028話 後ろ髪
西国攻略に向けた軍備が加速する中、オレは一通の親書を書き上げた。
宛先は、かつての強敵であり、今は我がオルドーと強い結束で結ばれた同盟者、「リヴァース子爵領」の若き当主、イリアス・リヴァースだ。
オレは妹のシリルを正使として派遣した。建前は「カイザーベルク戦の功を労うため、ノヴァンさまが直々に貴殿を歓待したい」というもの。だが、シリルの懐に忍ばせた密書には、真の依頼を綴っておいた。 『――王都に滞在中のノヴァンさまの護衛を、貴殿に任せたい』
この時すでに、ノヴァンさまの計らいにより、イリアスは若年ながら「子爵」から「侯爵」へと昇格していた。オレの依頼に対し、彼からはシリルの帰着を待たずして、早馬による返信が届いた。『この命に代えても、同志の盾とならん』 その即答の快諾に、わずかに肩の荷が下りるのを感じた。
ヒューゴからそのの手回しを聞いた主さまは、いつもの怜悧な顔つきを変えなかったという。だが、報告を終えたヒューゴが笑いながら教えてくれた。
「彼の瞳に一瞬だけど柔らかな光が宿ったよ。……『サニー、どこまで心配性なんだ、キミは』って、顔に書いてあった」
彼は自ら陣頭指揮を執ってイリアス歓迎の準備に取り掛かったという。あの人が自ら「もてなし」の差配をするなんて――。態度で絆を伝えようとしてくれている気がして、妙に嬉しかった。
◆◆
そして迎えた遠征軍出立の日。
王都オーデンス・クラウンは、巨大な黄金の壺がひっくり返ったような熱気に包まれていた。
空はどこまでも高く青く、石畳を照らす陽光は、新しく鋳造されたばかりの「オルドー・ステラ(=星金貨)」のように眩しい。
「……これ、本当にオレの軍勢か?」
馬上で思わず独り言を漏らす。フォレスト子爵として拝領した新しい軍装には銀の下地に純白の装飾が施され、民衆の目には「白き天使軍」の復活が見えているのだろう。
沿道は、人、人、人の波だ。ディワール辺境領から駆けつけた領民たちが狂ったように旗を振っている。王宮前の広場では樽ごと振る舞われた「新オルドービール」が飛ぶように消費され、人々はその透き通った黄金の液体を、天下泰平への供物のように飲み干していた。
「見てよ、サニイ! あの鼻の下を伸ばした男共を! きしし」
真紅の外套をなびかせ、馬を駆るシックスがいやらしく笑う。今日の彼女は、沿道の男たちの視線を釘付けにするヴィーナスのような美しさだ。……いや、サキュバスか?
ふとその先を見れば、レオが一人の若い女性――恋人だろうか――と見つめ合っている。……心の底から羨ましい。
更には人混みをかき分け、「真っ赤なスカーフ」をちぎれんばかりに振るシリルの姿。……悲壮な気分になるからそれだけは止めてくれ。
「姉さぁぁぁん! よかった間に合ったーー!」
大声を受け止めてオレは短く頷いた。ありがとう、シリル。お前が連れてきてくれた男が、あの人の盾になってくれる。
◆◆
観兵式の壇上、主さまは堂々とオレを見送った。
「シルヴィア卿。貴殿の翼が、エフェソス王国の未来そのものだ。……大きく羽ばたけ」
そう激励し、跪いて手の甲に唇を当てた。
面食らい、くらくらした。
この瞬間、ドッと民衆が沸き立った。
「西を制したら、お二人は結婚されるに違いない!」
そんな下世話で温かいヤジが風に乗って飛んでくる。
その後、行軍を見送った王都は三日三晩祝祭を続けたと言う。このときオルドー政権は、間違いなく絶頂期を迎えていたろう。
◆◆
王都を出て数日。遠征軍は「舗装道路」を地響きを立てて進んでいた。馬の蹄が叩くのは、泥ではない。滑らかに舗装された、機能美あふれる道路だ。
「……はぁ。しかし、子爵さまなんて呼ばれるのは、どうも肩が凝るな」
軍列の先頭で隣をゆくヒューゴに苦笑いを向けた。
「あちゃー腹が立つ悩みだねぇ。それにあんなにたくさんの男子たちから熱い声援を受けちゃってさ。ウィンクのひとつでも投げるんじゃないかってムカムカしたよ」
「ムカムカ? バカ言え。そんな余裕あるかよ」
「失敬。サニーはノヴァンさま一筋だもんな。……でも、シックスのあの着飾り方には負けていたかな。彼女、今頃王都で伝説の美魔女にでもなっている頃だろう。そのあたり、もう少し見習ってもいいかもね」
ヒューゴは軽口を叩きながら、整然と並ぶ軍列に目を移した。
「……なぁ、ヒューゴ。王都の様子を聞いたか? みんなお祭り騒ぎだってさ。主さまも、イリアスと一緒に大いに笑顔を見せているらしい」
「ああ、聞いたよ。……最高だね。ボクが憧れた『合理的な繁栄』がそこにある」
だが、会話が途切れた瞬間、ヒューゴの顔から笑みが消えた。彼はふと視線を落とし、自分たちが進んでいる「道」をじっと見つめる。
「……サニー。君、気づいているか?」
その声のトーンが、急に冷徹なものに変わった。
「……何がだよ。いきなりマジメな顔して」
「この道だよ。君が精魂込めて作った、最高傑作の舗装道路だ」
馬を寄せ、オレにだけ聞こえる低い声で続けた。
「この道のおかげで、ボクたちはかつての数倍の速度で西国へ到達できる。……でも、逆もまた然りだ」
「逆?」
「ボクたちの軍隊がこの道を通って王都を離れた後、もし、王都のすぐそばで反乱が起きたら?」
オレの背中に、嫌な汗が流れた。
「この道を使えば、敵の急襲部隊は、以前の数分の一の時間でノヴァンさまのいる屋敷へ到達してしまう。……物流のために整えたこの『爆速の道』は、皮肉にも反抗者たちにとっても最良の道になってしまう」
返す言葉を失ってヒューゴを睨んだ。
西域の入り口。厳しい冬の風が吹き抜け、軍旗を激しく打ち震わす。
「……ノヴァンさまの命の灯火が、揺れている」
ヒューゴが、誰に言うでもなく呟いた。
「……いいや、揺れているどころじゃない。……かつてないほど激しく、今にも消えそうに、もがいているように思える」
軍列は、止まることは許されない。足元の道路は、まるで行き止まりのない地獄へ続いているかのように、不気味に黒光りしている。そう感じざるを得なかった。
まったく、いつも冷や水を浴びせるようなことばかり言いやがる。そう悪態をつきながらも、心のどこかで彼の言葉に強く同感している自分を、どうしても否定しきれなかった。




