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61.歯車




ワイアットが出ていったばかりの執務室。

1人取り残された目の前の小さな男は、玄関のドアに隠れてしまう男とは偉くかけ離れていた。

息を殺し、自分の存在を大きく見せようとするその姿は、一体誰に似たのだろうか。


わたしは組んでいた指を、感触を確かめながら1本ずつ解いた。駄々広い部屋の隅に白革のソファがテーブルを挟んで二脚置かれている。そこに彼を座らせた。



「なんですか」



続いてわたしも向かい側に腰をかける。

どっしりと背中を預けるわたしとは反対に、彼は縁に座り体を前へ倒す。それが自分の使命であると叫ぶように。



「……君は」



透くんは、わたしが発する音すべてに反応する。



「君は、ワイアットをどう思っている」



揺れるかと思った瞳。

だが、一振の揺れを見せることなく堂々と息を吐いた。

喉奥が鳴る。



「エリアの為ならどこまでも堕ちていけます」



それは、とうの昔に愛情を超え育まれた。

人間の皮を被った化け物。

彼の顔を見る度に感じる、底知れない醜悪。


たった一人の少女を助けるために、この人間は血に濡れたというのか。馬鹿らしくて笑いが込み上がる。

彼に対し、そして、私に対して。



「彼女が悪魔に育てられたと話をしたな」

「はい」

「あの続きの話だ」



太陽に雲が差し掛かり部屋の電気の灯りが強くなる。


忘れもしないあの日は、ほんの数年前のような気がする。子供の成長とは目まぐるしく早い。

この天界でポツリと浮かぶ黒い彼に当時の彼女を重ねた。揺り籠の中の彼女。

小さなもみじ型の手を精一杯広げ、わたしの小指を掴んだ。思い出を撫でるように、ゆっくり息を吐く。



「ここから話す内容は誰にも公言するな。無論、ワイアットにも」

「……それはなぜ」

「ワイアットの生い立ちは、彼女自身にも秘匿事項だ」

「そんなこと、あるはずがない」



首をゆっくりと横に振った。

透くんの瞳が世界の果てのように闇を帯びる。

わたしは指を膝の上で組んだ。

利き手の人差し指を動かす。


歯車がすべて揃う。

動いてしまう。

それを止める立場のわたしが、最後の部品になる。

はまってしまえば破滅に向けて回りだすかもしれない。

それなら、堕ちゆく2人に最初の挨拶を教えよう。

彼女の為ならばと命を投げ出す彼に負けたくないのだ。

わたしは笑った。唇が離れる。



「彼女は、

絶対神『ゼウス』が自ら地獄に堕とした天使だ」



彼の呼吸が乱れる。



「ワイアットの生みの親は夫婦共に殉職し、彼らと同期だったわたしが彼女を引き取るつもりだった。

能天使の子供は、能天使になる可能性が高いからだ」



溌剌とした笑顔の似合う父親、生真面目で責任感の強い母親。彼女はその通りに育ったと思う。

顔は、父親に似ている。



「だがゼウス様は仰った。

『その子供を悪魔が暮らす集落に捨ててこい』と」



鮮明に思い出せる景色。

血で滲んだ口内。

友と交わした約束すら守れない自分。

命令に従うしかない愚かな自分。

あれほどまでの痛みを感じたことは、後にも先にも無い。透くんは、わたしの話をまっすぐ受け止めようとする。もう止まれない。



「わたしは命令に従った。

彼女があの土地で生きていたことも、暖かな家庭に拾われたことも全てが奇跡に近い」



白く無垢な赤ん坊が、黒い世界で命を刈り取られずに生きていたこと。堕天することも、育ての親や兄弟、友人までからも大切に育てられた彼女。

だからこそ彼女は産みの両親と似つかない色を――


天使は皆、白として生まれる。

魂の色に従って髪色が変わるのだ。

だが彼女は最後まで白のままだった。

それを、透くんは分かっているのだろう。

純粋そのものを愛した、彼は。



「……どうして、神はそんなことを?」

「実験だ」

「実験……?」


「『力を持つ能天使を、悪魔に育てさせたら兵器が産まれるのではないか』」



何度咀嚼してみても理解できない思考回路。

全知全能の神が、まだ見ぬ結末を見届けたいがための。

命を軽んじる行為。


奥歯を噛んだ音が響いた。


彼の顔の中心にシワが寄る。

拳を固める姿は、忠誠を誓う存在に黒ずんだ気持ちを抱くわたしのよう。

何かが彼の中で変わっていく音が聞こえた。



「……実験は、成功してしまったんですね」

「そうだ」



重たい息が同時に落ちる。


次に脳裏に浮かぶのは、あの日の惨劇。

壊れたワイアットに『次』を命じたのはわたしだ。

もっと早くに気がつくべきだった。

彼女が悪魔に育てられた意味を。


彼女は悪魔も堕天使も、そして天使も、同じ生物として認識している。その区別が付けられない。

堕天してしまう天使が多い『能天使』としての使命も、彼女にとったら『知った顔』が敵に増えただけだったのだろう。


誰を斬り、守るか。

その境界線が曖昧になって最後に残ったのは、遠くで彼女の帰りを待つたった一人の男。


自分が不甲斐なくて堪らない。

部下としても、娘としても、小さな命を守ってあげることが出来ない自分が醜く思えて。

だからこそ、弱くみすぼらしく震え立つ彼が自分を見てるようで憎くて堪らなかった。



「……エリアが言っていた立場ってもしかして」

「彼女にとってゼウス様は天使として『生きる意味』を与えた恩人だ。表面上はな」



ワイアットは自分が実験体であると知らない。

自分を産んだ両親に意味もなく捨てられ、天使としての価値を絶対神に認められた『特別な天使』だと。

そう思っている。


特別、そう、特別なのだ。


神のおもちゃとして。




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