1.インアドラの楽園
どうしてですか。
どうして、争いがなくならないのですか。
少女は問いかけた。しかし、それに答えるものはいない。否、答えることが出来ない。争いは決して、なくならない。
弱きものが強気ものに虐げられる限り、弱きものと強気ものが二つ、ある限り。
それならばと、少女は思った。弱きものをなくしてしまえばいい。
そうすれば―――……
カチ。
過去から未来、未来から過去。後者は決して不可能なことである。どう足掻いていたって、どう考えたって、過去に戻ることなど不可能。数多ある≪異常≫の中でも、時を操る異常などないに等しいことだろう。
この世界には、≪異常≫と呼ばれる能力が存在している。
≪異常≫は、時に悲劇をもたらす。
たとえば、異常によって影が薄くなった少年は、その存在自体を消されかけた。たとえば、異常によって家の血に縛られていた少年がいた。たとえば……そのたとえばを考えていれば、限りなく続くことだろう。しかし、殆どの者に共通していることと言えば、≪異常≫は悲劇を生むことが多い。
悲しみを、悔しさを、憤りを、裏切りを、争いを、生んでしまう。それはきっと、始まりの少女が望んでいたこととは違うことだったのだろうけれど、流れる時がそうさせてしまった。
時を操る異常など、ないに等しい。
――故に、その少年は自分がどこか特別なのでは、と思っていた。数秒先の未来が視える少年は、その異常を軽々と駆使して、その日まで生きていたのだ。異常を使うこと、異常とともにいることは、彼の日常生活の一部だった。異常は悲劇を生むという。しかし、本当にそうだろうか?
少年は思う。
異常は、悲劇以外にも、数多の可能性を生み出していると。
カチ。
時計の針が、動いている。
時計の針が、戻ることはない。前にだけしか進まない時計の針は、誰かの手によっていじられること以外の何かで、戻ることは決してない。動き続ける時計。
昔、始まりの異常である【無能有私】という異常は、世界に異常というものを創り出した。その結果、世界に存在していた弱い者――つまり、子どもや女、老人に憑いた。そして、女の子供にまた宿り、子と子の間にまた宿っていき……異常は、当初のころよりも爆発的な【感染】を果たす。そして、それは新しい争いを生んでしまった。
結局、争いはなくならないのだ。
少女は絶望し、絶望し、絶望し、絶望し……………―――――。
そして、少女は祈りを捧げた。
少女は年老いていて、既に少女と呼べる年ではなくなっていた。異常は体を蝕んでいく。あと一度、あと一度しか発動できないと少女は悟っていた。
故に、少女は願った。
―この異常を、本当に必要としている者に。
本当に必要としている者に捧げるために、【無能有私】は【視るもの】を創り出した。【視るもの】は探していた。【無能有私】と記憶をともにし、【視るもの】は、少女が願った「本当に必要としている者」を探すために。
そして、時は流れた。
×××
確かに、時は戻らないと彼は思う。だけど同時に、時は止められると思う。
そう、時は止められる。
時を壊してしまえば、止められる。
それは結局、人の時間を止めること、ってなるわけだけど…
少年は思う。その時は、たぶん自分が思っているよりも大分近いものだと。
それは彼が異常者であるからだし、彼はそう、なんとなく未来を察知していた。自分は長くない、それならば、今を楽しく生きることが先決だ。
だからこそ、少年は常に面白いことを求めている。毎日毎日を、面白いものと考えて、足掻いている。
「ねぇ」
目の前を歩く少女が軽く肩を揺らし、少しだけ恐る恐る、といった様子で振り返った。両手に一冊の本を抱え、少女はおっかなびっくりこちらを見つめる。
少年は微笑んだ。
時は流れた。
このお話は前作、【ソリット・スクア】との関連が少々ありますが、このお話単品でも読めます。前作を読まないとわからない、ということではありません。というわけで新作です。異常を好む異常者の話。