45.秘匿
カマエルの後を追い、家を出た。
そのまま、乗ったこともないほど豪華な馬車に通される。
赤いクッションが身を包み、向かい側に彼が座る。
「2階東側のワイアットの部屋の荷物だけを運べ、その他の部屋には入るな」
「御意」
扉を閉めた。
しばらくして馬車が発進する。
夜はもう、深い。
窓から見える景色を見つめた。
「どこへ向かうんですか」
そう尋ねると、彼は足を組んだ。
「東区だ」
そう一言。
でも、それだけで十分だった。
沈黙が落ちる。
俺は、嫌な予感を抱えたまま、ただ揺れた。
見慣れた街並み、夜に静まった街を東に駆ける。
ふと、「東区は歩きじゃ、ちょっときつい」と言ったエリアの声を思い出した。
一瞬空気が揺れた。
「君が知りたいのは、ワイアットが“何をしたか“ではないだろう。
“何が起きたか“だ」
低い声に、喉が鳴った。
頷くしかない。
静かな車内に、カマエルの声だけが震える。
「――作戦は、単純だった」
彼は目を伏せ、事実を並べ始めた。
膝の上に置かれた拳を、俺は握りしめる。
動き始める唇を見つめた。
「敵性区域への侵入、殲滅、撤退」
淡々と、感情が挟まれない。
先ほどエリアを思う父親のような顔は、もうなかった。
自分の指先が痺れていることに気がついた。
「だが、予期せぬことが起きた」
「予期せぬこと……?」
「集中攻撃だ。ワイアットを狙った猛攻撃が観測された」
嫌な汗が、背中を伝う。
生きているという事実がなければ、俺はもう聞いていられなかった。
「それでもワイアットは、止まらなかった」
「……命令、ですか」
沈黙。
「狙われたのは、彼女だけだった」
吐き出した息が、散って消える。
善悪の真意を疑っていたエリアにとって、それはどれほどの地獄だっただろう。
想像して、言葉を失う。
「結果として、その区域に残った反応は“一つもなかった“」
言い方に引っかかる。
まるで、数字のような言い方だ。
鼓膜が震えた、視界が歪む。
目の前の男も足を組み直す。
ゆっくりと、時間が流れて――
「敵性反応も……それ以外も」
何かが、音を立てて崩れた。
「彼女は、それを知らない」
静かに、告げられる。
それって、つまり、エリアが本当の悪に手を染めてしまったということか……?
違う、そうじゃないと反射的に思った。
でも、じゃあ何が違うのか、言葉が出てこない。
「戦後処理は全てこちらで行い、報告は“成功“として処理された。
ワイアットには、まだ、告げられていない」
「じゃあ……」
声が、掠れる。
「それは、事故だったんですか。それとも――」
カマエルの眉間がわずかに動く。
それを、見逃さなかった。
「どちらでもない」
「彼女は、そう"扱われるように"育てられた」
空気が、冷えた。
渇いた声が漏れる。
「それは、あなたも関わっているんですか」
「……そうだな」
かっと頭に血が上る。
エリアを兵器にしたのは、誰でもないこの男だ。
目の前の男が、急に憎くて仕方がない。
俺の憤りから目を背けるように、カマエルは言葉を繋いだ。
「選ばないこと、止まらないこと、疑わないこと。
それが、ワイアットの、彼女の強さだった。そして――」
一拍、置く。
「“便利になりすぎた“理由だ」
喉が、ひくりと鳴った。
一瞬、彼の言葉を否定できずにいた自分に気づいて、奥歯を噛みしめる。
「……俺は、それがエリアの強さだとは思いません」
カマエルは、邪険にする事なく俺の言葉に耳を傾ける。
そっと、目を伏せた。
暗いエリアの顔が頭に浮かぶ。
「エリアは悩んでいました。切り捨てた命が本当に悪なのか。
きっとずっと、自分の気持ちを捨てて剣を奮っていたんだと思います。
だから、選ばないこと、止まらないこと、疑わないことがエリアの強さだったんじゃない。
選ぶという可能性を、自分で切り捨てられる。それがエリアの強さなんだ」
言ってしまった。
彼は、すぐには答えなかった。
馬車の中で、初めて沈黙が重くなる。
カマエルは窓の外に視線をやったまま、指先だけで肘掛けを叩く。
規則的だったはずの動きが、一拍だけ、乱れた。
「……君は」
低く、静かな声。
男と視線がぶつかった。
「危険だな」
それは、叱責ではなかった。評価でもない。
心の奥までも見られているような、不思議な感覚。
「君は、彼女を兵器としてではなく、一人の人間として見ている」
言葉を選ぶように、間を置く。
「その視点は、こちらの計算になかった」
ほんの一瞬。
ほんのわずかに、彼の声から確信が抜け落ちる。
「人間、らしいな」
その言葉には、俺には想像もできないほどの意味が込められていた。
エリアと俺が分かり合えなかったように、この男とも本当の意味では分かり合えないのだろう。
人間と、天使。住む世界を裂かれてしまった存在なのだから。
「だが――」
彼は続けようとして、止まった。
口を閉ざしたまま、息を吐く。
それは諦めにもにていた。
「……いや」
否定するはずの言葉を、飲み込んだ。
「君の存在が、ワイアットに良くも悪くも影響を与えたのだろう」
息を吸おうとして、肺が動かなかった。
喉が鳴った音だけが、やけに大きく聞こえる。
馬車の進行音だけが、微かに耳に残る。
「だからこそ」
視線を戻さず、続ける。
「君には、もう一つだけ伝える価値がある」
ここで、ようやくこちらを見た。
「彼女は――」
一拍。
「悪魔に、育てられた」
そして続ける。
「……少なくとも、彼女は“それが何であるか”を知らされていた」




