030話 時戻り再び
石畳を叩く蹄の音が、鼓膜の奥で激しく反響する。
王都へと続く灰の道。かつてオレが、この国の血液を循環させるために整備したその滑らかな舗装が、今は主さまを苦しめる縄のように見えて仕方がなかった。
「――サニー! 前を見ろッ、落馬するぞ!」
並走するヒューゴの叫びが、向かい風に千切れて耳を叩く。オレは返事をする余裕もなかった。手綱を握る指は感覚を失い、白く強張っている。視界の端で、飛ぶように過ぎ去る標識や街灯。すべてオレの記憶やアイディアが生み出した現世発の産物だ。それが皮肉にも、愛する者を死地へと送り出す時間を縮めていたなんて……。
ヒューゴの馬に早馬が横付けした。中継地点をリレーする「零の者」だ。手渡された羊皮紙を広げた彼の顔から、一気に血の気が引くのが分かった。
「……ノヴァンさまが、イリアスに投降した」
その言葉に、オレは一瞬、呼吸を忘れた。
「投降……? 嘘だ、アイツがそんな簡単に……」
「この世界には切腹の概念がない。イリアスも、降伏した元同志を殺すのは外聞が悪いと判断したんだろう。だが……」
ヒューゴは苦悶に顔を歪ませ、喉を震わせた。
「身柄が教皇庁に引き渡された。アレクシス主導の即決裁判だ。罪状は国家騒乱罪。……今ごろ王宮前の広場では――」
「待て。待て待て待て待て――待って! 待ってよッ!」
目の前の景色が消えた。
オレのいない場所で、オレの知らない連中に、ゴミのようにあの人が?
「あ……アレク……シス……アレクシスぅぅッ、コノヤロォォォォ!!」
喉の奥から呪いの気持ちが噴き出す。叫んだ瞬間、強烈な眩暈が世界をねじ曲げた。平衡感覚が無くなり、体が大きく傾く。
「サニー!!」
遠く聞こえるヒューゴの手と、オレが馬から転げ落ち、硬い地面に叩きつけられるのは同時だった。
◆◆
「……起きろ、サニー。起きるんだ」
頬を叩く柔らかい感触と、規則的な振動。
重い瞼を押し上げると、そこは薄暗く、埃っぽい軍用馬車の中だった。頭を鈍い槌で叩かれたような痛みが走る。横を見ると、使い古された魔法少女枕を抱きしめたヒューゴが、ひどく狼狽した表情でオレの顔を覗き込んでいた。
「ここは……?」
「大返しの途中だ。シタデル・ド・シャラントを離れてまだ数時間しか経っていない」
「数時間……? そんなバカな。さっきオレ、広場であの人が殺されるのを……」
起き上がろうとする肩を、ヒューゴが強く押さえつけた。
「おかしいんだ。枕が、見たこともない色に光って作動した。サニー、君、『時戻り』を実行したのか?」
「何を……。オレは、ただ落馬して、それで……」
「ありえない。君は馬車の中でさっきから、『アレクシスを止めろ』とかってうなされていた。まるですべてを見てきたみたいに」
目が合うと彼は少し怒ったように言った。
「以前。プラトー・ド・トリリテの戦いでも君、枕を作動させたろ? 1万人の死傷者……あの惨事を無かったことにするために」
「え……あぁ……」
「自覚は無くても、ボクでもデジャヴは感じるんだ。こっそり使ったね?」
「……あのときは……やり直したのに『勝てない』と直感した。だから最初から、『負けない戦い』をしようと。……ごめん」
結局死傷者は大幅に減ったがゼロにはならなかった。しかももう、二度と枕は使えないと悟った。
混乱の中で、オレは先ほど体験した事をヒューゴに説明した。イリアスの裏切り、アレクシスの裁判、それら最悪の結末を。
ヒューゴの目が恐怖に泳ぐ。
「……ボクの枕はもう機能しない。それは君の言う通り確かだ。それなのに今回発動したのは、何か他の、強い力を持つ物が共鳴したのか……?」
原因究明のため沈思するヒューゴに反発する。
「そんなのどうでもいい! アレクシスは本気で主さまを殺す気だ。とにかく一刻も早く、一分一秒でも早く、王都に帰らなきゃ……!」
「落ち着け 今のまま飛び込めば、君も共倒れになる! イリアスの思惑も、罠の有無もわかってないじゃないか!」
彼の正論が鋭い刃のように突き刺さる。感情的になって彼の胸ぐらを掴み、喚き散らした。
「落ち着いてられるか! 主さまが死ぬんだぞ!? オレが……、オレが余計な手回しをしたせいでイリアスが来てしまって……! 主さまがもし死んだら――」
ヒューゴは深い溜息をつき、手を包み込むように握った。
「……ったくさぁ。君のか弱い体のどこに、そんな溢れるような熱い想いが詰まってんだか」
◆◆
中継の砦。将兵たちが集結し、ただならぬ気配が漂う場に、オレは白の外套を翻し立った。足元がふらつくが、そんなことはどうでもよかった。
「聞け、ヤローども!」
自分でも驚くほどの大音声。腹の底から噴き出す熱情。
「王都は今、大混乱している。その混乱の中にキミらの兄弟、友、親、子――一番に愛する人がいることだろう! オレは今からそこへ乗り込む。そして、誰一人残さず、必ず助け出す! 協力してほしい!」
「オオーーーーーッ!!」
地鳴りのような咆哮。それは主君への忠誠心というより、オレが放つ泥臭い感情に当てられた者たちの、懸命の共感だった。オレは、ヒューゴの献策を受け、その砦に貯蔵する金銀財貨をすべて分け与え、彼らの意気込みに応えた。
◆◆
王都オーデンス・クラウンの手前。行く手を阻むように展開していたのは、イリアス・リヴァース率いる総軍だった。かつてオレが守護者として信頼し、盾として背中を託した男。その彼の鉄壁の陣容が、殺気を孕んでフォレスト軍を見下ろしている。
「説得は無理か……」
ヒューゴが悲痛な声を漏らす。
「どうする、サニー」
「覚悟を決めろ、ヒューゴ。……邪魔をするなら、例え友だろうと叩き潰す」
オレは腰の剣を引き抜いた。手が震えているのは、恐怖じゃない。怒りだ。
「全軍、突撃ッ!!」
――激突の瞬間、耳を打つのは悲鳴ではなく、野獣のような唸り声だった。正面からリヴァース軍の重装騎兵が圧力をかけてくる。本来なら数で勝るヤツらに押し潰されるはずだ。だが、兵たちは一歩も引かなかった。
「どけぇッ! 俺の娘が、王都にいるんだ!」
「死んでたまるか! アイツに会うまでは!」
兵士一人一人が、残した者を想い、狂ったように剣を振るう。
最前線では、シックスとその郎党たちが文字通り「壁」になっていた。
「アンタら! あーしについてきな!」
「リヴァースの坊主がなんだってんだ! シックスの姉御の邪魔をする奴は、俺らが一人残らずミンチにしてやるよ!」
シックスの豪腕が振り回されるたび、敵の盾が砕け、兵が宙を舞う。彼女を慕う荒くれ者たちも、その背中を守り、泥土を噛みながらも前へ前へと這い進む。
右翼ではレオの隊が果敢な機動を見せていた。
「勇猛なる我が隊! 主君を救うぞ! 家族の元へ帰るぞ!」
彼の号令に応え、若年の兵たちが矢雨の中を突き進む。誰かが倒れれば、すぐさま別の者がその旗を掲げ直す。その姿には、近代的な洗練さなど微塵もなく、ただ「家族に会いたい」という原始的な渇望だけが宿っていた。
「うおおおおおッ!!」
気がつけば、オレ自身も最前線に飛び出していた。剣の振り方なんてろくに知らない。ただ、重い鉄の刀をがむしゃらに振り回し、迫りくる槍を弾き飛ばす。
「サニー、下がれ! 危ない!」
ヒューゴが背後を死守し、放たれる魔法弾や矢を自らの体で遮るようにして守ってくれる。泥が顔に跳ね、血の匂いが鼻をつく。酸欠で目の前がチカチカする。それでも、一歩でも前へ進むことしか考えられなかった。
揉み合いの末、ついに戦況が動いた。
リヴァース軍の前衛から中軍にかけて、不自然なほど抵抗が弱まったのだ。まるで、オレたちの情念の熱気に、イリアスが気圧されたかのように。
「何を企んでやがる、わざと手加減しだしやがった!」
シックスが不審げに叫ぶが、オレにはそれが、天が与えた一本の勝ち筋に見えた。
「進め! 止まるな! 王都へッ!!」
敗走を装うように散るリヴァース軍を背に、オレたちは王都へなだれ込んだ。目指すは、アレクシスが陣取る王宮宮殿。主さまが閉じ込められている牢獄だ。
◆◆
王宮を完全に包囲したオレは、全軍の殺気を背景に、アレクシスとの直接謁見を力ずくで勝ち取った。
謁見の間。そこには、豪奢な椅子に深く腰掛け、勝利を確信したような余裕の笑みを浮かべるアレクシスがいた。
「主君ノヴァン・ド・オルドー辺境伯の即時解放と、陛下の王都退去を要求する! 罪状は国家騒乱罪だ」
だが、アレクシスは肩を揺らして、喉の奥で不気味に嗤った。
「くく……くははは! 無駄なことを。……魔王オルドーはもう、死んだぞ」
「……何?」
肺の中の空気が、すべて凍りついた気がした。
「王に対する不遜を恥じたのか、毒を煽って死におったわ。高潔な魔王を気取っておきながら、最後はザマもない死にようよ」
アレクシスの合図と共に棺が運び込まれてきた。入棺していたのは、見間違うはずもない、黄金の髪を持つ青年だった。肌は土気色に沈み、唇は紫に変色している。オレがあの日、シタデル・ド・シャラントへ向かう前に交わした、あの力強い鼓動は、もうどこにもなかった。
「……主さま?」
ふらふらと歩み寄り、冷たくなったその手に触れようとした。
しかし指先が触れる直前、激しい拒絶感が魂を貫いた。
こんなのウソだ。こんな終わり方なんて、認めるわけにいかない。必死に頑張った結果が、こんなのなんて――!
「ダメだ、サニー! もう、もうこれ以上は……止めておけ!」
後ろからヒューゴが、折れんばかりの力でオレを抱きしめた。
「枕が起動し始めた! イヤだ、キミが壊れてしまう!」
ヒューゴの腕の中で、魔法少女枕が、目も眩むような黄金の光を放ちだした。
謁見の間の壁が、床が、アレクシスの怪訝な顔が、すべてがデジタルノイズのように激しく明滅し、崩壊していく。
「あ……あああああああ!!」
ヒューゴの悲鳴が塗り潰される。意識が再び、馬上の疾走へと引き戻されていく。
――三度目。
中継地での演説を終えたらしいオレは、傍らに寄り添うヒューゴにもたれかかった。興奮に酔った兵らの激しい歓声が、沈みゆく意識を何とか繋ぎ止めた。




