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21.無知




午前の仕事は、拍子抜けするほど穏やかだった。

連絡をもらっていたお宅に行き、腰を悪くした住人の代わりに電球を変えて。

落とし物が2件と、道案内が3件。

それだけで終わった。


昼休憩にと、昨日の大きな公園に向かう道中、広い空を見上げながら有坂が声を漏らした。


「平和だね」


その横顔が、どこまでも遠くを見つめていて、儚さを帯びる。

思わず息を飲み込んだ。

何も返せなくて、目が離せない。

目をゆっくりと伏せた有坂と、目が合う。


「この仕事はね、こういう日のためにあるんだよ」


白が混じった黒。

見たことのない、不思議な瞳。

同じ人間のはずなのに。

そう思えば思うほど、距離だけがはっきりしていく。

何か事件が起きて、大忙しで。

命をすり減らしながら働くのが、やりがいだと思い込もうとしていた過去の自分に影が落ちる。

この人にとって。天界にとって。

何も起きない日々こそが、生きがいなのだろう。

寒くもないのに、腕をさする。

制服の白が、体に少しでも染み込めばいいと思った。


「……好きになれそうです。この仕事も、この街も」

「それは嬉しいね」


平和が続く、この街が。

平和を守る、この仕事が。


公園についた俺たちは、中心にあるコテージに向かう。

サンドウィッチに、ホットドッグ、オニオンスープなどたくさん売られている。

人も、相変わらず多い。


「今日はたまごサンドにしようかな。透くんは?」

「えっと、このハンバーガーにします」

「いいね」


笑顔のまま有坂は、レジに向かってしまった。

流れるように俺の注文もしてしまった彼に、まずいと、慌てて財布を出した。

まだ借りてる、エリアの財布。


「いいよ、わたしに奢らせて?最初って大変だろう?」

「で、でも!」

「いいから、先輩の顔をたててほしいな」

「……ありがとうございます!」


心がポカリと、温まる。

何度もお礼を言う俺を、有坂は目を細め面白そうに笑った。


「透くん、君は、とても優しい良い人だね」

「え、そんな、こと」

「お財布、もうしまっちゃいな」

「あ」


両手で握りしめたままの財布を、指差し笑った。

かぁっと、顔に熱が集まる。

消え入るようにもう一度お礼を言うと、彼は声を少し大きくして笑う。

そうしているうちに、レシートに印刷された注文番号が呼ばれた。

受け取りカウンターまで行って、せめてもと、料理が入った袋を受け取る。


「ありがとう」

「いいえ!」


外のベンチで食べようと、移動する。

空いているベンチを見つけると、彼が腰をかけたので続いて腰をかけた。

たまごサンドは、食パンの耳が残されているようで。

たまごの黄色と、パンの白に差し色が入りこむ様子にお腹がきゅるりと音を立てた。

袋から出したハンバーガーは、パティとレタスとトマトと。

ケチャップとマスタードの香りが勢いよく飛びついて、大きな口を開けた。


「おいしい!」

「おいしいねぇ」

「はい!ご馳走様です!」

「ふふっ」


シャキリと音をたてるレタスに肉汁が零れるパティ。

トロリとチーズが溶けて、口の中で混ざる。

途中で現れるトマトが、何よりも美味しい。


「透くんは、とても気持ちよく食べるね」

「特技です」

「そうか特技か!

ソースは零さないように気をつけるんだよ」


トロリと包装紙の中で垂れたソースに、あっと息を飲み込んだ。

慌てて持ち直して、制服が汚れないように口を開ける。

こんな白い服にこぼしてしまったら、目立ってしょうがない。

細心の注意をはらいながら、食べ進める。

あっという間に食べ終わってしまい、一緒に入っていたお手ふきで手を吹いた。

うん、一回も零さなかった。


食後のコーヒーまで奢ってくれた有坂に、頭が上がらない。

また少し、ベンチで休憩してから、午後の仕事も頑張ろうと息を吸い込み、背中を伸ばす。

肩が、軽い。


「タツオちゃんじゃないの!」


歩き出そうとした俺たちの足を、3人のご婦人が止めた。

近寄ってくる彼女たちの圧に、気圧されながらも有坂が笑顔でお辞儀をしたので真似をするように体を動かす。

関西のおばちゃんを想像させる風貌が、地元ではなかったのに、懐かしさを覚えて笑みが溢れた。

しばらく有坂と世間話をしたかと思うと、彼女たちは興味を俺に移して、頭の黒を見つめながら口を開く。


「渡界者の子かしら?」

「新人ちゃんねぇ!」

「お名前は?なんて言うのかしら」


「初めまして、籠宮透です」


「トオルちゃんね!」


同じように、ちゃん付けで呼ばれて、不思議と悪い気はしなかった。

微笑ましそうに笑った有坂が、言葉を続ける。


「今日は皆さんで、お出かけですか?」

「そうなのよ!久しぶりにね!」

「それはいいですね」


少し話に混ざりながら、耳を傾ける。

彼女たちは、編み物サークルの友人同士らしい。

着ている淡い紫色のカーディガンに、小さなポシェットは、自分たちで作った物なのだと見せてくれた。

暖かさが伝わってくるそれらは、とてもよくできていた。


「お仕事は最近忙しいの?」

「それほど変わらず。ですかね」

「あらそうなのね、ほら、ここ最近何かと物騒じゃない?」

「ニュース番組が最近報じてるわよねぇ」


「ちょっと前に、北区にも巡回が来たって話よ?」


巡回。

その言葉に、思わず眉を顰めた。

口ぶり的に、俺たちのことではなさそうだ。

昨夜見た、ニュースの内容を朧げに思い出す。

まだ知らないことが多すぎて、何もわからない。

姿勢を少しだけ正しながら、彼女たちを見る。

物騒と口では言っているが、他人事のように話していて、ついにはそのうちの1人が目を輝かせながら口を開けた。


「そう!私ちょうど見ちゃったのよ!」

「え?!そうなの!ちょっと早く話しなさいよ!」

「羨ましいわー!なかなかお目にできないじゃない!」

「本当にかっこよかったんだから!」


「へぇ、わたしも見たことないなぁ」


有坂までもが知っているような口ぶりなので、天界で人気な芸能人か、なにかだろうか。

まるで人気アイドルに偶然会ったような反応に、1人ついていけない。

けれど、胸の中で、小さく何かが引っかかった。

ぽかりと口を開けたまま話を聞き、一度会話が途切れた瞬間に声を出す。


「芸能人、とかですか?」


空気が、固まった。

4人の視線が集まって、あれ、なんかまずいこと聞いちゃったかなと口を閉じた。

だがすぐにご婦人の1人が「こっちに来たばかりなのね!」と笑い、微妙だった空気が消える。

つられるように笑った。


「天界を守ってくださってる方達がいるのよ」

「その中でも『英雄』と呼ばれているお方が、この前巡回に来てくれったって話!」




「それが、『エリアリア・ワイアット』様よ!」




音が、止まった。








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