026話 西域討伐の命
鏡の中の自分を見て思わず「誰だよこれ」と呟いた。
王都オーデンス・クラウン宮殿の一室。
その日のために用意されたのは、この度ありがたく拝領した「フォレスト家の家紋?」入りの懐刀。
そして、森の木々や動物たち、更に落差のある大滝が流麗に調和された水墨画を思わせるような刺繍が施された深緑の帯と黄金色が基調の超高級着物――そう、着物、な。ドレスじゃなくって和装だ。
わざわざ主さまが(悪戯心なのか)ヒューゴと共同して「あーだこーだ」と記憶を頼りにあつらえてくれた……そうなんだが、ハッキリ言って目立つしハズイ!
西洋風の世界で和のアピールだなんて、しかも女子っ気を前面に押し出すなんて。それ、ハズすぎんだろっ!
これまで着たきりだったセーラータイプの軍服とはまったく違う、正絹の光沢と滑らかな肌触りが、繊細なオレの心をこれでもか! とざわつかせる。
ヴァル・ド・ロンシャンの死線を越えたオレの身体は、以前より少しだけ線が細くなった気がする。背筋を伸ばすと着物の袖が楚々と揺れ、日本の新成人か、もしくは神前式に臨む新婦の気分だ。
「うーんこれは……実に様になってるよ、シルヴィア子爵。あるいは、レディ・シルヴィア……かな?」
扉を開けて入ってきたヒューゴのヤツ、一瞬言葉を失い固まった後で取り繕うようにおどけた。
いつもの余裕しゃくしゃくでのからかいが無く、眼鏡の奥が明らかにキョドってる。
「な、なんだよ。そんなに見んなよっ、落ち着かないだろ」
「いやぁ、ごめんごめん。変身魔法でも使ったのかと思ってね。ただし口を開かなければ、だけど」
「一言余計なんだよ! ……ま、まぁ、確かに中身は変わってないけどな」
クルリと一回転してみたら、ヒューゴの顔が赤かった。しかも視線を泳がせている。なんでか、こっちも動転して「バカか」と怒鳴り、部屋から……逃げた。――案外悪い気分じゃなかった。
◆◆
戴冠式は、眩暈がするほど華々しく、豪勢だった。
新王アレクシス・アスコットが黄金に宝石を埋め込んだ王冠を授かり、得意絶頂で声を張り上げる。周囲の貴族たちは、没落しかけた教皇庁の威信を取り戻そうと、必死に拍手を送っている。
「シルヴィア子爵! これからも余の良き忠臣として励んでくれ!」
アレクシスが、さも自分が施してやったかのような顔で、小柄なオレを見下ろす。
「……ははっ。過分なお言葉デス」
オレは深く頭を下げながら、その足元の絨毯が、ヒューゴが策し、シリルが資金を回し、オレたちが汗と涙を流して手に入れた「泰平」の上に敷かれていることを何となく思い、冷めた笑みを含ませた。
忠臣……か。
うん、そうだな。オレは忠臣だ。
だけど、それはこの金ピカの王冠にじゃあなくって、オレの後ろで怜悧な瞳を光らせている「魔王」の主さま、ただ一人に対してだな。
◆◆
式典の喧騒を離れてから、秘密の会議室へ集まった。ノヴァンさま、ヒューゴ、そして今や財政の魔術師となった自慢の妹、シリルの4人。招待者のシリルが、山積みになった古い会計報告書を前に、凛と声を張った。
「閣下、それに兄さん――いいえ、シルヴィアさま。これを見て。これが旧時代の『デタラメ書類』よ」
先王の治世から、財政難のために硬貨の金銀含有率を減らした悪銭が横行していた。それが市場の信用を破壊し、長年民を苦しめている。シリルはその歪みを正すために、一冊の帳簿を開いた。
「これからは帳簿を『二重』につけましょう。片方は『原因』、もう片方は『結果』。これを複式簿記と呼びます。左右の数字が合わなければ、どんなに巧妙な中抜きも、役人のごまかしも一瞬で露見します。オルドーの富は、一分の狂いもなく管理されるべきよ」
シリルの提案に、主さまは深く頷いた。
「うむ。合理的な統治こそが国の基盤だ。シリル、キミの経理能力が、剣よりも鋭くこの国を切り裂くことになるだろう」
ヒューゴが麻袋に入った、見慣れぬ硬貨を机の上にぶちまけた。チャリリンと高く澄んだ音が響く。
「ヒューゴ。これは……」
「これは水圧式プレス機の成果だよ。ギザ縁にバイカラー、そしてマイクロレリーフ。可能な限りの偽造防止技術を詰め込んだ新通貨のサンプルさ」
その鋳造技術の精緻さに目を見張るオレたち。特に、シリルの驚きは半端なかった。
「す、す、すごーい! これこそ新時代のお金だわッ!」
「――この『星金貨(=オルドー・ステラ)』はオルドーの支配域ならいつでも預貯金や換金ができる。これを大陸中で『信用』できる貨幣にしたい。だからこれからは、例えばオルドー製のコンクリートも、高純度のエールも、この通貨でしか買えないようにする。……閣下、構いませんね?」
それは、オルドーの軍事力を後ろ盾に経済革命を起こしたいという、途轍もない野望だった。たぶん世間は一時的に混乱するだろうが結局、多くの商人たちを皮切りに皆、価値の安定しだしたオルドー通貨を求めて王都に集まり、旧来の悪銭は駆逐されていくだろう。
誰もが正当に働き、正当に報われるための仕組みをつくりたい。そう思って走り続けるオレたちは、一歩一歩、大きな変化を確実に、この世界にもたらそうとしている。
◆◆
2日後、叙爵の報告と領地の検分を兼ねて、故郷の村を含む拝領地「アッシュ・フォール」を訪れた。
そこで目にしたのは、以前のような飢えと恐怖に怯える村の姿ではなかった。
新しく整備された街道には、オルドーの刻印が入った「オルドー・テラ(=新銅貨)」を握りしめた子供たちが走り回り、市場には新鮮な物資が溢れている。
「シルヴィア様だ! 白き天使が帰ってきたぞ!」
同郷の笑顔。それは、オレが整備した灰の道を利用した為替のネットワークや迅速な物流がもたらした大きな果実だ。
「……なぁヒューゴ。これって誇っていいんだよな」
「当然だ。君の信じた合理性が、この笑顔を作ったんだ。誇っていいさ」
友人の言葉に胸が熱くなる。この光景に出会うためにオレは頑張って来た、そう思えた。
だが。視察の夜、部屋に来たヒューゴが険しい表情で報告した。
「――サニー。王都で不穏な動きを掴んだ」
「……アレクシスか?」
「ああ。ヤツは新王即位の上機嫌を装いながら、裏で解体を進めている教皇派の生き残りと連絡を取り合っていた。ノヴァンさまが予定している巡行の隙を狙い、何か仕出かすつもりだ」
気が気でなくなり、心臓が早鐘を打つ。
何だと、あのお調子者が!
アレクシスのニヤニヤ面が浮かび、オレは怒りと焦りで「うーっ」と犬のように唸った。
「……ノヴァンさまには伝えたのか?」
「まだだ。確たる証拠を掴む前に迂闊に動けば、せっかく築いた王都のバランスが崩れ、混乱が生じる」
「な、何を悠長な!」
「冷静になれよ、サニー」
◆◆
翌日、駿馬を飛ばし王都へ戻ったオレを待っていたのは、主さまによる新たな遠征計画だった。
大陸地図の西側、広大な版図を持つ独立州、「シャラント大連合(=グラン・アライアンス・ド・シャラント)」。そこを指しながら彼が言う。
「大陸西岸には、まだ最後の巨大な壁が残っている。彼らは天下の覇権には興味がないと言いつつ、独立した自治権を盾にし、未だ我らの法に従おうとしない。最大の問題は、教皇派の精神的支柱になっていることだ」
主さまの瞳に挑戦的な炎が灯る。
「つけあがっているアレクシスに、我らの圧倒的な力を見せつけ、わからせる。そのために、この西の連合をねじ伏せる必要がある。――シルヴィア卿、キミに討滅の任を与える。新生フォレスト家の総力をもって事に当たってほしい」
オレは絶句した。
シャラントについてはオレなりに調査し、経済交流を通じた「友好策」を模索していたところだったし、何より……。
主さま。
オレはあなたの事が心配なんだ。
アレクシスによる策謀。もし遠征に出れば、当然オレは主さまの近くにいれなくなる。それは絶対に厭だった。
「……その命令、少し策を検討させてください」
「策? いまさら何だと?」
一気に凍りつく空気。主さまの視線が、疑念とわずかな失望を孕んでオレを刺す。
「……シャラントの地勢を精査したいんです。それにもっと別の、平和的な解決があるかもしれないし……」
「平和、だと? シルヴィア卿、キミはいつからそんなぬるい考えを持つようになった?」
主さまの問いには、まるでオレに裏切られでもしたかのような強い非難の色が混じっていた。
「……一日だけ猶予をください。必ず納得のいく答えを持ってきますから」
オレは捕まえようとする主の手を振り切って会議室から逃げた。
主さまのために頑張りたい。でも、主さまを守りたい。そんな葛藤が苦しくてつい逃げた。逃げるしかなかった。
空を見上げる。夕闇が覆った王都は北風を吹きはじめ、薄い雲が寒そうに連なりながら黒く流れていた。




