第十六章:龍の聖戦(下)― 神々の宴 第四章:皇帝の城
“Man is a rope, tied between beast and overman—a rope over an abyss.”
(人間とは、獣と超人の間に結ばれた、一本の綱である。深淵の上にかかる、一本の綱である)
– Friedrich Nietzsche/フリードリヒ・ニーチェ
第四章:皇帝の城
謁見の場所は、北京ではなかった。上海でも、なかった。
そこは、河北省と、内モンゴル自治区の、境界に広がる、広大な、草原の中に、ぽつんと、存在する、巨大な、荘園だった。周囲は、高い塀と、武装した、警備員によって、固められている。地図には、載っていない、まさに、現代の、皇帝の、城。
ここが、王書記亡き後、その地位と、利権の、すべてを、受け継いだ、新たな、支配者の、私的な、サンクチュアリだった。
義成は、李霃帘と、共に、ヘリコプターで、その地に、降り立った。
彼を迎えたのは、新たな、河北省の、支配者、張書記、その人だった。
五十代半ば、その、風貌は、前任の王書記のような、老獪さとは、対極にあった。元軍人出身の、その体は、鋼のように、鍛え上げられ、その、鋭い、眼光は、剃刀のように、見る者を、切り裂く。
彼を、動かすのは、イデオロギーではない。ただ、剥き出しの、権力欲と、そして、国益という、大義名分を、纏った、個人的な、野心。
「ようこそ、青木君。君の、噂は、かねがね、ディアオリェンから、聞いているよ」
張書記は、義成の手を、万力のような、力で、握った。
「君の、その、国境を、物ともしない、ビジネスの、才能。ぜひ、我が国の、ために、役立てて、もらいたい」
その日から、数日間。義成は、この、荘園に、滞在し、新世代の、共産党幹部の、知られざる、生活を、垣間見ることになる。
それは、義成の、想像を、絶する、世界だった。
荘園の中には、すべてが、あった。
オーガニックな、食材を、生産する、専用の、農場。最高の、水質を、誇る、湧き水。そして、それらの、食材を、調理する、国賓待遇クラスの、料理人たち。彼らの、口にするものは、すべて、外部の、汚染された、世界とは、完全に、隔離されていた。
衣類も、そうだ。最高級の、シルクや、カシミアを、使い、お抱えの、デザイナーが、彼らのためだけに、仕立てる。
そして、何よりも、義成を、戦慄させたのは、この、荘園の中に、最新鋭の、医療設備を、備えた、巨大な、クリニックが、存在していたことだ。
そこには、中国全土から、集められた、最高峰の、医療チームが、常駐していた。彼らの、唯一の、仕事は、張書記と、その、一族、そして、彼が認めた、ファミリーの、健康を、維持すること。
「我々は、神に、選ばれた、存在なのだよ、青木君」
ある夜、張書記は、最高級の、ワインを、傾けながら、義成に、語った。「我々は、この、十三億の、民を、導く、責務を、負っている。そのためには、我々自身が、常に、最高の、健康状態で、なければならない。我々の、健康は、もはや、個人の、ものではなく、国家の、財産なのだ」
その、歪んだ、エリート意識。
そして、義成は、知ってしまった。
その、究極の、健康と、長寿を、支えている、秘密の、サプライチェーンの、おぞましい、現実を。
そのクリニックの、地下深くに、それは、あった。
冷凍された「部品」ではない。もっと、冒涜的で、悪魔的な、システム。
そこは、ガラス張りの、クリーンルームが、どこまでも続く、巨大な、施設だった。そして、その、一つ一つの、部屋には、ベッドに、繋がれた、生きた人間が、横たわっていた。
彼らの、首には、識別番号の、ついた、首輪。腕には、点滴の管。そして、その、生命活動は、すべて、中央の、コンピューターで、監視されている。
彼らの、瞳には、一切の、光がなかった。薬物によって、意識を、奪われているのだ。
モニターには、彼らの、詳細な、個人データが、表示されていた。
チベット族、二十歳、男性、血液型O型、HLA適合率98%。
ウイグル族、十八歳、女性、血液型A型、HLA適合率99%。
そして、法輪功学習者、三十歳、男性、血液型B型、HLA適合率100%…。
「…これは…」
義成は、言葉を、失った。
「驚いたかね?」
案内した、李霃帘は、静かに、しかし、その声は、かすかに、震えていた。彼女自身も、この、システムの、おぞましさに、魂のどこかで、恐怖しているのだ。「これが、我々の、力の、源泉よ。全国の、軍の、病院と、連携した、究極の、オンデマンド臓器バンク。我々は、必要な時に、必要なだけ、新鮮な、『ドナー』を、手に入れることが、できる。我々は、もはや、死を、克服したのよ」
それは、紛れもない、反人類的な、犯罪。
国家ぐるみの、ジェノサイド。
義成は、吐き気を、こらえながら、その、モニターに映し出される、無数の、生きた「部品」たちの、リストを、見つめていた。
もし彼が数年前に完璧に挑んだオペレーション・“金蟬脱殻”が成功しなかったら、このリスト中に、彼は、一つの、名前を、見つけてしまったのかもしれない。母京海の、友人、紅、という女性の名前を。
彼の、心の中で、何かが、音を立てて、崩れ落ちた。




