窮地の利
エスが姿を現さなくなった。
ナルバンを確実に倒すように言われていた。
だが、取り逃がした。
それで拗ねてしまったのだろうか。
ルーアは、苦笑した。
冗談でも、それはない。
おそらくまた、クロイツに妨害されているのだろう。
シーパルを捜したが、見付けることはできなかった。
この広い砂漠で、手掛かりなしに人を捜し出すなど、そうできることではない。
少しずつ、基地の方向へと進む。
日が沈むと同時に、携帯食を口にした。
苛酷な環境で栄養補給を怠るのは危険である。
夜になると、急速に砂漠は冷え込む。
余りの気温差に、体がおかしくなるのではないかと思えるほどだ。
暗くなった砂漠を、踏み進んでいく。
夜の暗さは、少人数のルーアたちに有利に働くはず。
基地は、もう遠くない。
駆ければ、数時間で到着できるだろう。
先行して前方の様子を探っていたデリフィスが、戻ってきた。
険しい表情をしている。
「どうだった?」
「……四百メートル前方に、ナルバンがいた。カリフも」
カリフの容姿も、みなエスに見せてもらっている。
ナルバンの上司である男である。
同様に強敵だと考えておくべきだろう。
「……罠か?」
「わからん」
デリフィスの眼に、珍しく迷うような光がある。
「連れている兵士は、三人。伏兵がいるようではなかった」
「……三人? 合わせても五人か」
言って、テラントが唸る。
わかりきったことをわざわざ口にしたのは、引っ掛かるものがあるからだろう。
向こうは五人。
こちらは、ルーア、ユファレート、テラント、デリフィスの四人。
戦力としては、勝るだろう。
秘策でもあって少人数で行動しているのか、なにか別の事情があるのか。
「……シーパルのこと捜してるんじゃないかな?」
ユファレートの言葉に、ルーアは眼を閉じた。
有り得ることである。
そして、ルーアたちのことには気付いていないのではないか。
南からの風は吹き続いている。
カリフたちのいる方向は、東南東というところか。
風で声が運ばれて気付かれたということはないだろう。
「……倒しておきたいとこだな」
ナルバンの先程の戦い振りを、ルーアはよく覚えていた。
みんなも、脳裏に残っているだろう。
堂々とした戦い振りだった。
倒しておきたい。
当然、その上司であるカリフも。
戦力上では優位である。
不意打ちできれば、尚更優位に立てる。
「……やるか?」
「……そうだな」
デリフィスに聞かれ、テラントが頷く。
「風下に回ろう」
テラントの指示で、移動した。
カリフたちの位置の北北西には砂丘があり、駆け降りれば勢いを付けられる。
砂丘から、カリフたちを見下ろす。
確かに、五人。
ルーアたちに、気付いた様子はない。
カリフはこちらに背を向け、身振りを交えナルバンたちに指示を出していた。
ナルバンは、身を隠せるような大盾を背負っている。
周囲に、他の者の姿はない。
息を殺す。
風下であるため、意味はないだろうが。
「……よし」
テラントの合図と同時に、砂丘を駆け降る。
先頭は、テラントとデリフィス。
この二人が揃い、敵が同人数程度ならば、接近戦で有利に戦える。
遠距離から魔法攻撃を仕掛けてもいいが、魔法は不意打ちには向かない。
敵に魔法使いがいれば、まず攻撃前に気付かれる。
昼の戦闘で、暴風の魔法を連発する魔法使いがいた。
あの時の敵のメンバーは、イグニシャ・フラウ率いる能力者たちに、カリフ、様々な武器を扱うナルバン、兵士たち。
消去法で考えると、魔法を使用していたのはカリフである可能性が高い。
昼に感じた魔力の性質からして、かなりの実力の魔法使いだろう。
対応する間のある遠距離では、二対一でもなかなか圧倒できるものではない。
それに、テラントとデリフィスの強さが活きない。
テラントとデリフィスの後ろに、ルーアは続いた。
更に後方には、ユファレートがいる。
テラントとデリフィスの背後で、ユファレートは魔法で攻撃。
ルーアは、ユファレートが魔法攻撃に専念できるよう彼女を守りつつ、余裕があればテラントとデリフィスの援護という全体の構えである。
四人の特性が活きる、最もオーソドックスな構えだった。
戦力で上回るならば、奇抜な策はいらない。
正攻法で押すのが基本である。
こちらの突進に、ナルバンが気付いた。
だが、まだ大剣を抜いてもいない。
ナルバンの指示で、兵士たち三人が前に出る。
カリフは、後退する。
テラントとデリフィスを、兵士たちが三人で止める。
いつまでも押さえられるとは思えない。
一時的に止めただけでも、たいしたものである。
かなりの訓練を受けているのだろう。
ユファレートは、カリフを見ていた。
魔法は強力な武器であるが、それは敵にも言える。
使い時を間違えれば、そしてそこをカリフに付け込まれれば、戦況は一気に逆転する。
テラントとデリフィスの後方で、ルーアは上体を振り回り込む気配を見せた。
兵士たちが動揺する。
見逃さず、テラントとデリフィスが圧力を掛ける。
ナルバンが、駆け出した。
武器も抜かず、前へ。
兵士たちを、背後から押す。
その行動に、全員が動揺した。
見透かすように、カリフが魔法を使用する。
瞬間移動の魔法。
発動が早い。
転移先は、ルーアの右、ユファレートの前。
「ちっ!」
ユファレートを押し退け、ルーアは体を捩り叩き付けるように剣を振った。
カリフが、掌で刃を受け止める。
硬い手応え。
皮のグローブの下に、なにか仕込んでいるのか。
カリフは、空いたもう片方の手を振った。
魔法の光。
ルーアも、光を放っていた。
ぶつかり、弾ける。
自らの魔法の破裂に巻き込まれぬように、ルーアもカリフも後退した。
間合いが開く。
ルーアとユファレートの距離も開く。
ナルバンが、兵士を盾に前進する。
巨躯を活かし、テラントとデリフィスの間を割る。
テラントもデリフィスも兵士たちも、ナルバンの強引な突進に、体勢を崩すか倒れ込むかしている。
無理矢理前衛の壁を突破したナルバンの狙いは、ユファレート。
援護に向かいたいが、カリフに牽制されている。
テラントとデリフィスも、兵士たちと向かい合っているため、簡単には振り向けない。
「フレン・フィールド!」
後退りしながら、ユファレートが杖を振り上げる。
混戦となると、派手に破壊の魔法をばらまくことはできなくなる。
力尽くで、魔力による力場を突破するナルバン。
懐と、腰の後ろから取り出したのは、二本の短剣。
「ライトニング・ボルト!」
ユファレートが放った電撃をかわしつつ、右手の短剣を投げ付ける。
回避しながらの投擲であるため、狙いに狂いが生じていた。
身を屈めたユファレートの、頭上を過ぎていく。
ナルバンの勢いに、尻餅を付くユファレート。
ナルバンが、左手を振り上げる。
ユファレートの喉目掛けて投じられる短剣。
それが、砕け散った。
ユファレートが撃ち出した光球が命中したのだ。
光球は短剣を撃ち抜き、更にナルバンの左肩に当たり弾けた。
ナルバンの衣服の肩の部分が、焦げ付き破れる。
おそらく、魔法に対する耐性がある服であるはずだ。
ユファレートが放った光球には、投げ付けられた短剣を撃ち落とすだけの精密さと、魔法耐性のある衣服を破るほどの威力が両立していた。
刹那のやり取りが連続する中で、普通できることではない。
体捌きは、未熟である。
テラントやデリフィスと比べると、無様とさえ言ってもいい。
だが魔法使いとしては、ユファレートはやはり尋常ではない。
立ち上がるユファレートに、ナルバンの前進が止まる。
肩を砕くまではいかなかったか、腕を上げる。
しかし、指先は震えていた。
背負っていた大盾を構える。
それも、魔法に対する耐性があると考えていいだろう。
本来盾は防具であるが、鈍器としても遣える。
拳でただ殴るよりも、余程殺傷力がある。
ユファレートは、迂闊に魔法を使えない。
二人の距離が近い。
魔法に対する防御を固めた相手に初撃を防がれたら、次には懐に飛び込まれる。
ナルバンも、迂闊には近付けない。
ユファレートの魔法使いとしての力を、体感したばかりである。
一撃は、覚悟しなければならないだろう。
ユファレートとナルバンは、睨み合い互いの出方を見ている。
ルーアも、カリフと対峙し動けなかった。
膠着。
だが、明らかに戦力が拮抗していない場がある。
テラントとデリフィスが、ほぼ同時に兵士を一人ずつ斬り倒した。
残った兵士をテラントに任せ、デリフィスが身を翻す。
向かう先にいるのは、ナルバン。
させじと、カリフがフォローに走る。
見越していたかのように、デリフィスが体の向きを変えた。
カリフに対して、剣を振り下ろす。
ルーアは、走り出したカリフを追っていた。
デリフィスと二人でカリフを挟む形になっている。
その背中を狙い、剣を突き出す。
カリフが、体を回転させた。
デリフィスの剣を右手で受け流し、ルーアの剣を左手で払い除ける。
軽やかな動きの中に、押してもびくともしないような重さを感じさせる。
脆い砂の足場で、体を回転させながら前後の剣を捌くのは、並大抵の技量でできることではない。
相当な体幹の強さとバランス感覚が必要になるだろう。
それも、一度だけのことだった。
なにしろ、デリフィスの剣である。
強振したデリフィスの剣に、さすがに踏ん張り切れずカリフは地面を転がった。
「フォトン・ブレイザー!」
ルーアは、魔法を解き放った。
光線を、転がるカリフに撃ち込む。
カリフは魔力障壁を発生させ直撃を避けるが、弾き飛ばされて更に砂地を転がった。
テラントが、兵士の体を断ち割る。
デリフィスは、カリフを追撃する振りをして、ナルバンに突進した。
慌てて体を半転させて、デリフィスの剣を大盾で受け止めるナルバン。
テラントが、ナルバンの横に回る。
二人の圧力に、ナルバンは後退していく。
ユファレートが、杖を上げた。
「ナルバン!」
体勢を立て直しながら、カリフが警告を飛ばす。
ユファレートが、杖の先を向ける。
ナルバンではなく、カリフに。
「ヴァイン・レイ!」
それは、ユファレートの魔法ではなかった。
シーパル。近くにいたのか。
気配を殺し、様子を窺っていたのだろう。
やはりカリフたちは、シーパルを捜していたのか。
テラントとデリフィスから逃げるように跳躍したナルバンを、横手から光の奔流が襲う。
ナルバンの持つ大盾を、光の奔流は掠めていった。
かなりの魔法耐性がある盾なのか、砕けない。
だが、ナルバンは地面に叩き伏せられていた。
そして、ユファレートが魔法を発動させる。
「フォトン・ブレイザー!」
光線が、カリフに突き進む。
カリフが、瞬間移動の魔法を使用し回避する。
魔力障壁などで防御すれば、足が止まることになる。
ルーアに追撃を仕掛けられたら、もう防げないと考えたのだろう。
しかし、ルーアはカリフが瞬間移動の魔法で逃げることを読んでいた。
その転移先も。
斬り掛かる相手を次々変更して撹乱するデリフィス。
牽制し、圧力を掛けるテラント。
敵の動きを見切り、遠距離から魔法による狙撃を行うシーパル。
瞬時に対象を変えて魔法を放つユファレート。
話し合われた訳でも、そういう訓練を行ったことがある訳でもない。
一年半共に旅をし、戦ってきた。
だからこそ理解し合えている、戦場に於ける互いの呼吸。
瞬間的な選択が組み合い、連携となっている。
一手一手が、カリフとナルバンを追い込む。
選択を狭めていく。
だから、読める。
カリフが瞬間移動の魔法を使うことも、ナルバンの横に転移することも。
「フォトン・ブレイザー!」
発動速度と精度に重点を置き、ルーアは魔法を発動させた。
細い細い光線が、転移直後で無防備なカリフを襲う。
夜を払い、強張る表情を照らす。
光線が、カリフの額を撃ち抜いた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
額に魔法が直撃し、カリフはのけ反った。
それでも、腕を振り上げる。
「てめえ……!」
ルーアが声を上げる。
どうやら、察したようだ。
(そうだ……私は、『悪魔憑き』……)
この程度では、まだ死なない。
「バルムス・ウィンド!」
暴風の魔法を発動させる。
脳に衝撃を受けた直後で、まともに制御できるとは思わない。
暴発に近い形でも良かった。
すぐ側のナルバンを除いて、周囲は敵ばかりだ。
制御に失敗しても、概ね敵に攻撃は向かう。
荒れ狂う風が、砂を巻き上げる。
ナルバンに腕を掴まれ、引かれる。
方角を指示されているのだ。
ナルバンは、方向を見失わない。
「フライト!」
ナルバンの巨体を抱え、カリフは飛行の魔法を発動させた。
遮二無二放った魔法で倒されてくれるほど、ルーアたちは甘くないだろう。
暴風の魔法は、砂で視界を奪う目的で発動させた。
その眼眩ましの効果があるのも、十数秒といったところか。
勘が鋭い者が多い。
ユファレート・パーターは、飛行の魔法の魔力を読み取り、カリフたちがどの方向へ逃げ出したか割り出すだろう。
シーパル・ヨゥロは、混戦から少し離れた場所にいた。
砂に視界を遮られていないかもしれない。
稼いだ十数秒。
距離を開けることだけに費やす。
ナルバンが、身を捩る。
光が弾ける。
大盾で、魔法を受け止めたようだ。
衝撃に、カリフとナルバンは地面に叩き付けられた。
すぐに立ち上がり、二人で逃げる。
頭部を負傷したため、目眩がする。
窮地。紛れも無い窮地。
そして、ルーアたちにとっては好機。
だが、ルーアたちは知らない。
カリフたちは、窮地に陥るつもりだったと。
与えられた好機だと。
ぶつかる前から、ルーアたちが近くにいることは、クロイツからの連絡で知っていた。
シーパル・ヨゥロが、単独で行動していることも。
ルーアたちと戦闘になれば、魔力の波動を感知し、シーパル・ヨゥロが合流してくることも予想できていた。
すべては、想定の範囲内。
追い詰められて逃げ出す構図を作り出すための、計画通り。
足の負傷だけは避けようと、ナルバンと話し合っていた。
逃走が困難になる。
テラント・エセンツとデリフィス・デュラムがいる。
できれば接近戦を回避したかったが、敵に先攻を譲った。
不意打ちが成功したと、ルーアたちに思わせたかったからだ。
彼らが接近戦を望んだら、どうしても最初はそうなってしまう。
だがここから先は、接近戦を徹底的に避ける。
距離が開けば、テラント・エセンツとデリフィス・デュラムは役に立たなくなる。
二対五のはずが、二対三になる。
反撃はしない。
逃走と防御に全力を尽くす。
ユファレート・パーターやシーパル・ヨゥロがいくら強力な魔法使いであっても、防御に徹している者は簡単に倒せないだろう。
大火球や光の奔流が襲いくる。
魔力障壁を多重に展開し、カリフはそれを防いだ。
ナルバンの大盾もある。
魔法の直撃を防げている。
派手に魔法が炸裂しているため、テラント・エセンツとデリフィス・デュラムは思うように距離を詰められないはずだ。
ルーアたちが距離を詰めることを重視したら、すかさず飛行の魔法を使う。
攻撃してきたら、防御を優先する。
そうやって、カリフたちは逃走を続けた。
じりじりと迫ってはきている。
だが、目的地までは逃げきれるはずだ。
攻撃を受け続け、消耗している。
埋め込まれた『悪魔』は、特にカリフの回復力と魔力量を強化してくれている。
なんとか耐えられる。
ナルバンも、息を荒げながら耐えていた。
ルーアたちは、カリフたちのことをなかなかの強敵だと思ってくれているだろう。
それが二人、負傷し消耗して、必死に逃げている。
おいしい状況だと思うはずだ。
逃したくないはずだ。
だから、追跡をやめることができない。
ひたすら駆けた。
直撃はしていない。
だが、何度も衝撃を受け、体中が痛む。
いくつも火傷ができていた。
それでも、足は止めない。
逃げきる。いや、逃げきった。
左右を砂丘に挟まれた、崖下のような地形。
カリフは、手を上げた。
砂丘が、割れていく。
カーテンが開かれていくように。
砂丘に見せ掛けて、実は中には空間ができていた。
イグニシャが連れてきた能力者の中に、砂を操る者がいる。
割れた砂丘から現れたのは、兵士たち。
右に十数人、左にも十数人。
三十人を超える人数で、ルーアたちを挟む。
擦れ違う者たちがいた。
能力で闇を纏っていたのか、光を屈折させていたのか、イグニシャたち能力者十一人が突如現れ、ルーアたちの前方を塞ぐ。
カリフは足を止め、ナルバンの肩を叩いた。
「……よくやった」
もっとも、まだ仕事は残っている。
これから、イグニシャたちはルーアを四散させるだろう。
合流するのを、阻まなければならない。
ルーアを、更に追い込まなければならない。
夜である。
闇は、少人数に優位に働く。
だが、イグニシャは夜戦に長けた部隊編成にしたと言った。
夜でこそ、その真価は発揮される。
窮地に陥った。
好機を与えた。
だからこそ、ルーアたちは追跡をやめられなかった。
窮地の利を最大限活かして、罠に嵌めることに成功した。
こちらが失敗しない限り、ここからの逆転はない。
イグニシャの指示を出す声が聞こえる。
炎が、ルーアたちの中心で弾けた。