満月の脱藩者
※これは江戸時代、播磨地方の小さな藩で実際に起きた脱藩事件を元に書きおろしたフィクションです。
初夏の煌煌とした満月が、陣屋を巡る板壁を白く照らしていた。
奥播磨の山々は陣屋の周りに点在する小さな家々を守るように、月光で蒼白く輝く天空と下界とを、滑らかに続くその稜線で切り取っている。
その小高い山の中腹あたりを頂上へと向かう三つの影があった。雑木の下に熊笹の生い茂るけもの道を行くその影達は、よほど先を急いでいるらしく、小枝に頬を打たれ、幾度も木の根に足を取られながらも、立ち止ることなく無言で歩き続けていた。時折、草木を押し分け足早に進む真夜中の珍客に驚いた山鳥達が、巣から飛び立つ羽音が木々の間に響く。
やがて、険しい山の頂上付近まで到達した三つの影は、歩調を緩めた。まず、先頭を歩いていた影が立ち止ると、その後ろに続いていた二人も歩を止めた。三人は苦しげに肩を上下させ、乱れた呼吸を整えながら、お互いの安否を確認し合うように満月の光の下で顔を見合わせた。
「少し休むか」
一番年かさらしい男が口を開いた。月代には、うっすらと汗が滲んでいる。
ずんぐりした体形の男が、「はっ」と頷き、袴に着いた汚れを払った。
「私はまだ疲れておりません。一刻も早くこの山を越えてしまわねば、いつ追手が来るやもしれません」
血気盛んな若武者と思しき三つ目の影がそう言い放ち、先を急ぐそぶりを見せた。
「まあ待て、新吉。そんなに慌てるな」
年かさの影が穏やかな口調で制する。
「しかし、ご家老。夜が明け切るまでに山を降りねば・・・」
「おい、新吉。言葉を慎め。ここはご家老に従え」
ずんぐりした体形の与三郎が鋭い目で新吉を諌めた。新吉は口を真一文字に結んだまま、やむなしという面持ちで年上の二人に従った。
「あの陣屋も今宵で見納めじゃ。とくと目にとどめておこうぞ。のう、新吉」
「はっ」
不服そうな新吉の代わりに与三郎が答える。
三人は山を時折山を渡る涼風に吹かれながら、山の斜面に佇み、山の麓に小じんまりと鎮座する安志藩の陣屋敷を見下ろした。
豊前国中津城主の小笠原長友の実弟、小笠原長興が幕府により播磨国安志藩主に任ぜられたのは享保元年(一七一六年)。徳川八代将軍・吉宗の時代であった。兄の長友が同年九月、僅か六歳で病没した為、公儀は「武家諸法度」に基づき、中津藩四万石を一時的に没収した。が、幕府は小笠原家の祖先の勤労を考慮し、長友の実弟である長興を名跡に取り立て、播磨国の内、現在の宍粟市、佐用市、赤穂市の四六カ村、新地一万石を与えた。それによって小笠原長興は奥播磨の山里、安志藩の初代藩主となったのである。
当然ながら小笠原家の家臣たちは長興と共に安志藩への移住を余儀なくされた。しかし石高が中津藩の四分の一しかなかった為、大部分は家臣として依るべきところを失い、中津藩内で帰農する者もあれば浪人となる者もあった。
小笠原家の剣士であった新吉の父は、貧しくとも一武士として小笠原家に仕えたいと熱望し、まだ乳飲み子だった新吉と妻を連れて播磨の地を踏んだ。以来一五年間、新吉の一家は貧しいながらも安志藩で凡庸に暮らしてきた。月の光に照り映える陣屋敷を見下ろしながら、父母と過ごした一五年を想い、新吉の心は潤んだ。
自分と同じく剣士の道を歩ませたいと、新吉の父は折に触れ息子に剣術や棒術を指南してきたが、当の新吉は成長するにつれ剣士よりも文人とか書生という学問の道へ進みたいという想いを募らせていった。父にしてみれば愛息の為と思い武士として歩むことを何度も説得したが、皮肉にも父譲りの強情さを持った新吉は頑としてそれを受け入れず、父と激しく対立することもしばしばだった。そんな時、新吉は独りで山へ登り、四方を幾重もの山に囲まれた陣屋を見下ろしながら心を鎮めたのだった。
「うむ、なかなか絵になるのう」
新吉の隣で家老の中村勘兵衛が低く感嘆の声を漏らした。
勘兵衛もまた、満月の光の下、墨絵のように浮かび上がる陣屋敷を万感の思いで見つめていた。勘兵衛に胸に去来するのは無念の想いだった。安志藩に転居して以来、御暇を出された中津藩士達を一人でも多くこの地に呼び寄せたいというのがかねてより勘兵衛の悲願だった。
その為に安志藩の石高を少しでも上げるべく、山を開墾して棚田と成し二期作を試みるなど様々な策を労して東奔西走の日々を送って来た。しかし、何分自然相手のこと。幾度も風水害や冷害、干ばつに見舞われ年によっては一万石をも下回ることさえあった。
それに加えて勘兵衛を悩ませていたのは、藩主長興との政策のくい違いだった。
安志藩主として入封した頃、まだ幼かった長興も年を経るにつれて次第に藩主としての風格と力量とを蓄えていった。しかし、藩力を増大させたいという野心は微塵もなく現状維持を善しとする長興の理念は藩力拡大を目指す勘兵衛の篤い気持ちを、ことごとく打ち砕いたのだ。これまでの努力がすべて無駄であったと自らの内に悟った時、勘兵衛は脱藩を決意した。
勘兵衛は誰にも知られず単独で姿を消すつもりだったが、只一人彼の配下で最も信頼していた木村与三郎だけには彼の本心を打ち明けた。数年前に妻を亡くした子もいない与三郎は、中津藩に居た頃から勘兵衛の腹心の部下で、勘兵衛の良き相談役でもあった。与三郎は無念の想いで郷里に残る同志を救いたいという勘兵衛の気持ちを我がことのように理解し、名実ともに勘兵衛を助けた。妻を亡くしてから気落ちした与三郎に対しても勘兵衛は実弟のように接し、今まで以上に
繋がりを強くしていった。そんな間柄だったから勘兵衛から脱藩の話を聞いた与三郎は何の躊躇もなく「喜んでお供させていただきます」と願い出たのだった。
丁度その頃、勘兵衛は新吉からも親の望む武士に道ではなく、自らが選んだ道を歩く為に親元から離れたいという相談を受けていたのだ。新吉はまだ安志藩の家臣という身分ではなかった。勘兵衛は新吉の行く末を見つめる澄んだ瞳と、体中に溢れかえる情熱に若かった頃の自分の姿を重ね、自分の子供のような年かさの青年の想いを受け入れたのだった。
三人は半刻ばかり各々の想いで木立の間から安志藩の陣屋を見下ろしていた。
やがて、陣屋の塀の外に見回り役の提灯の明かりがゆらゆらと動き始めた。
「さ、そろそろ参りましょう」
与三郎が勘兵衛を促した。勘兵衛は陣屋を見つめたままで「うむ」と頷くと立ち上り、さっと背を向けると後は一度も振り返ることなく、足に力を込めて歩き始めた。与三郎も影のようにそれに従う。そんな二人とは対照的に若い新吉だけは、口を真一文字に結びつつも何度か陣屋を振り返っていた。
道なき道を三人はひたすら歩き続けた。三人が目指すのは安志藩の西隣りに位置する山崎藩である。山崎藩はかつて姫路藩主であった池田輝政の子、輝澄が奥播磨支配の拠点として陣屋を置いたこともあり、奥播磨では最も栄えていた。藩主は本多忠方で、勘兵衛も職務上面識はあったが、勘兵衛の心中には本多氏を頼ろうとする腹づもりは全くなかった。
脱藩は藩主に対する裏切りである。恐らく夜が明け勘兵衛達の脱藩が知れれば、即、近隣の藩に脱藩者の身柄を拘束し速やかな引き渡しを請う旨の触書きが届けられるだろう。裏切り者として追われる身である以上、山崎藩の藩士はもちろんのこと、山崎藩の住人にも姿を晒すわけにはいかない。かといって、今さらおめおめと古巣の中津藩へと戻れるはずもなかった。
「こうなれば士業を捨てるしかない・・・」
勘兵衛はそう覚悟を決めていた。
山崎藩に近づくにつれ、先頭を行く新吉の心から穏やかさが消え、昂ぶり始めた。それは脱藩に対する自責の念や、父に対する反抗意識とは次元の違うものだった。脱藩を決意して以来、新吉の胸中にはある娘の姿がちらついていたのだ。それは山崎藩の某所で新吉を待っているであろう娘だった。「さよ」というその娘の面影を追うように新吉の足は速まっていく。木切れを手に持ち露払いの如く熊笹を懸命になぎ倒し、進路を造ることで同行する年長の二人に気付かれぬ様、振舞っているつもりではいたが、勘兵衛も与三郎も新吉の動揺を察知していた。
ただ、それを敢えて口に出さなかっただけだ。
どれくらい沈黙の全身が続いただろう。いつしか月は西に大きく傾き、奥播磨の山々は未明の眠りの底に沈んでいた。道なき道を進んでいた三人が疲れと眠気とを覚え始めた頃、下りにかかった山の木々の間から川の流れが見えた。月の光を受けた川面が白砂の如く静かにさざめいている。山崎藩を南北に流れる揖保川だった。揖保川を視野に認めた三人は足を止め、無言のまま満足げに頷き合った。
「ところで新吉、お前は山崎藩内にどこか宛てがあるのか?」
勘兵衛が穏やかに問いかけた。
「いえ・・・私は・・・ご家老と与三郎殿につき従います・・・」
新吉は伏し目がちに消え入るような声で答えた。
「新吉。そう無理をせぬでもよいのだぞ。いずこかに思うところがあるのじゃろう?」
「新吉、遠慮はいらぬから正直に申せ。女か?」
勘兵衛に続いて与三郎も優しく問いかけた。与三郎の問いかけに新吉は顔が火照るのを覚えた。
「実のところを申しますと・・・」
新吉は息を整えてから年上の二人に語り始めた。
さよは山崎藩の反物屋の娘だ。新吉は半年ほど前、母の使いで山崎藩の反物屋へ行った時にさよと出会い、立ち居振る舞いの可憐さと野に咲く花のような笑顔に強く心惹かれた。その後も母の使いで何度かさよのいる反物屋に通ううち、新吉の想いは募っていった。一方でさよの方もいつも礼儀正しくきちんとした身なりの新吉を快く想っていたようで、二人は自然に相思相愛の仲になっていった。その心情を新吉は伏し目がちに話した。そして、話の最後に明朝の寅の刻(午前五時)に山崎藩にある古寺で落ち合おうという手紙をさよあてに書き送ったことを付け加えた。
「どうりで、浮き足立つわけよのう」
与三郎が新吉を見てにやりと笑い、勘兵衛も遠い昔のお伽噺を聞くような面持ちで口元を緩めた。
「誠に面目ございません・・・」
新吉はたまらず頭を深く垂れた。
「詫びることなどない。わしらの方こそ笑って悪かった」
「ご家老様・・・」
新吉は幼子の目で勘兵衛を見上げた。
「まったく隅に置けぬやつだな、新吉は」
「与三郎殿・・・」
新吉はばつの悪さの中に、言葉に出来ない年長の二人の温かさを感じていた。
「さあ、新吉。迷わず娘の所へ行くがよい」
「しかし、ご家老様と与三郎さまが・・・」
「わしらのことは心配せんでもよい。それより、男児としてその娘を幸せにしてやるのじゃぞ。それと、もうひとつ。例え目指すべき道が違っても父子は父子。これも忘れるでないぞ」
「ご家老様・・・ありがとうございます・・・」
新吉は感極まり薄闇にまぎれて嗚咽した。
「泣くやつがあるか。ご家老様のことはこの与三郎にまかせておけ。わしもさよという娘との契りが果たされるよう願っておるからな」
「与三郎殿・・・しかと心得ました・・・」
溢れるな涙が頬を伝い、熊笹の上を滑っていく。一陣の風がその熊笹を、さわさわと揺らして吹き過ぎていく。
「もうじき、夜が明けるぞ。さあ、新吉行くのじゃ」
勘兵衛が新吉を促した。
「ご家老様達は何処へ参られるおつもりですか?」
涙を飲み込み、新吉が問うた。
「わしらはあの揖保の流れに沿うて北へ上ってみようと思う。しばらくは人里離れた山奥に身を隠さねばならぬだろうがな。なに、人はその気になればどんなところでも暮らしていけるもの。幸いわしらには米作りの心得もあるでのう」
勘兵衛は山に響くほどの声で愉快そうに笑った。
「新吉、なにをぐすぐすしておる。女を待たせるものではない」
与三郎が丸い腹を突き出すようにして新吉を急かせた。
「はい、誠にもってかたじけのうございます・・・。ご家老様、与三郎様。どうかご無事で。御免」
新吉は体を真っ直ぐに伸ばし、二人に深々と別れの一礼をした。
「うむ、新吉も達者でな」
勘兵衛と与三郎も一礼を返す。
新吉はくるりと背を向けると、後ろ髪引かれる気持ちを振り払うように脱兎の如く山の斜面を駆け下りていった。山裾近くまで駆け下りた新吉は今一度年長の二人の士を拝すべく山上を振り仰いだ。しかし、二人の影は既にそこには無かった。
東の空が白み始めた。
山から下りた新吉は山崎藩の領内を走り続けた。揖保川にかかる橋を渡った新吉は人目の付く表通りを避け、人家の少ない道を選んで走りに走った。初夏の日の出は早い。約束の寅の刻が近づいている。待ち合わせ場所の古寺が近づいた時、遠くに山崎藩の陣屋敷の白壁が見えた。新吉の胸はいよいよ高まり、息も切れ切れになってくる。
「このまま誰にも見つからねばいいが・・・。例え見つかり捕えられたとしても、決してご家老様と与三郎殿のことは言うまい」
新吉は何度もそう心に呟いていた。
やがて眼前に目指す古寺が現れた。今は誰も住む者のない苔むした小さな寺であった。新吉は最後の力を振り絞り、転がるようにして古寺の裏側へと回り込んだ。そこには、淡紺色の紬を着たさよが人目を忍ぶようにひっそりと立っていた。
さよは新吉の到着を認めると、優しくたおやかな笑みを浮かべると、恋する女の目で新吉を見つめた。新吉は肩で大きく息をしながらもその笑顔を見つめ、さよのまえにすっくと立つと、包み込む様な眼差しを返した。
若い二人の紅潮した頬を曙光が照らしていた。
(了)