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59.神意




東区にある拠点に戻り、カマエル指揮官の元へ報告に来た僕たちは彼の突き刺すような視線に射抜かれていた。

彼は僕達の姿を、いや、トオルの姿を見た。

それだけで、全てを理解したように重たい息を落とす。

机の上で指を組んだ彼の人差し指が規則正しく動く。これは、彼が言葉を選ぶ時にやる仕草だと僕は知っているが、それを知らないトオルは指揮官の発する空気に飲み込まれていた。



「……なぜ、彼に刃を握らせた。ワイアット」



しばらくの沈黙の後、ようやく視線が僕に移る。

一呼吸整え言葉を発する前にトオルの声が割り込んだ。



「俺が勝手にしたことです」

「お前には聞いていない」



トオルを冷たくあしらう。

僕はトオルの"こういうところ"が好ましく思う。

だが、指揮官はそうとは思わなかった。

彼はいつも厳格で一貫している。

そこは、まぁ、尊敬しているところ。

無駄な思考を受け流し、僕は口を開いた。



「僕がやらせました」



トオルの息を飲み込む音が聞こえ、指揮官の眉間に皺が寄る。隣でトオルが「違う」「俺だ」と声を張るが、僕は自分の言葉を訂正するつもりはなかった。

『トオル』が自ら馬車を降りたとしても。彼に手を差し伸べたのは僕。刃を握らせたのも、指示をしたのも。

全部、僕だ。


瞬きひとつしない指揮官を僕も睨み返す。すると、埒が明かないと先に目線を逸らすのはカマエル指揮官。

彼の顔に重たい影が落ちた。



「自分の立場を理解しているのか?」

「理解しています」

「……そうだな。お前は"いつも"そうだ」



ほんの僅かに和らげた指揮官の声に肩が軽くなる。



「ワイアットはこの後、宮殿へ迎え。ゼウス様がお呼びだ」

「御意」



命令に身体が無条件に動く。

これらの処罰、及び対応は全て神に任せられるということだ。僕はそのまま一礼しトオルと部屋を出ようと、彼の名前を呼ぼうとした時だった。



「お前はここに残れ」



地を這うような声が部屋に響きわたり、僕の動きを止めた。肌がピリついて冷や汗が垂れ流れる。視界の端で指揮官が薄く笑う。上官の命令に背けない僕は「無視していいよ」などとトオルに言うことはできない。

トオルの様子を伺おうと横目で彼を捉えた。



「……え」



小さな声が漏れた。僕の声。

目線の先にいるのは威圧に押し負け体を震わすトオル。


ではなかった。


一本の大木のようにしっかりと地面に足をつけ、息をするトオル。吸い込まれそうなほどに黒い瞳が揺れることなく、ただ一点を捉えている。



「俺も、あなたと話したかったので丁度いいです」



挑発的なトオルの言葉に指揮官は笑う。

隣にいる彼も笑っている。

呆気にとられているのは、僕だけ。



「ワイアット、早く行け」

「……承知しました」



また、一礼。

少し遅く頭をあげた僕にトオルは「またあとで」と目を細めた。いつもと変わらない。僕を信じ、守ろうと足掻くトオルの笑顔。オウムのように言葉を反復して部屋を出た。痛いようで暖かくて、でも冷たい、不思議な液体が胸の中で広がっていく。

先程までいた部屋の中で彼らが何を話すのか、気になってしょうがない。だが、足を止めることはなかった。


表向き前線から退いた僕は一般人に姿を見られるのは良くないと馬車に乗り込んだ。夜であれば空を飛び宮殿に向かうこともきっとできるだろうが、今は昼をすぎたばかりで明るい。


最近、馬車に乗ってる時間が多いな。

窓の外をぼんやりと見つめた。中央区に入る頃にはこの窓もカーテンを閉めなくてはいけないだろう。

ガタリと大きく車体が揺れる。

久しぶりに訪れた孤独に、もう耐えられないと頭が勝手に叫んだ。なんて羨ましい痛みだろう。昔の僕に教えてあげたい。


寄りかかった壁から伝わる冷気が幾分か気持ちを落ち着かせてくれたが、ほろりと零れ落ちた液体はなんだったんだろう。


そういえば、トオルに「大丈夫?」って聞けなかったな。




――――――――




宮殿内の白い石畳に足を下ろし、うんと背中を伸ばした。遠くから観光客が笑い合う声が聞こえてくる。

その声が心臓を逆撫で顔を引き攣らせた。息を吐く。

誰の目にも映らなそうな宮殿の奥に馬車を止めてくれて良かった。


慣れた足取りで宮殿に入る。

新しい衣装を身にまとった僕を、すれ違う他部隊の天使が網膜に焼き付けるように見つめてきた。

久しぶりの感覚に目眩がする。

敬礼する天使が続く廊下を歩くなんて嫌いだ。

さっさとゼウス様の元へ行き、彼の元へ帰ろう。

僕はほんの少し歩幅を大きくした。


ゼウス様の部屋に近づく度に減っていく人影。

靴裏が反響する音が大きな鐘を鳴らしているようで、この宮殿全域に反響しているのではないかと錯覚する。


果てしなく長い人生を歩む天界人のほとんどは、一生ゼウス様を見ることすら叶わない。僕はまだ若輩者と呼ばれるような年齢だが、あの方が目をかけてくださることに感謝しないといけないなと、静かな廊下で飲み込んで突き進む。


神が暮らすセレスティアを一望できる最上階、その扉の前で足を止める。ノック音と共に息を吸い、扉を開けた。眩しい光と花の香りが僕の体を無理やり掴み、部屋の中へと引きずり込む。

この感覚も、嫌いだ。



「……来たね、エリアリア」



部屋の中だというのに、ここはいつだって春の草原のよう。白い雲が部屋中に浮かび、天窓から差し込んだ太陽の光で虹色に反射する。その中でも一層大きな雲の上にだらしなく寝そべる男が一人、そしてそれを取り囲む息を飲み込むほどの美しい女、女、女。

あぁ、この人は何も変わらない。



「……ゼウス様、お話というのは」

「やだねエリアリア、固い言葉はよしなさいといつも言っているだろう」

「申し訳ございません」



彫刻のように整った顔と体を持ち上げ、ゆったりと座った彼は白く長い髪を邪魔そうに背中に払った。

鍛え上げられた筋の塊に女たちは縋る。

本当に、イヤだ。

だが目を逸らすことなど許されず目の前の光景を絵画を見つめるように呆然と見つめる。

彼はそんな僕を面白そうに笑い、女の髪を撫でた。



「……彼の、ことなのだけど」



予想が通りの開幕に思わず肩が跳ね上がる。

彼、とは。

頭の中で黒い髪の彼の姿を思い浮かべた。

また、どろりと胸の中で何かが広がる。



「カゴミヤ トオルくん、そう、籠宮 透」



全知全能の神は本当に何もかも知っているということか。僕たちが出会ったあの日からの全てを、この目の前の神は知っている。


ごくりと、硬い唾が胃の底へ沈んでいく。

痛い。


僕は、指揮官が言っていたように自分の立場を"理解"している。だからこそ、それを利用してここまで来たというのに。そんな事も全て全て見透かされている。


途方もないくらい時間が止まった気がした。


背中に汗が伝って、ゼウス様の言葉を待つことしか出来ない。彼は女の髪に指を絡ませ楽しそうに僕を眺める。

やがて、ふっと笑った。



「彼を君の側近にしちゃおうと思うんだ」



目頭が燃えるように熱くなった。





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