40.答え
なにも。
なにも言えなかった。
沈黙が続く。
孤独とは、なんだろう。
分からない。
沈黙を破ったのは、俺でもエリアでもなかった。
窓の外で、風が葉を攫う。
高らかな音が俺たちの間を割いた。
金色を想像させる楽器の音。
エリアが素早く立ち上がる。
「行かなきゃ」
その声に、頭が真っ赤になった。
窓の外を見ようともせず、ただ、音が鳴ったからと当たり前のように立ち上がったエリア。
部屋から出ていこうとするその姿を、止めた。
「行くなよ」
ついに飛び出した。
最悪だ。
「どいてよ」
睨まれる。
「どかない」
ドアの前で立ち塞がった。
俺の言動が不快なのか、眉間に皺を寄せる。
初めて見る顔。
瞳から光が消えた。
その表情に威圧されて、尻込みする。
強く息を吸った。
「行くな」
「なんで」
「今のエリアを行かせられない」
「……いつもと、変わらないけど」
どちらも、譲らない。
エリアの瞳は単純に俺を映しているだけ。
ただ、無機質な、黒。
白とは真逆の色が、自然に溶ける。
今、エリアを行かせてしまえば、きっと全てを後悔する。
傷ついた姿を、悲しむ姿を見たくない。
ここにいて欲しい。
ただ隣で、全てを投げ出して笑っていて欲しい。
俺が居場所ならば、そうして生きればいい。
独りぼっちだと嘆く世界なんて、捨てればいい。
選択してしまえば、きっと簡単なこと。
召集のラッパの音が鳴り止む。
刺さるような静寂が、気落ち悪い。
胸の奥が早鐘みたいに鳴って、息の吸い方が分からなくなった。
「…いつも通りでいられなくなったから、りんごを食べに来たんじゃないのかよ」
エリアの表情が見えない。
抑えていたものが、漏れる。
喉の奥がひくりと痙攣した。
「どんな状態で帰ってきたのかも分からないのか?
自分の状態も分からないで、世界が救えるわけないだろ」
溢れた。
声が、思ったよりも低く震える。
「僕には力がある?そんなの知らないよ。
なんで周りを頼らない?なんで助けを求めない?」
止まらない。
「そんなに英雄は凄いのか?自分一人も大切にできないで?」
行くなよ。
「それで死ぬなら、俺は、お前を止める」
もう、引き返せない。
「やめたって、投げ捨てたって――生きてていいだろ」
言ってはいけないことを、言った。
エリアの誇りを応援していた俺は、もういない。
正義でも愛でもなく、ただ、失いたくないだけだ。
白い頭が、くらりと動く。
青色の瞳に、闇が宿る。
――理解している目だ。
「トオルは逃げたいんだよ」
「……は?」
俺を見る。
理解ができない言葉に、血が上る。
エリアの口角が微かに上がった。
「気づいてないの?」
エリアは細い首を傾げた。
俺の言葉なんて、全く届いていないようだ。
逃げたい…?
なにから…?
喉が張り付く。
「…話を変えるなよ」
「変えてないよ、だって」
「僕を認めてしまったら、自分を否定することになるもんね」
言葉が消えた。
目を見開く。
痛い。
思わず笑う。
自分の乾いた声。
何かが切れた。
構わず、エリアは続ける。
「トオルは僕を止めたいんじゃない。
その言葉で、自分を肯定したいだけだ」
視界が揺れる。
頭を鈍器で殴られたように、痛い。
暗い部屋、青白いブルーライトに照らされる、俺。
その顔に生気はない。
思い出したくない記憶。
言われたくなかった言葉。
感情が、ぶつかる。
「 違う 」
否定。
心臓が、跳ね上がる。
崖に立たされたように、背後が冷えて。
わけが分からなくなって、息が詰まる。
エリアは、俺を真っ直ぐ見抜いた。
全てを見られている。
吐きそうだ。
「違わない。だって――」
言うな。
それ以上。
なにも言わないでくれ。
「 僕は逃げない。トオルとは違う。 」
白が、黒を追い越した。
無機質にドアが開く。
俺は、逃げてなんかない。
自分で決めたんだ。
『選択』すらしようとしないエリアには、言われたくない。
反論が飛び交うが、なにも言葉にならない。
図星を、突かれてしまったからか。
違う。
俺が『選択』したことは、なにも間違っていない。
逃げてなんかない。
違う。
違う。
背後で、黒い何かが、笑った。
振り返る。
ドアが、閉まった。
「っ、待てよ」
追いかけた。
家が震えるほどの強さで、廊下に出る。
白い影が階段を降りていった。
走る。
壁に沿わせた手が、驚くほど震えていた。
「 行くな!! 」
背中に叫ぶ。
エリアは振り向かない。
冷たい背中。
それに無性にムカついた。
吐き出す。
「 英雄ぶって死ぬのが、そんなに偉いかよ!! 」
唾が飛ぶ。
エリアの足が止まる。
二階の踊り場から、見下ろす。
息遣いが、うるさい。
「 違うだろ!使命を全うした奴が讃えられるなんて思ってんじゃねえ!! 」
震える。
「 俺を置いてく覚悟もねえくせに、英雄気取りするな!! 」
階段の途中で、時間だけが止まった。
エリアは振り向かなかった。
それが、答え。
足音が階段を降りきる。
玄関の扉が開く音、閉まる音。
それで終わりだった。
「……はは」
喉から、意味の無い音が漏れた。
さっきまであれほど叫んでいたのに、声が出ない。
胸の奥が、妙に静かだった。
勝った、と思った。
言い返した。
刺した。
止めた、はずだった。
なのに。
「……俺、なに言った?」
自分の声が、やけに他人事みたいに聞こえる。
英雄ぶるな。
死ぬのが偉いのか。
俺を置いてく覚悟もないくせに。
最悪だ。
どれも、全部。
止める言葉じゃない。壊す言葉だ。
膝から力が抜けた。
床に手をつく。
冷たい。
あんなに震えていたはずの手が、今は何も感じない。
「……行くなって、言いたかっただけなのに」
誰に向けられたのかも分からない独り言が、床に落ちる。
返事は、ない。
選択したのは、エリアだ。
でも、引き金を引いたのは――俺。
胸の奥で、何かが遅れて崩れ落ちる。
音もなく。
取り返しのつかない形で。
――朝日が、廊下に差した。
それでも、なにも戻らなかった。




