第二部:光の中の影 3. 平凡という名の奇跡
その日から、義成と、由紀の、穏やかな時間が、始まった。
それは、まるで、失われた青春を、取り戻すかのような、日々だった。
義成は、佐藤が、用意してくれた、都心の、セキュリティの高い、静かなマンションで、暮らし始めた。彼は、由紀に、自分の過去を、語らなかった。ただ、海外で、長く、貿易の仕事をしていて、少し疲れたので、しばらく、日本で、休養するのだと、それだけを、伝えた。
由紀も、深くは、詮索しなかった。彼女は、彼の、その、ミステリアスな、部分も、含めて、彼という人間に、惹かれているようだった。
二人は、ごく、普通の、恋人たちがするように、デートを、重ねた。
美術館に行き、映画を観て、週末には、車で、箱根や、軽井沢へ、小旅行に出かけた。
義成は、初めて、何の、裏の目的も、計算もなく、ただ、一人の女性と、時を、共有する、という、喜びを、味わっていた。
由紀は、素朴で、誠実な、女性だった。
彼女は、義成の、博識や、洗練された、物腰に、尊敬の念を抱きながらも、彼の、時折見せる、不器用さや、子供のような、一面を、愛おしそうに、見つめていた。
ある、雨の日。マンションの、部屋で、二人で、料理をしていた時のこと。
義成が、慣れない手つきで、玉ねぎを、みじん切りにしていて、目に染みて、涙を、流しているのを、見て、彼女は、声を立てて、笑った。
「青木さん、だめじゃない。貸して、ごらんなさい」
彼女は、彼の手から、包丁を取り上げると、鮮やかな手つきで、あっという間に、玉ねぎを、刻んでしまった。
「…すごいな、由紀さんは」
「これくらい、毎日、やっていることですから」
彼女は、少し、得意げに、笑った。
その、何気ない、日常の、一コマが、義成にとって、何よりも、新鮮で、そして、かけがえのない、宝物のように、感じられた。
彼は、中国で、何不自由ない、帝王のような、生活を送っていた。だが、そこには、決して、なかったものが、ここには、あった。
人の、温もり。
飾らない、笑顔。
そして、何の、忖度もない、安らぎ。
彼は、ようやく、見つけたのだ。自分が、本当に、帰りたかった、場所を。
この、平凡という名の、奇跡の、中に。




