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4.共犯者



それは、どういう……先に沈黙を破ったのは俺だった。

エリアの顔を覗こうと背筋を伸ばしたが、作業をしていた手元を見つめたまま動かない。

ここからじゃ顔色を伺うことはできず、空気を飲むようにまた口を開く。


「知恵がほしいんだ。正しいって言われてきたことが、本当に正しいのかを知りたい。僕は間違えられないから」

「えっと」

「ねぇトオル」


ザクリ、と大きくりんごが切られた。


「君は、本当は、まだ生きたかった?」


それは――。

顔を上げると、真っ直ぐな視線が俺を刺す。

今度は俺が目線の行き場を探した。

ゴクリと唾を飲む。

口の中に残ったアールグレイがほのかに香る。


俺は死にたかった。

生きていく気力も希望もなくて、自ら死を選んだ。

それが最善だと信じて疑わなくて。

生きたいなんて思ったことはなかったのに。

ここに来て正解だと思ったのに。

すぐ言えるはずの「死にたかった」が、喉の奥でつっかえた。俺が開いた口を閉じると、エリアは続ける。


「こんな事聞いてごめんね。答えて欲しい訳じゃないよ。ただ、正しい答えが無い問題って難しいよねって言いたくて……」

「気にしてないから、大丈夫」

「ありがとう。トオルは優しいね」


柔らかく笑うエリアは、またコトントン、ジュゥと音を立て手を動かし始めた。

俺が答えられなかったせいで話を上手くかわされてしまったと気づき、不自然に目線が泳いだ。

どういうことだろう?

なぜ知恵の実を?

なぜ間違えられない?

なにを?

何も分からず紅茶を飲む。

不自然に乾いた喉がわずかに潤った。冷たい。

それでも俺は、ティーカップに残った茶色の跡を見つめながらエリアに届くように声を出した。


「分からない。分からないんだ」


「俺の死因は自殺だ。首を吊って、部屋の中で。生きていたくなかったから死んだ。でも、ここに来てから分からない。君に、エリアに、会ってから、分からないんだ」


また音が止まる。

青い瞳がこちらに向いた気がした。

どちらか分からない息が空気を飲み込む。


「エリアが何を思ってるのか正直俺には分からない。だって、俺たちはさっき出会ったばかりだから。

でも、きっと、正解がないから、俺たちは間違えるんだ。だって、どの道が正解かなんて、誰にも分からないんだから」


何を言いたいのか途中から分からなくなる。

どこかで聞いたことのあるような説教を、やっとの思いで紡ぐが、とても不器用だ。

俺なんかの言葉、きっと天使には届かない。

けれど言わなきゃ、伝えなきゃいけないような気がした。


しばらくのあいだ返答がなくて不安になりつつ、エリアの青い瞳に目線を揺れながら動かす。

はっ、と乾いた声がこぼれ出た。


「なんで、」


ぎゅっと拳を握った。ズボンにシワがよる。

大きな青い瞳がそんな俺を捉え、揺れた。


「なんで、そんな、嬉しそうなんだよ」


不安で怖かった俺をバカにするように、エリアは頬を染め、ゆるゆると顔をほころばせていた。

また乾いた声が漏れる。ぐっと息を飲み込んだ。

ただでさえ笑顔の多いエリアの初めて見るゆるみきった表情に、鼓動が早まる。恥ずかしいのと、それと――


「やっと、名前呼んでくれた」


「そんなこと……」

「そんなことじゃない。いつ呼んでくれるんだろうって、思ってたんだ。だからそんなことじゃない」


たかがそれだけ、俺が名前を呼んだだけ、なのに。

大袈裟に喜ぶエリアに不安と緊張が薄れていく。

不慣れなりに必死で言葉を伝えたというのに、背もたれに深くかけると吐いた息だけ体が沈んだ。

やはり天使に俺の言葉など届くわけもなかった。

あははと楽しそうな声が響く。


「そうだよね、何が正しいのかなんて誰にも分からない。きっと知恵の実を食べたとしても、きっと誰にも分からないんだ」


そういうことだよね、トオル?

俺の名を呼ぶ声が長く鼓膜を震わせた気がした。

パチリと瞬きを2回。

沈んだ体がふわりと浮いた。

なんだか申し訳なくなって、俺はゆっくりとうなずき、もう空っぽになってしまったはずの紅茶を飲んだ。

何も、ない。


「まぁ、このアップルパイは食べるんだけどね!」

「……俺が食べて大丈夫なのか?」

「もう食べたことあるでしょ、うんと遠い、世界の始まりで」

「それもそうか」


ぶぅん、とオーブンがオレンジ色の光を放ちながら動き始める。ここから30分きつね色になるまで焼くらしい。

透明で丸いティーポットがエリアの手元で揺れる。

綺麗な赤茶が湯気を立てた。

俺とエリアの距離が縮まる。

目の前の緩い顔につられて顔がほころぶ。


「おかわりはいかが」

「ありがたくもらおうかな」


ふたつのティーカップがローテーブルの上で仲良く並ぶ。ソファにもう一人の体重が加わり、沈む。なんだかそれがとても心地よかった。

注がれた紅茶に今度はミルクを、エリアはレモンを。

座っていても身長差がある俺たちが、しっかりと互いを見つめる。


「僕らの出会いに」


どちらともなく、指先で持ったティーカップを持ち上げた。


「俺たちの原罪に」


くいっと軽く掲げる。


「「乾杯」」


まろやかな味が広がった。

優しく、甘く、温かい。

これから犯す罪さえ、赦されるのではないかと思うほど――


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