パーターは、まだ動かない。
二人が動かない間は、対峙を続けられる。
だが、いずれは痺れを切らす。
ティア・オースターが心配なはず。助けたいはず。
ルーアたちのことも、気になっているだろう。
動かなければ、ティア・オースターを助けることも、ルーアたちの力になることもできない。
砂漠の夜は、晴れていた。
風の影響か、砂が混ざった空気である。
この空気を、何年も吸ってきた。
砂の吸い過ぎで、肺が黄色になっているのではないか。
カリフは、そんなことを考えた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
傷の治療をまともにしていない状態で、ナルバンはよくやってくれた。
礼を言い、イグニシャはナルバンを戻らせた。
戦力を分けたカリフは、苦労しているかもしれない。
ルーアとデリフィス・デュラムは包囲した。
あとは、イグニシャとイグニシャが信頼する部下たちの仕事である。
指示を出す。
『伝心能力』のあるアスフが、イグニシャの言葉を全員に伝える。
ステットが、濃霧を発生させた。
それでも、『透視能力』のあるイグニシャには、ルーアとデリフィス・デュラムが見える。
部下が、指示通りに展開し、突撃する。
それを束の間満足に見つめ、イグニシャは『発火能力』を使用した。
◇◆◇◆◇◆◇◆
霧が辺りを包む。
能力者たちが向かってくるのを感じる。
ルーアは跳躍した。
予想通り、背中の方で炎が弾ける。
デリフィスと分断される。
こちらの構えなど関係なく、中心に炎を叩き込んでくるのだ。
連携など取りようがない。
圧倒的劣勢を覆す典型的なパターンの一つとして、敵の頭を潰すことがある。
しかし、イグニシャの側には魔法が直撃しても平然としていた大男がいた。
遠距離で魔法を使っても、イグニシャは倒せない。
背後で剣撃が聞こえた。
デリフィスが戦っている。
濃霧と夜の暗さのため、状況ははっきりしない。
火花が散るような音がして、ルーアは身を屈めた。
頭の上を、電撃が走り抜ける。
止まらず、走る。
また、炎が弾けた。
なんとか反撃できないか。
必死で敵の姿を捜す。
霧で霞む前方に、人影を見付けた。
「フォトン・ブレイザー!」
魔法を放つ。
だが、光線が貫く前に、人影は消失した。
瞬間移動の魔法が発動したかのような消え方。
実際に、そのような能力の持ち主だったのかもしれない。
そして、こちらの攻撃を能力でかわせるという自信があったのならば、考えられる役割は、囮。
剣を少し上げる。
危険を感じたら、まず頭を守れ。ランディの教えだ。
足下に、抵抗があった。
砂が手の形に固まり、ルーアの両足首を掴んでいる。
背中を押すような衝撃。
「……っ!?」
誰の姿も見えない。
だが、おそらくは短い刃物を突き立てられている。
ルーアの体内に刃を潜り込ませるため、押している。
耐刃ジャケットが破られたのか、痛みがあった。
「このっ……!」
身を捩り、剣を振る。
姿は見えないが、手応えと悲鳴があった。
自身の周囲の光を屈折させ、相手の視界から自分の像を消しているのだろう。
防具で受けられたか、刃に血は付いていない。
瞬間移動の魔法を使い、ルーアは砂の手の拘束から逃れた。
一瞬前までルーアがいた所を、炎が焼いている。
高度な魔法を使用した影響と背中の痛みで、ルーアは喘いだ。
突き立てられたのは、短剣かなにかだろう。
ぞっとする。
おそらく骨に当たり刃が止まったのだろうが、運が欠けていれば肺を破っていたのではないか。
電撃、炎、続け様に発生するそれらを、転がりながらかわす。
少し体を掠めたか、肌がひりつき焦げた臭いがした。
風が鳴る。
全身に、無数の小さな痛みがあった。
風に包まれている。
(鎌鼬……!?)
力場を発生させながら、走る。
すぐ側で、炎が弾ける。
一撃必殺の攻撃。
横手から、戦斧を振り上げた男が襲い掛かってきた。
隙が大きい。
戦斧をかわし、前に出る。
振った剣が、男の脇腹を擦っていく。
だが、服が裂けただけで血が吹き上がらない。
服の下に、なにか着込んでいるようでもない。
男は、笑っている。
(魔法を弾く奴だけでなく、剣を防ぐ奴もいるのかよ!?)
後退し、次の戦斧の攻撃を避ける。
ルーアは、右腕を上げた。
剣が通らないのならば、魔法で倒すしかない。
火花が散る音。
咄嗟に、攻撃魔法から防御魔法に切り替える。
魔力障壁を、電撃が叩いた。
魔法の精度が悪かったか、衝撃が激しく体に伝わってくる。
止まれない。走る。
炎が発生する。追ってくる。
傷が、少しずつ増えていく。
声を上げた。
剣撃の音を印に、走る。
デリフィス。周囲に、何本か短剣が浮いている。
剣で払っても、意思を持っているかのようにデリフィス目掛け飛ぶ。
更に、長い爪の男がデリフィスに接近戦を挑んでいた。
爪の男に、背後からルーアは斬り掛かった。
デリフィスと挟み撃ちにできる。
だが、爪の男はルーアが接近してくるのがわかっていたかのように、すぐに身を翻しルーアたちから離れていった。
やはり、霧を見通す力を持つ者が敵にいるのだろう。
そして、他の能力者たちに状況を伝えている。
追撃を仕掛けようとしたが、浮かぶ短剣に遮られた。
炎。デリフィスと同じ方向に跳び、なんとか合流した。
そこで、能力者たちの攻撃が収まる。
だが、次の攻撃の予兆はあった。
霧の向こうで、動いているのがわかる。
ルーアたちを更に追い込んでいくための陣を組んでいる。
体中のあちこちから、血が流れている。
片眼が塞がった状態で複数の能力者と戦っていたデリフィスも、腕や足に傷を負っていた。
「……あいつらの狙いは、俺みたいだな」
「……」
「デリフィス、先に行っててくれ」
「……なにを言っている?」
べつに、諦めた訳ではない。
だが客観的に見て、勝てる見込みはほとんどない。
一人一人が能力者であるというだけでも厄介なのに、こちらを分断しつつ、自分たちはしっかり連携し攻撃してくる。
一人で複数の能力者に相対しなければならない状態を強いられる。
このまま二人で残っても、共倒れになるだけである。
狙われているのは、ルーアだった。
ルーアがここに残れば、敵も残る。
デリフィスだけは、先に行ける。
デリフィスが生き残れば、それだけティアが助かる可能性は上がる。
「……もう諦めたのか?」
「そうじゃねえ。けどよ……」
ルーアは、息をついた。
「……頼むよ、デリフィス」
意図せずに、呟くような小声になった。
デリフィスに聞こえただろうか。
返事はない。
足音がする。
能力者たちが駆け出している。
炎と電撃。
跳躍してかわす。
着地と同時に、デリフィスが走り出した。
斬撃に、爪の男がよろける。
その横を、デリフィスは駆け抜ける。
基地がある方向へと走る。
デリフィスの背中に、ルーアは小さく笑った。
(それでいいさ……ありがとな、デリフィス)
敵の突進が止まった。
ここでルーアが悲鳴でも上げれば、デリフィスが戻ってくるかもしれない、そんなことでも考えているのだろう。
狙いがルーアならば、デリフィスが行ってしまうのは、イグニシャたちにとって悪くない。
デリフィスが遠くに去ってから、攻撃がくるだろう。
わずかに与えられた時間に、ルーアは背中の傷を塞いだ。
霧が晴れている。
取り囲む、十一人の能力者たち。
イグニシャを正面に見据え、ルーアは構えた。
「……三ヶ月半だ、この野郎」
アズスライの出来事から、それだけの時間が流れた。
その間、ずっと我慢してきた。
ともすれば仲間たちに当たりそうになるのを、堪えてきた。
表情や態度にも、できるだけ出さないようにしてきたつもりだ。
「……俺は、ムカついてるんだ。楽に殺せると思うなよ……」
デリフィスの姿が見えなくなったか、能力者たちが歩を進めてきた。
一人でも多く、道連れにする。
唾を吐き捨て、ルーアは剣の先を上げた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
死ぬまで戦う、デリフィスはそのつもりだった。
ティアの元へは、ルーアが行けばいい。
戦場に残り最後まで戦うというのなら、それもいいだろう。
一年半、共に戦ってきた。
ルーアのことは、認めているつもりだ。
共に戦い共に死ぬ相手としては、悪くない。
だが、先に行くよう言われた。
ルーアは、確かに頼むと言った。
これまでの会話の一つ一つを覚えてなどいないが、ルーアに頼むと言われたのは、おそらく初めてに近いだろう。
だから、応じた。
自分よりもティアの方が大事だというルーアの気持ちを、感じたような気がした。
男が女のために、覚悟と死に場所を決めたのである。
それには、応えてやりたい。
イグニシャたち能力者の部隊は、デリフィスを追ってこない。
やはり目的は、ルーアにあるのか。
布で、眼の上の傷を拭った。
少しは前が見えやすくなったような気がする。
体中にあるいくつかの裂傷は、無視した。
かすり傷ばかりである。
傷を負うことにも、血を流すことにも慣れている。
変化に乏しい、砂漠の夜。
月と星で方角を確かめながら、デリフィスは走った。
◇◆◇◆◇◆◇◆
軍営の中に築かれたジェイク・ギャメの居室には、事務用の書類が山積みになっていた。
砂漠の地にいても、執務官としての仕事が忘れられないらしい。
砂漠の夜は冷え込むが、火などは入れられていなかった。
エスが理由を尋ねると、その地その地の環境を常に頭に入れておきたいからだ、とジェイク・ギャメは答えた。
暑さにより、食料が駄目になることがある。疫病が流行ることがある。
積雪により、山中の進軍が滞ることがある。寒さにより、戦場で凍死者が出ることがある。
ジェイク・ギャメは、そういうことを見落としたくないのだろう。
政治を行う者や軍を率いる者が見落とせば、下の者が苦労する。
午後十時を回っている。
まだまだ仕事を続けるつもりのようだ。
床に着くのは、大体いつも深夜一時を過ぎてからになる。
そして、五時頃には目覚め、また仕事を始める。
ラグマ王国は世界最大の国力を誇るが、それは国の中心にジェイク・ギャメのような者がいるからなのだろう。
資料作成のために忙しなく動いていたジェイク・ギャメの手が止まった。
「……よろしいのですか?」
資料からは眼を離さず、聞いてくる。
エスの能力により、ジェイク・ギャメの居室に、ある砂漠の情景が映し出されていた。
一人戦うルーア。
相手は、イグニシャ・フラウら能力者十一人。
「……ここで死ぬのならば、それまでの者」
戦闘の場に於けるルーアは、いわば万能型だった。
エスの手駒の中では、ストラーム・レイルという絶対的な巨人を除けば、総合力という点でライア・ネクタスに並び第一位となる。
臨機応変に戦える。
様々な戦術を持つ。
イグニシャ・フラウは、そのルーアの手札を一枚一枚潰し、選べる戦術を減らしていた。
危険な能力者でありながら、イグニシャ・フラウはそれだけに頼らない。
狡猾で用意周到である。
一掃される可能性がある強力な魔法を使わせないように必ず先手を取り、視界を奪い、部下たちには複数で攻撃させている。
いつまでルーアは、凌ぐことができるか。
ジェイク・ギャメは、ルーアが何者か知っているだろう。
興味がある素振りを過剰に見せないのは、すでに交渉が始まっていることを理解しているからか。
「部隊を、『コミュニティ』の基地へもっと進軍させて欲しい」
「それでは、我が軍の犠牲が大きくなりますな。私たちはあくまでも牽制のための軍でしかない。戦うのはあなた方。そうでしょう?」
「このままでは、勝ち目がない」
「それをなんとかするのが、彼らの背後にいるあなたの仕事でしょう?」
「そうだ。そして、なんとかするために私は君に会いにきたのだよ、ジェイク・ギャメ」
居室にいるのは、エスとジェイク・ギャメだけだった。
外へ漏れる音声は無音に変換されるように設定してあるので、余計な者に話を聞かれることはない。
余計な者には。
「……発言を控えているが、実はフニック・ファフと接続している。私たちの会話を、彼も聞いている」
「……」
「構わないだろう? 彼は、ルーアたちの出資者のようなものだ。立場としては、私とそれほど変わらない」
「……そうかもしれませんが、事前に説明して欲しかったですね」
「ふむ」
エスは、考え込む振りをして顎に触れた。
「確かに、君の言う通りだ。フニック・ファフとの接続を切ろう。だがその前に、彼に言いたいことはないかね?」
「……私の方からは、特には」
「ふむ。ではフニック・ファフ。君は、なにか言いたいことはないかね」
『……』
フニック・ファフの微かな緊張を、エスは感じていた。
躊躇い。ややあって、声が聞こえてきた。
『……なぜ、政府はもっと商人を上手く利用しないのです?』
わずかに、ジェイク・ギャメの表情が変わる。
広い湖面に小石が投じられ、微かな波紋が生じるように。
わずかな変化を、エスは見逃さなかった。
ジェイク・ギャメが口を開きかける。
その発言を、エスは遮った。
「口を慎みたまえ、フニック・ファフ。彼はラグマ王国の執務官として、できる限りのことをしている」
「……利用しないのではなく、利用できない状況なのですよ、ファフ殿」
言葉の内にわずかに含まれる、苦い感情。
謝罪の気持ちが伝わってきたが、フニック・ファフはそれを口にしなかった。
一言だけ、とエスが念を押したからだろう。
フニック・ファフとの接続を、エスは切った。
(……そうきたか)
例えば、同じことをエスが言ったとする。
ジェイク・ギャメは苦笑するだけだろう。
先年の、『ヒロンの霊薬』についての政策。
それは、一部の商人たちから利益を奪う政策だった。
十年後、二十年後の莫大な利益を手に入れるための政策だったが、それによりラグマの商人たちからはそっぽを向かれ、現在国内の経済が滞っているのは事実。
ラグマの商人たちは、ラグマ政府に利用されてくれない。
もっとも、数年のうちに両者の関係は回復するだろうが。
商人たちには、国が必要である。
政府が背後に付けば、安定した商売ができる。
政府としても、国の経済を円滑に回すために、商人の力を必要とする。
持ちつ持たれつの関係であり、確執はいつまでも続かない。
そして、関係修復が早ければ早いほど、ラグマ政府にとってはありがたい。
ジェイク・ギャメが砂漠の資源を求めていることを、フニック・ファフには伝えてあった。
経済的に苦しいところがあると、商人であるフニック・ファフは感じ取っていたのだろう。
エスから指摘されても、ジェイク・ギャメを揺さ振ることはできない。
ラグマ王国の現状を、エスは理解しているから。
皮肉を言われたとしか、感じないだろう。
ラグマ王国の現状をすべて理解できていないフニック・ファフに言われたからこそ、ジェイク・ギャメは動揺した。
自分が執務官の立場なら、もっと上手く商人を利用する。上手く利用できる。
フニック・ファフがそう言っているように、ジェイク・ギャメには聞こえただろう。
それは、商人であるフニック・ファフにはできることだった。
そして、政府執務官であるジェイク・ギャメにはできない。
だが、ジェイク・ギャメはフニック・ファフ個人を利用することができる。
ジェイク・ギャメは、考えをまとめているようだった。
ややあって、口を開いた。
「……フニック・ファフは、ラグマの商人組合や商人たちに、顔と名を知られておりますな」
「彼のことを、悪く言う者も多いがね」
「それだけ商人として優れている、ということでしょう?」
損をすることもあるが、総合的に見るとフニック・ファフはかなり儲けている。
妬む者がいる。商売仇も多いだろう。
だがフニック・ファフは、他の商人たちを完全な敵にすることなく、巧妙に立ち回ってきた。
ルーアたちと出会う前、ユガケの街で麦の売買を行い、一儲けしていた。
儲けの一部を、損をした商人たちに配ったりしているのだ。
善くも悪くも、フニック・ファフはラグマの商人たちの間では有名だった。
「私はしばらく彼を観察していましたが、実に上手く他の商人を利用していると感じました」
「そうだな。あれは一種の才能だ。市場の変化と商人たちの心理を読み解くことに、長けている」
「レボベル山脈に、桟道ができました」
「知っているよ」
「出資者の一人は、フニック・ファフですな」
「ホルン王国の商人たちとも、関係があるということだな。そして、海路、ニウレ大河、レボベル山脈越えに続く、第四の道を利用できる状況にある」
「……」
さすがにジェイク・ギャメ、というところだった。
説明するまでもなく、最良の答えに辿り着く。
こちらとしては、少し考えを添えてやるだけでいい。
見えているはずだ。
経済を活性化させるためには、商人たちの力が必要である。
だが、政府は国内の商人たちに、背を向けられている。
フニック・ファフならば、仲介ができる。
恋人を奪われた状況であり、助けるために一役買えば、恩を売れる。
フニック・ファフの協力を得られる。
おまけに、ホルン王国との新たな流通の道を作れる。
軍を進めようか、という気にはなっているはずだ。
(……だが、もう一押し足りないか)
軍を動かすというのは、それほど簡単なことではない。
それが、政治を担う者であってもだ。
場合によっては、王の許可が必要な時もある。
このままでもジェイク・ギャメは進軍を開始させる、とエスは確信していた。
おそらくは、二日後か三日後。
それでは遅い。
ルーアたちは全滅か、全滅に近い状態になっているだろう。
だから、もう一押し。
手続きなどを無視してジェイク・ギャメが軍を動かしたくなるような、強烈な出来事が必要になる。
それは、エスやフニック・ファフに起こすことはできない。
(……君の仕事だ、ルーア)
居室の壁に映し出された映像に、エスは眼を向けた。
視線を外してはいたが、意識を外してはいなかった。
ルーアは、十一人の能力者を相手に、必死に戦っている。
必死に逃げ回り、必死に反撃の機会を捜している。
ようやく、能力者の一人をルーアが倒した。
だがそれは、右腕を犠牲にしてのことだった。
半ばまで切断されたルーアの右手首から、血が噴水のように吹き上がる。
◇◆◇◆◇◆◇◆
能力により生じた霧が、辺りを覆う。
これまでと同じ展開だった。
視覚が当てにならないのならば、勘に頼るしかない。
戦闘の場で、殺気というものは確かにある。
肌で感じ、勘を働かさなければ、生き残ることはできない。
皮膚に突き刺さるようなものを感じ、ルーアは後方に跳躍した。
炎が渦巻き、眼前を焦がす。
足音。複数。左右から。
「ライトニング・ボルト!」
右の人影に電撃を放つ。
が、その姿が虚空に消える。
左から、四角い顔の男が接近してきた。
爪が伸びる。
剣で払いながら、後退する。
足を捕られた。
砂の手が、ブーツを掴んでいる。
爪の男が身を翻す。
来る。
ルーアは、瞬間移動の魔法を使用した。
直前までいた所を、電撃が貫き、炎が焼く。
横手から、短剣が飛んできた。
二本は剣で弾くが、二本が肩と脇腹に当たる。
耐刃ジャケットを破ることはなかったが、衝撃にルーアは顔をしかめた。
視えない力場のようなものが、体に絡み付いてくる。
触れることなく干渉する力の持ち主がいる。
そいつが短剣を飛ばし、ルーアの体を捩じ伏せようとしている。
身動きが封じられつつある中、戦斧を振り上げた男が突進してきた。
(こいつは……!)
顔というよりも、武器で覚えていた。
刃物を通さない肉体の持ち主。
魔法を放つために右手を向けようとするが、視えない力に腕を捩じ上げられる。
体を捻り、なんとか戦斧を剣で受けた。
体当たりのような一撃であり、柄が体に喰い込んでくる。
骨が軋む音がする。
倒れ込む。
覆いかぶさってくる男の顔を蹴り付け、地面を腕で叩き、なんとか転がる。
炎が、今度は砂地を焦がす。
魔力障壁越しの電撃に、ルーアはよろけた。
風の塊が体を叩き、吹っ飛ばされる。
電撃、風、短剣。
次々と攻撃がくる。
魔力障壁や力場の魔法で防ぎながら、ルーアは違和感を覚えていた。
接近してくる者がいなくなった。
そして、距離を取っての攻撃に、イグニシャが加わらないのもおかしい。
それは、微かな前触れ。
空気が乾く気配。
咄嗟に、魔力障壁を張り巡らせる。
それに意味があるかどうかわからないが。
視界が、炎で埋まった。
熱により生じた気流が鼓膜を震わせ、頭の中に音を響かせる。
(炎を、浴びた……?)
朦朧とする意識で、考える。
敵が距離を取り出したのは、このためか。
イグニシャは、広範囲に炎を生み出す術を持っていた。
回避不能にかなり近い。
(死んだ……? いや……)
本当に必殺の技であるのならば、最初から使えばいい。
なにか制限があるのだ。
負担が大きく何度も使えない、連続して炎を生み出せなくなる、火力が極端に落ちる、といったような。
炎に撒かれながらも、ルーアは魔力障壁を維持していた。
電撃や風が防御の魔法を叩く。
敵の攻撃は続いている。
今の炎だけではルーアを倒せないとわかっていたからだ。
逆に言えば、まだ戦うことができる。
砂の手が、両の足首を掴む。
力場が体を圧迫し、こちらの動きを更に制限してくる。
炎を喰らった影響か、頭の中で音ががんがん鳴っている。
瞬間移動のような高度な魔法を、構成することができない。
いきなり、すぐ側に男が二人現れた。
光を屈折させる能力者がいた。
その者からの、支援を受けたのだろう。
あるいは、空間移動の能力を持つ者が、二人を飛ばしたのか。
爪を伸縮させる四角い顔の男。
もう一人は確か、魔力を弾く大男。
イグニシャの側にいたはずだが、獲物を狩るための仕上げに、前に出てきたか。
四角い顔の男が、両手の爪を伸ばす。
右手の爪は、剣で弾く。
左手の爪。
かわせない。
右手で払いのけた。
衝撃に、男がよろける。
右手を振った反動を利用し、ルーアは上体を捩った。
剣を、爪の男の四角い顔に叩き込む。
刃が頬を裂き、頭蓋を砕く。
剣を振り切った状態で、ルーアは呻いた。
爪を払った右手に、重大な損傷を受けた。
手首が、半ばまで断たれている。
血が、吹き出している。
接近していたもう一人、魔法を弾く大男が、体格に似合わない短剣を振り上げる。
お世辞にも、扱い方が上手いとは言えない。
普段ならば、簡単に防げる。
だが今はもう、剣を振り上げる力も残っていない。
それでもルーアは、頭を振り、こめかみに短剣を打ち込まれることを避けた。
かわしながら、体を前に傾ける。
大男の懐に潜り込む形になった。
左肩が、大男の胸に当たる。
血に塗れた右腕を振り上げる。
痛みは、まだない。
それよりも、出血による喪失感の方が大きい。
そして、まともに神経が繋がっているとは思えないが、まだ指が動いた。
大男の口の中に手を突っ込む感覚で、顔面を掴む。
この大男の肌は、魔法を弾く。
だが、体内はどうなのか。内臓は。
「フォトン……」
撃ち出した光線が、大男の口から体へと入り込み、内部で破裂する。
大男の体が歪に膨れ上がり、地面を転がる。
反動で、ルーアはよろめいた。
息を吐き出す。
倒れ込みそうになるのを、なんとか堪えた。
倒れたら、もう立ち上がれない。
右腕を、一瞥だけする。
凄惨な傷口を凝視するのは、危険だった。
その衝撃に、戦えなくなることがある。
致命傷でなくても、死ぬ時がある。
傷口が焼け爛れ、出血は止まっていた。
傷口は、肘のすぐ先だった。
そこから先は、骨も筋肉もなくなっていた。
まともに魔法を制御できる状況ではなかった。
接触した状態で、魔法を放った。
大男の口に入りきらなかった魔法による光と熱は、大男の肌に弾かれ、ルーアの右腕を消し飛ばしていた。
(……腕一本と引き換えに……二人……)
霧。この先に、まだ能力者たちがいる。
(……命と引き換えなら……こいつら全員……道連れにできねえか……?)
攻撃がこなくなった。
二人倒したことにより、敵の勢いを止めたか。
血を失い過ぎた。
放っておいてもルーアが死ぬことを、理解しているのか。
剣を上げられない。
剣を引きずり、足を引きずり、ルーアは前に出た。
まだ、戦える。まだ、殺せる。
一人でも多く。
意識が遠退く。
すぐ側で、なにかが蠢く気配を感じた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「もう、充分だろう……?」
壁に映し出されたルーアの姿に、エスは呟き問い掛けた。
立ちはだかる、巨大な敵。
『コミュニティ』のボスやザイアムに比べれば見劣りするが、イグニシャ・フラウとその部下たちは、充分に危険な相手だろう。
事実、ルーアは窮地に追い込まれている。
ホルン王国北部でザイアムと対戦した時も、そうだった。
ルーアは、死と同義の所まで追い込まれた。
ティア・オースターを失いかけている。
誰かが助けなければ、失ってしまうだろう。
ミジュアの第九地区で、『ティア』を失ってしまったように。
ザイアムの所持する魔法道具『ダインスレイフ』の膨大な力と、『魔女』マリアベルの魔力を喰らい、あの時ルーアは生還を果たした。
砂漠には、瘴気が満ちている。
ミジュアの第九地区や、ハウザードが『器』を磨いたドニック王国東部のように。
『ネクタス家の者』と『ルインクロード』の激突により生じた瘴気が。
彼らの力の源泉から零れ落ちた雫が。
充分に、条件を満たしたはずだ。
「……ここからは、極力瞬きをしないことを勧めるよ、ジェイク・ギャメ。ベルフ・ガーラック・ラグマに、少しでも正確な報告をしたいのならな」
エスが忠告するまでもなく、ジェイク・ギャメは睨むような眼付きでルーアの像を見つめていた。
ルーアに大きな動きは、まだない。
呼吸をしている。
それが、途切れ途切れになっている。
変化はない。外見上は。
だが、始まる。
旧人類の歴史が終わって、七百年以上が経つ。
約二十年に一度、エスは見てきた。
戦き震えてきた。
今回こそ均衡は崩れてしまうのではないか、システムが崩壊するのではないか、と。
誰よりも、怖さを知っている。
だからこそ、わかる。
今ここから、始まる。