001話 泥まみれ小娘
「サニー、もうすぐ夜明けだぞ」
霧を切り裂くように、凛とした、だがどこか冷徹な声が響いた。
振り返ると、川岸に一頭の漆黒の軍馬が立っていた。跨るのは、紅蓮の外套を翻した絶世の美男子。野畔希。――現在は「第六天の黒騎士」と恐れられるオルドー辺境伯、ノヴァン・ド・オルドーと名乗る男だ。
――あぁ、オレの主さま。
この人のためなら、命がすり減ろうと構わない。
……だってこの人は、かつてオレを振った「告白相手」だからだ。
◆◆
夜の帳が降りた河の浅瀬で、オレは膝まで冷たい泥水に浸かっていた。
だが、手元にある麻袋は、水に触れた瞬間から生き物のように熱を帯び始めている。
「……うん、やっぱり熱いな。生石灰の化学反応か。けど今はこの温かさが救いだ」
麻袋を水に浸しながら、独り言を漏らす。この即席セメントは、転生前の知識を総動員して調合したものだ。水と混ざることで激しく発熱し急速に硬化する。冷えた身体にはその熱が心地いいが、油断すれば火傷する代物だ。
オレの名はシルヴィア・フォレスト。美少女軍師……なんて呼ばれるようになるのはまだ先の話で、今は「サニー」っていう愛称で呼ばれる、オルドー辺境伯の下っ端従卒だ。中身は日本の男子高校生なんだが、今は訳あってこの美少女の身体に心が収まっている。
「サニイぃぃちゅわああん! あーしの方も準備万端! 見て見て、この完璧な積み増し!」
ずぶ濡れの身体を寄せてきたのは、河賊の頭領、シックス・ハズラード。
オレより一個年上なだけなのに、はち切れんばかりの肢体を持つ、野性的なギャル風美女。そんな彼女、オレを見る目は完全に「恋する乙女」のそれだった。
「シックス、離れろって。今は作戦中だ。それと『ちゃん』はやめろ、オレだって立派な兵士なんだぞ」
「えぇぇ? いいじゃない、かわゆいし! あーし、サニイさまのためなら火の中水の中……この「温かい泥」の中だってヘーキなんだから!」
シックスはオレの腕に抱きつき、幸せそうに頬を寄せる。
こいつら無法者の河賊を、オレは現代の知識と「無理に作った笑顔」だけで手なずけた。元を正せば、ノヴァン様……に少しでも近づきたくて、必死に明るく元気な人間を演じる練習をしてきた成果だ。それがこんなところで役立つとは、人生わからない。
ふと、自分の前髪を指先で弄った。金色に透き通るその髪の中に、数本だけ生気の感じられない白髪が混じっている。
――立ち上る水蒸気の向こう、泥の臭いが一瞬だけ、ホテルの独特の匂いに変わった。
◆◆
オレは「礎冴」という名の平凡な少年だった。
――修学旅行中、宿泊するホテルの外付け階段。
「……野畔。あのさ、こないだの返事。そろそろ聞かせてくれないか?」
二人きりの状態で、オレは同級生の野畔希に向き合っていた。
心臓の音がうるさくて、喉が張り付く。サッカー部では明るく元気に振る舞っていたが、本当は自分に自信がないし我ながら暗い。それでも、この告白だけは逃げたくなかった。
「……えーと。ごめん……礎君。キミはすごくいいクラスメートだけど……恋愛対象として見たことは一度もなかった……かな」
あえなく、撃沈。
わかっていた。わかっていたさ。オレみたいなモブが彼女に釣り合うはずがない。それにこの子、実はオレの名前だって、最近までうろ覚えだったんだよな。
彼女の真っ直ぐな瞳は、オレの心を綺麗に、そして残酷に切り裂いた。
「そっか……だよな。オレこそごめん。変なこと言って」
「いや。素直に嬉しいよ。こんな私を好きだなんて――」
その時だ。
「おい冴! 失恋したからって湿っぽくなるな! これでもくらって元気出せ!」
廊下で立ち聞きしていたのか、こっそり覗き見してたのか、兵藤剛が、突如ドアを開けて割り込んできた。
その脇にボロボロのマクラ? を抱えている。プリントされているのは、1980年代に大流行したあの魔法少女だ。「いっくよー」とのフキダシで、可愛くジャンプしている。
(ちなみにこのマクラは後々重要アイテムになるのだが、このときのオレはまだ知る由もない)
「剛、お前、空気を読めって!」
「問答無用! これこそが愛の衝撃、マジカル・バースト!」
こ、コイツ、狂ってる!
剛が投げつけた魔法少女マクラが、野畔の顔に直撃しそうになる。
「危ない!」
オレは反射的に野畔を突き飛ばし、そのままの勢いで安全柵に激突した。
「うっそ……!」
ガシャァァン! という破壊音と共に柵が外れた。身体が宙に浮く。
老朽化。安全点検の不備。理由は知らないがとにかく柵が取れた。
「礎君!」
「ああっ、僕の嫁ぇぇ、冴ぇぇぇっ!」
オレを助けようと野畔が手を伸ばし、それを追うように剛も飛び込んできた。
三人の身体が、夜の闇へと吸い込まれていく。
地上20メートルはあったか。
地面に叩きつけられる直前、視界が暗転する中で、少し遅れて空から降ってきた「魔法少女マクラ」が、地面の上にポン、と間の抜けた音を立てて落ちるのを、オレはぼんやりと見ていた。
◆◆
「何をグズついている、サニー」
漆黒の軍馬にまたがる紅蓮の外套の男。
オルドー辺境伯、ノヴァン・ド・オルドー。
転生後、彼女は性別が反転し、近寄りがたいほどの威厳を持つ貴公子に変わっていた!
オレはムリヤリ仕官し「大好きです」と再度告白をした。
が、返ってきたのは「小娘、身の程を知れ」という残酷すぎな一言。
正直、心はポッキリ。
兵舎でウジウジ「あいつはイケメン領主でオレはただの従卒娘かよ」と拗ねた。だけど……。
……それならそれでいい。これはオレの自己満足だ。こうなったら家来という名の、仕事人になりきってやる!
オレは川から出て泥を拭い、ノヴァン様の前で膝をついた。
「……見ての通りだ、ご領主。この『一夜橋』はもうすぐ完成する。あんたが望む、天下への道だ」
ノヴァン様は馬から下り、優雅な足取りで泥にまみれたオレに近づいた。
彼――いや彼女は周囲には無感情で無慈悲な「魔王さま」で通しているが、本当の彼女は失敗に震えるビビリな一面があることを、オレは知っている。だからこそ、オレは彼女の「余所行きの体面」を支えるために、この手を汚し続ける。
「ふん。相変わらず泥臭い娘だな、サニーよ」
ノヴァンがオレの顎を指先でクイと持ち上げた。
その所作は、女子からすれば何もしていなくても「壁ドン」効果だ。だが、その瞳の奥には、あの日と同じ「野畔希」の面影があった。
「……あんたのために、精鋭をこき使ったんだ。感謝してくれよ」
後ろでシックスがドヤ顔している。
「感謝だと? うぬぼれるな。お前は私の所有物だ。主のために働くのは、当然だろう? --それに何だ、その口のききようは?」
高飛車な物言いだよなぁ。人の事言えんぞ? だがその指先がわずかに震えているのを、オレは見逃さない。野畔希は、どうにか「魔王」としての自分を保っているんだ。オレにはそう感じた。
「――全軍、傾聴せよ!」
ノヴァンが剣を引き抜き、月光の下で叫んだ。
「ただの一兵卒の小娘が面目躍如を果たした! コヤツが命がけで架けし、この不滅の橋を渡れ! 夜明けと共に、愚鈍なる敵共にオルドーの力を見せつけるのだ!」
「オオオオオオオッ!」
兵たちの唸りが明けの空に響く。
オレは疲れを振り払うように、泥だらけの皮鎧を払った。
ノヴァン様の繊細な手がオレの頭を撫でる。
――泥まみれの従卒娘とイケメン魔王領主様。
異世界での「やり直し」物語が今、始まった。
次回予告
【ナレーション:シルヴィア・フォレスト(=サニー)】
みんなぁ、サニーだぞ! いよいよ始まったオレの活躍!
一夜橋を渡ったオルドー軍の前に立ちはだかる、圧倒的な大軍勢。
絶体絶命の危機に、美少女サニーが仕掛けた「魔法の鏡」の罠とは?
次回、アオハル転生! 第2話『鏡よ鏡、美男子になった素敵なマドンナはだ〜れ?』
あなたは、魔法を信じてくれるかしら?
次回もお楽しみにね!
な、何だ? この台本?!




