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3.禁忌



先程までの賑やかさが遠く背中をくすぐる。

中央区から西区へ向かう途中、大きな川を渡った。赤レンガ作りの橋は古く温かみのある色をしていて、どこか威厳すら感じる。もしかしたら、この川で区画が分かれているのかもしれない。


賑やかだった中央区とは打って変わり、西区は穏やかな住宅街だった。人の気配はするが、落ち着いた静けさがある。農園や畑も見え、暮らしの匂いが強い。


「そういえば、君の名前を聞いてなかった」


俺は、自分が今まで「白い人」と呼んでいたことにようやく気付く。

人懐っこい性格のせいか、名前を知らなくても自然と会話が成立していたからだ。

ショートカットでさっぱりしているが、顔周りだけ鎖骨あたりまで長い。よく見れば少し変な髪型だ。ふわりと白髪が揺れる。


「僕は『エリアリア・ワイアット』長いから『エリア』でいいよ。みんなそう呼ぶ」

「俺は『籠宮 透』透でいい。よろしく」

「トオルね!よろしく!さあ、あれが我が家だよ!」


嬉しそうにエリアが指さしたのは、青い屋根の可愛らしい家だった。

エリアによく似た家だなと、自然と笑みがこぼれる。

レンガの塀、小さな庭、白いポスト、ピンクと白の可愛い花。案内されるまま庭に入り、エリアがポケットから鍵を出してドアを開けた。


「はい、どうぞ!」

「おじゃまします……」

「はい!いらっしゃいませ〜」


エリアが続いて入り、「ただいまぁ」という伸びた声と共にドアが閉まった。

家の中は花のように微かに甘くて、心地の良い匂いに包まれる。

どこからか日が差し込んでいて家の中もとても暖かい。

エリアは靴を抜かずにそのまま奥の部屋へと向かってしまうので日本育ちの俺には抵抗があるが、同じように靴のまま上がった。

奥の部屋もとても暖かく大きな窓が特徴的だ。カーテンの影が水面のように揺れている。


「手はここで洗って〜」

「わかった」

「りんごもお預かりします」

「わかった」


キッチンは広く、一人暮らしにしては立派すぎるほどだ。

現世でのボロアパートとは比べ物にならない。

蛇口の水がきんと冷えた。

タオルを借りると、エリアは「ソファで座って待ってて」と微笑んだ。

躊躇したが、エリアは鼻歌を歌いながら楽しそうに台所を動き始めたので、俺は素直にソファに座る。


柔らかいソファに体が沈む。

ここに来てまだそこまで時間は経っていないのに、人生で1番濃い1日な気がした。

もう死んでるけど。

会ったばかりの相手に案内されるまま家まで着いてきて、俺は一体何をしているんだろうか。

生きている事じゃ絶対にしなかった事だ。

他人を信じるなんて、そんなこと――


「待ってる間にどうぞ」

「え?」


ありえないほど間抜けな声が飛び出て、肩を跳ねさせる。

エリアも目を大きく開いて驚いたが、すぐ笑顔に戻る。

恥ずかしい。慌ててソファの中で身動ぐ。


「紅茶は好き?」

「普通、かな」

「僕は紅茶大好き!ということで、召し上がれ」

「ありがとう」

「ミルクはこれ、砂糖と、あとレモンもあるけどいる?」

「…もらおう、かな」

「りょうかい」


コーヒーか、水か、酒。

しばらくそれしか飲んでいなかったものだから、何を入れたらおいしいのか分からない。

とりあえずティーカップに手をかけた。

温かさが胸いっぱいに広がる。


「おいしい」


輪切りのレモンを持ってきたエリアの瞳がまた大きくなる。白い皿が机でことりと音をたてた。

なんだか嬉しそうだ。

さらに一口。


「すごい、おいしいな」

「ありがと!紅茶を淹れるのには少しだけ自信があるんだよね」

「うん、これは凄いよ、おいしい」

「わわわ褒めすぎだよ」


顔を赤くして逃げるように台所に戻るエリア。

俺はそんな背中を見ながら紅茶を飲んだ。

「おいしい」なんて、いつぶりだろう。

思い出せない。

自分のために湯気の立つ飲み物を淹れてくれる人なんていなかった。


胸の奥がちくりとする。

だが、その痛みはすぐにエリアの鼻歌に溶けていった。

シャリシャリ、コトントン、カチャカチャチャ

心地よい音が鼓膜を震わせる。


「聞きそびれたけど、採っちゃいけないりんごをなんで採りに行ってたんだ?」

「えーっとねぇ」


少し困ったような声が返ってきたので、耳を澄ます。

手を動かす音は止まらない。


「このりんごはね、知恵の実なんだ」

「知恵の実って、アダムとイブが食べてしまった、あの?」

「そうそう、あの」

「食べちゃいけないやつじゃないか?」

「うん。絶対食べちゃいけないやつ」

「え!」


天使が禁断の果実を?

食べてはいけないと言いながらも、エリアは手をとめない。神を裏切る行為になってしまうのではないか。

純粋無垢だったエリアのイメージが端から崩れていく。

天使なのに、それは、ダメだろう…

言葉が出ず、カップの取っ手をなぞる。まだ暖かい。


「なんで禁止されてるか分かる?」

「……知らない」


「あのりんごの木の名前は『善悪の知識の木』。その実を食べると善悪の知識がつくようになってしまうから、神様は最初の人間に食べることを禁じたんだ。」


「善悪が着いてしまうことの何が悪いんだ?」

「良い事も悪い事も考えることができるということは、争いが生まれるってこと」

「だから人間は知恵の実を食べて楽園から追放された?」

「そう、そういうこと」


人間が生まれ持つ罪『原罪』と呼ばれるものらしい。

俺には宗教的知識は薄く、どうしても物語のように感じてしまう。

それを天使が食べる意味は、もっと、分からない。

次の言葉を待とうと紅茶を一口。少しぬるい。


「それでなんで僕がこの実を食べてるかだけど」


エリアが静かに言う。


「善悪の知識をつけたい。ただ、それだけ」




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