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58.発露



台風の目の中は静かなのだと、知った。


強風が俺達を中心に吹き荒れるのに、俺の耳には彼女の声がはっきりと聞こえるほど静かだ。


サーベルを握っているだけ。

刃先を当てているだけ。

目立った才能もなければ、運動神経がいいわけでもない。彼女が指示する通りに動く。

ただそれだけで、嵐は勝手に過ぎ去っていく。


気づけば、力は抜けていた。


そして次第に音も色も、輪郭を失っていく。

彼女も、きっとそうだ。



「一歩前」



右足が動く。

彼女が振るう大剣に弾かれるように流れてきた固い風を止める。次は左足、腕を上げる。下げる。

視界の端でエリアの口が糸のように引き上げられているのが見えた。それはまるで、今までの苦難が報われたように。


りんごを口にした彼女は知識を得て選択をした。


では、

食われたりんごはどうすればよかったのだろう。

ぼんやりと考える。


選ばれたりんご。

拾われたりんご。

噛み砕かれたりんご。


だが、きっと彼女も同じなのだ。


彼女は笑っている。

俺が望んだとおりに、隣で。

流れる感情と気持ちが一致しない心地悪さから逃げるように、エリアの声に身を委ねた。

そうするとやはりこれが正しかったのだと俺は笑う。

でもなぜだか俺はこの感覚を、死ぬほど味わってきたような気がする。



「これで最後」



ぼやけた視界から、一気に目が覚めた。

息一つ乱していない彼女が映る。

エリアは大剣を乱暴に投げ捨てると俺に近づいた。

生臭い鉄の匂いに埋もれる、彼女の匂い。



「鞘に戻す時は、こうやって。

血振るいしてから戻してね」



息を止め、勢いよくサーベルを下に振るう。



「できてる?」

「うーん、力が足りないね。貸して」



エリアの手にサーベルが移る。

彼女は俺から少し距離を取ると俺に見せるように刃を振るった。


空気を切るそれは、ピシャリと軽い音が弾けてまた俺の手の中に戻ってくる。濁っていたそれが眩さを取り戻し、刃先を見ながらゆっくりと鞘に戻す。


終わった。



「血振るいをしないと刃が錆びるから、しっかりね」

「できるようになる?」

「なるよ。まぁ、服で拭ってもいいけど。

僕はあんまり好きじゃない」



たしかに、それはエリアの白い服を汚してしまう。

できるようになろうと、一人頷く。

そんな俺を見て彼女は喉を鳴らした。



「さぁ、帰ろう」



遠く離れた馬車へと、歩く。

ぬかるんだ地面に足を取られたが、次第にそれも慣れていく。汗で張り付いた前髪を俺は払った。

風が俺たちの声を乗せて、楽しそうに飛んでいく。



「今日はこれで終わり?」

「うん、帰ってゆっくりしよ。疲れた?」

「……疲れた。久しぶりに運動した気分」

「それにしては動けてたね」

「ほんと?」

「……まだまだって感じだけど!」



歯を見せ笑う彼女の瞳が愛おしく光った。

その光が俺の黒い瞳を照らし、胸の乾きを潤す。

やはり、俺が望んだのはこれなのだと俯き笑った。

俺たちの後を着いてくる赤い足跡でさえ、それを肯定しているように思えてくるのは、俺がそう思い込もうと必死だからだろうか。


だからきっと、これでいいのだ。

エリアが一人で苦しむ日はもう来ない。

そう、思うしかなかった。



「トオル?」



頭を回すことに必死で、いつの間にかエリアは俺の前を歩いていた。心配になったのか振り返り足を止めている。それに思わず、ぎゅっと拳を握った。

手の中にはまだサーベルの感触が残っている。


毛を逆立てる悪臭も、口の中に滲む鉄の味も。

遠くで鳴く鳥も、全てが遠い。


再び踏みしめた一歩がとても重く感じた。

彼女が残した足跡の上に、また新しい足跡を重ねる。



「帰ろう、エリア」



また彼女と肩を並べる。


最初にりんごを口にしたのは、どちらだっただろうか。





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