8.実情
「21時28分。ドアノブに紐を括り付け首を吊り意識を手放す。重さに耐えられなく紐が解け頭部を強打。その拍子に棚が倒れ音に心配した帰宅途中の大家が外から声をかける。これが21時36分」
淡々と告げるアルバに、口を挟むことはできず、耳鳴りが響く。ただ事実を告げられる時間に、喉が乾いた。
足が震える。
「返事が無く合鍵で部屋に入り、倒れている透を発見後、すぐに救急車を呼んだ。医師の判定は頭部を強打した事による『外部性能損傷による昏睡』
発見が早かったから助かったんだ。運がいいよ」
先程とは違い、アルバは優しい笑顔を見せた。
運が、いいのか。
とてもそんなふうには、思えなかった。
「なんで透が天界に来ちゃったのかは、これはまじごめん、俺のミス、見失っちゃった、透早いんだ」
意識を手放した俺の魂は、心臓が止まるより前に体を飛び出しどこかへ行ってしまったと話した。
言葉を飲み込む俺たちとは違い、アルバはまた、明るい口調で話し始めた。身振り手振りが大きい。
「でもそのおかげで、あっちに戻れるんだから良かった!リハビリは大変だと思うけどさ!」
見守ってるから一緒に頑張ろうぜ!
大きな声が木霊する。
俺とは、本当に、正反対だ。
こいつは俺の人生を見てきたはずなのに、こうも、違うのか。どう返事をしたらいいのか分からず、口を閉じる。
エリアとは違った真っ直ぐさに、たじろぐ。
困っている俺を、エリアが呼んだ。
「決めるのは、トオルだよ」
エリアはどこまでも優しかった。
俺とエリアの空気に、頭をひねらせたアルバだが、何かを口挟むわけでもなくにこりと笑った。
視線が集まる。
でもやはり、迷いなど、ない。
「あそこには、戻りたくない」
なんとなく、エリアが息を落とした気がした。
机の木の目を見つめる。ぐるりと渦が巻いた。
「なんで?」と心底不思議そうにするアルバに、ゆっくりと目線をあげる。
「俺の居場所は、もう、ここにあるから」
声が心の奥に落ちた。
それでも分からないと、アルバは今まで傾けてた首を反対に曲げる。ずいっと身を乗り出した。
ものすごく、下がりたい。
「遅れれば遅れるほど、あとが大変だよ?今ならまだ全然間に合う、今までだってめちゃくちゃ頑張ってたじゃん」
静かに、息を、飲み込んだ。
「あれが頑張ってたって見えるなら、もう俺は、頑張らなくていい」
「トオル……」
「俺をずっと見ていてくれたのに」
エリアの方が、よっぽど俺のこと――
そこまで言いかけて、強く握りしめる俺の拳にエリアが手を重ねた。小さくて、暖かい。
優しく温度が広がって、あっと瞬きをした。
視界にまた白が映る。
アルバは困っていた。
同時に、なんだかとても、悲しそうで。
「ごめん」
咄嗟に、そう言葉が出た。
「いいんだよ」そう言いながら、彼は少しだけ後ろに下がった。机がやけに大きく感じる。
「ほんとにいいんだ、こっちこそごめん。決めるのは『透』だよな」
バツが悪そうに太い眉を下げると、俺から目線を逸らした。
「もし、もしもだよ?戻りたくなったら、いつでも戻れるからさ、三途の川を渡りに行くのは……」
そこまで言って座り直すと、顔をあげ笑った。
彼も彼なりに、俺を気にかけていることが分かり、いたたまれない気持ちになる。
「それじゃこの後のことは俺に任せといてよ、どうにかしとく」
「……ありがとう」
「いいんだ!俺と透の仲だろ?」
空気を壊す彼の雰囲気に、はじめてありがたいと感じた。裏表の無い、良い奴なんだろう。
歯を見せ笑うアルバに、今度は俺が眉を下げた。
来た道をゆっくりと戻る。
門の方まで俺たちを見送ってくれたアルバは、大きく手を振りながら「何か困ったらまた来いよ!」と笑顔を見せてくれた。賑やかな街並みにどっと力が抜ける。
エリアも同じようで肩を解すように軽く回した。
ほうっと息をついて、顔を見合わせる。
「俺も、役所は苦手だ」
苦笑いが合わさった。
沈黙が、むしろ心地よい。
時間はそこまでたっていなかったようで、時計塔の針は正午前を指している。外でお昼を食べることにした俺たちはエリアの案内に任せ、人混みへと混ざった。




