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9.安息



趣のある木のドアを開ける。

古さにより立て付けが悪いのか少し重たいが、カランッと音を立てたベルが軽々と俺たちの背中を店内へと押した。

カウンターがメインで、テーブル席は2席しかない。

とても小さな喫茶店だ。

流れるジャズのBGMを辿れば大きなラッパ型の蓄音機がぐるぐるとレコーダーを回している。


「いらっしゃいませ」


穏やかにしわれた声。

カウンターの奥に、店主であろう丸メガネをかけた老人が座っている。テーブル席へと案内された俺たちは窓に近い席に腰をかけた。渡されたおしぼりが冷たく気持ちいい。

からりと氷が水の中で音を立てる。


「珍しいね、君が誰かと来るなんて」

「僕だって友達くらいいるよ」

「それはいいことだ」


すぐに元の位置に戻ってしまった店主は、なんだか今日会った人達の中で1番エリアと親しそうだ。

行きつけのお店なのかなと、俺はメニューを取った。

小さな店だがとても豊富なメニューに思わず目を細める。


「何が美味しいんだ?」

「僕のおすすめは、オムライスかナポリタン」

「んー……ナポリタンかな……」

「飲み物はベリーソーダが美味しい」

「じゃあそれで」


メニューと睨めっこした俺とは違い、全くメニューを見なかったエリアは店主の方に振り返ると声を張った。

距離はあるが、そのまま注文を取ってくれるらしい。

まず俺の注文を言い終えたあと、エリアの注文が続く。

白い頭が、なぜか楽しそうに揺れる。


「オムナポと、ダージリンのアイス。ベリー入れてね」

「はいはい、いつものね」


くるりと俺の方に向き直ったエリア。

思わず声が出てしまい、メニューを見直した。

2つとも、そんなメニューは存在していない。

何回か往復したあと、そろりとエリアの顔を伺えば笑いを堪えていた。


「……裏メニュー?」

「僕のスペシャルメニュー」

「ずるい」

「トオルにはまだ早いね」


何が早いというのか、次来る時は俺も同じものを頼んでやると水を飲んだ。蓄音機から響くピアノの高音が俺をくすぐる。店主が調理を始める音も混ざり、氷が溶ける音が、一定の間隔で耳に届く。

それだけで、ここにいていい気がした。

いつまで続くのかだなんて、考えてしまう自分が嫌だ。

こういう時間が、好きだから、手離したくない。


「ここ、落ち着くな」

「静かでいいよね」

「役所とは全然違う」

「あそこは……ちゃんとしすぎてる」


その言葉で、エリアの隣がとても落ち着く理由が何となくわかった気がした。ただ、そのくらいが俺にはちょうど良くて、必要なんだ。

椅子に深く腰を預けて、ようやく息を吐いた。

ぽつりぽつりと会話が続く。

ジャズのピアノが、柔らかな別の楽器に変わったところで店主が料理を持ってやってきた。

静かにテーブルに置かれる。トマトソースがきらりと光り、思わず唾を飲み込む。ぱちりと炭酸が弾け、ベリーが沈んだ。


「結構ボリュームあるな」

「んふっ特別だろうね」

「え?」


背中を向け戻る店主の肩が小さく震えた。

「ずるい」と言った俺の声が聞こえていたのか。

ナポリタンがオムライスのようにたまごで包まれたオムナポは、確かに一回り小さい。

ほわりとケチャップの香りと共に胸に温かさが広がる。

エリアからフォークを受け取り、手を合わせた。


「……あたたかいな」


口の中で広がるケチャップが、程よい甘さでパスタと絡む。太めでもちりとした食感に玉ねぎとピーマンが合わさってたまらない。ソーセージも多くて楽しい。

ベリーソーダも、これまた美味しくて、ついストローで沈みかけたベリーを底に沈め、吸い取る。甘い。


「美味しそうに食べるのが得意だね」

「そうかな」

「昨日も同じ顔してた」

「……エリアと食べてるからね」


エリアの言葉を借りて真っ直ぐに伝えたが、慣れないくすぐったさにナポリタンを食べるスピードを少しだけはやめた。くすくすと笑い声が降り注ぐ。


「それじゃあ、もっと良い顔にしてあげる」


俺のナポリタンの上に、たまごが半分乗っかる。

黄色の広さに驚いてエリアのお皿の上を見ると、俺と同じ分のたまごが乗っていた。


「いいの?こんなに?」

「トオルのスペシャルメニューだよ」

「ありがとう」


エリアのスペシャルメニューを、分け合ってできた俺のスペシャルメニューに目を輝かせるとたまごをたっぷりと乗せて頬張った。とろりと柔らかくたまごがとろける。

温かさと優しさが増して、心地よくなる味。

同じ目をした青い瞳と目が合う。


「うまい……!」


フォークを動かすスピードが無意識に落ちる。

大切に、大切に食べよう。

誰にも渡したくない。

たまごの量を調整して、ナポリタンに乗せて。

からりとまた、氷が溶けた。



――――



会計をする頃には、1時を回っていた。

白い皮でできた四角いカバンから財布を取り出したエリアはそのまま俺の分まで支払った。

終わってから、あ、と思い出したように声を出せばエリアは「気にしないで」と笑った。

この世界じゃ俺は一文無しなのか。


「ありがとう、エリア、ほんとに」

「いいよ、また来よう」


「ありがとうございました」


店主にお礼を言うと俺たちは店をあとにした。

ドアの向こうでベルがこだましている音が聞こえる。

静けさが続く店とは変わり、また賑やかな街へと戻ると静けさを縋るように後ろを振り向いた。


『ラッパ堂』


古びた看板には、あの蓄音機が描かれている。

なんて、ピッタリな名前なんだろう。

俺は笑みを零したあと、エリアのあとをそっと追った。

肩を並べるとまだあの店の静けさが続いているような気がして、ぽそりと呟いた。


また、ふたりで、来よう。




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