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6.居場所



俺の部屋になる空き部屋から、物置まで、家の隅々を案内された俺は、またリビングのソファに戻っていた。

テレビをつけるわけでもなく、ただ2人ソファの肘掛に寄りかかりながらのんびりと話すだけで、なんだか疲れが取れるようで。すでに4年住んだボロアパートよりも居心地がよく、心が、いつの間にかこの家に馴染んでいた。


「渡界者は最初準備期間をすごすって言ってたよな?あれってなんの準備期間なんだ?」

「うぅん、長い道のりの到着地だから、みんなあそこで今まで歩んで来た人生を整理したり、転生に向けて心の準備をするんだ。そういう準備期間」


「天界に住む選択をした人は少ない?」

「少ないねぇ、それこそ、そういう渡界者はトオルみたいな人が多いんじゃないかな」


ほとんどの人がまた現世へと転生する道を選ぶのだそうだ。もし、エリアと出会わなかったとしても、俺はその道を絶対に選びそうにないため、また現世へと戻る人の気持ちが分からなかった。

そういう人たちは、幸せだったと思える人生だったのだろう。だとしたら、エリアと出会えたことは本当に良かった。

いつの間にか靴を脱ぎ、ソファに体育座りのようにして座るエリアに、なんだか羨ましいなとそろりと靴を脱いだ。

同じような体勢になっても、エリアは特に何も言わない。

それどころか、「いいね」と歯を見せ笑った。


「でも、トオルには悪いことしちゃったね」

「なにが?」

「だってトオル、今日天界に着いたんでしょ?裁判長いよな〜。結局天国行きならさくっと1回で来れるようにすればいいのにね」

「え?」

「ん?なに?」


全く記憶にない事をエリアが話すので、思わず聞き返した。俺は死んで、すぐにあの、ヘイヴン・クロスで目を覚ましたはずだ。裁判はないんだなって、思ったくらいなのだから……

呆気にとられる俺に、エリアも表情を変えると座り直すように僅かに俺との距離を詰めた。


「待って、今日天界に着いたんだよね?」

「うん……」

「裁判は?受けた?あの顔のでかい閻魔のおじさん。会った?」

「……会ってないし、裁判も受けてない」


眉間に皺が寄る。

エリアは視線を上の方に外して、しばらく何かを考え込む。やはり、何かおかしいのか。ごくりと唾を飲み込む。


「ほんとに死んだんだよね?」

「それは間違いない。ほら、あの、首吊って」

「死因なんてどうでもいい、ここじゃ関係ない」


死ぬことのない、死後の世界なのだから。

それもそうかと言葉を飲み込んだ。

また視線を外したエリアは、探るように何度か俺を見つめると、あのさぁ……と口を開いた。


「さすがにさ」

「うん……」


「三途の川は、渡ったよね?」


「…………渡って、ない」


息を飲み込む音が響いた。

やはり、俺が感じた最初の違和感は本当だったのか。

なにが言い伝えの虚構だ。

楽園もあれば、天使だって、神だっているんだ。

俺は思わずズボンを握りしめ、呼吸が浅くなる。


「あのねトオル。人間が三途の川を渡らずにこちら側に来ることは、まず、無い」


動いてないはずの心臓が、どくりと音を立てた。

いやな汗が流れる。

先程までの穏やかだった時間は、いつの間にか消えていて。エリアの声と、心臓の音だけが鳴り響く。


「まして地獄の裁判を受けずにここまで来るだなんて」

「俺、なんか、やばいの、かな……」

「僕も詳しい事までは分からないけど、もしかしたら」

「もしかしたら?」


青い瞳が真っ直ぐ、俺の瞳を貫いた。

真剣で、でもなぜだか不安も混じってるように震える。

震える指先を抑えるように、拳を握り、エリアの次の言葉を待った。心臓がうるさい。


「トオルはまだ、死んでいないかも、しれない」


それは、どういう……。

言葉の重みで喉が詰まる。

意味が理解できず、ただエリアを見つめることしかできない。死んでないというなら、俺はなぜ、ここに……

いや、死んだはずなんだ。最期の苦い記憶が脳をかすめる。呼吸が止まる感覚。

だらり、汗が垂れた。


「これは僕の、憶測にすぎないけど」


エリアの声に、おそるおそると、耳を澄ます。

恐ろしく、怖い。


「トオルの体は、まだ現世で生きてるのかもしれない」


よく、分からず、思わず聞き返す。

体だけが生きているとは、どういうことか。

何も分からない俺は、とにかくエリアの言葉を待つ。


「人間は死んだら体と魂にわかれるんだ。

……トオルはちゃんと"死にきれていない"可能性がある」


「ええ、と……」


「死んだらまず、現世との繋がりを断ち切らなきゃ行けないんだ。それが、三途の川。つまり」


つまり、


「まだトオルは、現世との繋がりが断ち切れてない。


……まだ戻れる状態ってこと」


ぐっと息を飲み込んだ。

ソファの縁をゆっくりとなでる。

自分の温もりが伝わって、暖かい。


「そんな、だって俺は」

「確証が得れた訳じゃないけど、可能性はある」

「お、俺は、どうしたら」

「……役所に行けば、もしかして、だけど」

「役所…?」

「人間を管理してる場所がある。そこに行けばトオルの現状が分かるかも、だけど」


エリアが暗い顔を見せた。目線が落ちる。

重い空気がのしかかるが、やはり、よく分からなかった。

穏やかだった時間が恋しい。

震える手を握りしめる、指先だけが変に冷たい。

うん、確かに、俺はここに存在している。

俯いた俺を励ますつもりなのか、エリアは顔をあげると明るい声を出した。

まだ確定してないものを嘆いても、仕方がない、のか。


「大丈夫!そんな大きな問題じゃないって!」


その言葉を信じるしかなかった。

この平穏を、手放すなど、もう俺にはできないというのに。縋るように背もたれに寄りかかった。

深く、深く、息を吐く。


「とりあえず、今日はもうお風呂に入って寝よ」

「……うん」

「明日、午後から仕事だから、午前中に行こ」

「……分かった」


「……この家は、もう、トオルの家でもあるからね」


そう言って目尻を下げた。

ここにいたいという気持ちが、俺だけの独りよがりではなかったことが分かるだけで、救われたような気持ちになる。首だけをエリアに向けた。


「……ありがとう」


かすかにアップルパイの匂いがした気がする。

優しく返事を返したエリアは、お風呂の準備してくるよとリビングを後にしようとした。

思わず、その腕を掴む。

白い眉を下げた。


「大丈夫だよ、トオル、大丈夫」


温もりが俺の手を包んだ。

優しい温度に、ゆるゆると手を話した。

残った温もりと、静けさが俺を包んで、無性に寂しくなる。どうしたら、いいんだろう。と、そっと目を閉じた。





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