42.不選
剣を振るう。
風を切る音が遅れて聞こえた。
刃が当たる感触は、いつもより軽い。
一体、二体。
三体目が距離を取ろうとした瞬間、踏み込む。
羽根が軋むのも構わない。
「 そこ 」
声が自分のものだと気づいたのは、敵が地面へと落ちていってからだ。
血が跳ねる。頬にかかる温度。
熱いのか、冷たいのか分からない。
右腕が痺れている。
多分、さっきの一撃で痛めてしまった。情けない。
でも、動く。剣を持ち替えることすらしない。
握れなかったら、その時考えればいい。
次が来る。
影が重なって、あっという間に囲まれた。
普通なら下がって、合図を待つ。
でも、僕は構わず前へ出た。
大きな体、同時に二体を斬る。
刃が途中で止まったが、無理やり引き抜く。
肉の感触、骨の当たる鈍さ、慣れてしまった感覚に心は揺れ動かない。
朝から動いているのに自分の体には痛みが全く走っていないのが、なんとも皮肉だった。
着替えたばかりの白い軍服は真っ赤に濡れている。
自分から流れた血は、一滴もない。
その事実だけで、僕はここに立っている。
それだけで、今は、十分だった。
視界の端で、白い何かが叫んでいる。
名前を呼ばれている気がする。
なにも聞こえない。聞こうとしていない。
聞いたら、止まる。今止まったら、頭で選ばなきゃいけなくなる。
善も悪も、なにも考えたくない。ただ、命令に従うだけでいたい。
剣を振る。踏み込む。堕とす。逃げない。
逃げる理由がない。
僕にできること、僕にしかできないこと、それらをやり遂げなくてはいけない。
それが、ずっと教えられてきたことだから。
「 ワイアット! 下がれ! 」
ようやく、声が届く。
この声は、前線に配属になったばかりの上官。
僕より上の立場の天使が前線に出なくてはいけなくなった戦況に、うんざりする。
でも、もう遅かった。
体は、止まらない。
下がるより、目の前の敵を倒す方が、ずっと簡単だ。
背後からの衝撃。
すかさず流して、斬り込む。
あまりの量に視界が白く弾けた。
それでも、剣は落とさない。
落とす選択肢は最初から存在しない。
「 大丈夫 」
誰に向けられた言葉なのか、自分でも分からない。
大丈夫。僕はできる。できない、なんて言わない。
だって――
「 みんな、僕を見ている 」
その言葉が胸の奥でなった瞬間、胸の奥が軋んだ。
トオルの顔をふと思い出した。
いつもの優しい表情じゃない。僕を理解できないと引き止めた悲痛な顔。
きっと顔を真っ赤にしていただろう。
英雄気取りするな。俺を置いていく覚悟がないくせに。
振り返れなかった。違うと、言えなかった。
僕には力がある。僕には期待がかかっている。
それが言葉を帯びて『英雄』なんて大それた呼び名がついてしまっただけ。
英雄と呼ばれていなくても、僕はやっぱり止まれないと思う。
息が上がる。次々に命が落ちて散った。
もう休みたい。
一瞬、頭に過った。
短く息を吐く。
違う。
僕は止まれない。止まっちゃだめだ。
動かなくては。息を整えて剣を触れ、加速させろ。
逃げてはいけない。逃げたいなんて思ってはいけない。誇りがあるなら突き進め。
使命を思い出せ、僕はエリアリア・ワイアット。天界を守り抜くために生まれた天使。多くの人の平和の為に命を削れ。
大怪我を負ったっていい。死ななかったら、それで――
動け。
僕が。
ボクが。
「 天界を守るんだ 」
音が、消えた。
気がつくと、独りで戦場に立っていた。
有象無象の屍の上に、僕はいる。
周囲に、もう動く影はない。
肩を上げて息をするが、心は少しも揺れていない。
空を見つめた。どんよりと黒い空は煙や死臭で嫌な雲を作っていた。
自分の息の音がうるさくて、口を閉じる。
顔についた血を拭った。体はどこも痛くない。惨めだ。
勝った、はずなのに。
胸の奥に、なにも残ってない。それでも――
「 任務完了 」
その言葉を口にした瞬間。安心した自分に、理由もなく少しだけ嫌悪が湧いた。
でもその感情も、すぐに消える。
剣を鞘に戻す。
靴裏に誰かの血が染み込む。僕は歩き出した。
後ろから赤い足跡がついてきて、思わず笑みが零れた。
いつも切り捨てていいのか悩んだ命も、僕に命を預けてくれた仲間もきっとこれに混ざっている。
使命を全うするために奪った命、守りきれなかった命。
それを踏みしめ、僕はまだ進む。
「 選ばなきゃ、こんなに簡単なんだ 」
声が、渇いた。
羽根を広げる。
飛び出して仕舞えば、もう赤い足跡は追ってこなくなった。
帰ったら、この軍服は捨てて新しいものを貰おう。
そしてシャワーを浴びて、赤く染まった羽根を洗い流すんだ。
何もかも、洗い流してしまえば僕は白に戻るはずだから。
完璧な、白に――――
『 ――冥府境界西側、壊滅状態にあり、ワイアットは至急現場に迎え 』
耳についた機械音。
大きく息を吸って進路を変える。
もうなにも、考えていなかった。
「 もう少し 」
自然と剣を引き抜いた。




