5. 女帝の決断
決断の、きっかけは、些細なことだった。
執務室の机の、引き出しの奥に、しまい込んでいた、義成が、初めての、面会の時に、彼女に、手渡した、日本の、ベンチャー企業の、企画書。
あの、炎と、水浸しの、会議室での、彼の、不敵な、笑顔。
あの記憶が、鮮烈に、蘇った時、彼女の心は、決まった。
(…面白いじゃない)
ここで、何もしなければ、私は、結局、王書記の、庇護の下でしか、生きられない、ただの、籠の中の鳥だ。
でも、もし、私が、この、絶望的な状況を、覆し、あの龍を、救い出すことが、できたなら。
私は、彼を、本当の意味で、私の、ものに、できる。
そして、私自身も、ただの、女ではなく、本当の、ゲームプレイヤーに、なれる。
その夜。
李霃帘は、王書記の、私邸を、訪れた。
六十歳近い、王書記は、その、権力に、相応しい、威厳と、そして、老獪さを、湛えた男だった。
彼は、愛人である、この、若く、美しい、そして、聡明な、李霃帘を、心から、寵愛していた。
「どうした、ディアオリェン。今夜は、やけに、思い詰めた、顔を、しているじゃないか」
書斎で、葉巻を燻らせていた王書記は、彼女を、優しく、迎え入れた。
その夜、李霃帘は、これまでの、どの夜よりも、情熱的に、そして、献身的に、王書記の、体を、求めた。
彼女は、自らの、若さと、美しさ、そして、知性、その、すべてを、武器として、使った。
彼女は、この、老いた、権力者の、欲望を、完全に、満たし、その、理性を、麻痺させた。
そして、二人の、情事の、絶頂の、中で。
彼女は、彼の、耳元で、囁いた。
「…お願いが、ありますの、あなた様」
その声は、甘く、しかし、有無を言わせない、響きを、持っていた。
「私の、大事な、ビジネスパートナーが、董苅の、若造に、不当に、捕らえられています。彼は、日本の、重要な、友人です。もし、彼に、何かあれば、今後の、我が省の、日本からの、投資計画にも、大きな、支障が、出ましょう」
彼女は、決して、義成への、私的な感情を、見せなかった。
あくまで、これは、省の、利益の、ためなのだ、と。
「…董苅だと?」
王書記の、眉が、ぴくり、と動いた。董苅は、王書記が属する派閥の、敵対派閥の、若手の、筆頭格だった。彼の、増長は、王書記にとっても、面白くないことだった。
「あいつの、独断専行には、私も、ほとほと、手を焼いていたところだ。…いいだろう。少し、中央に、手を回してみるか」
李霃帘は、心の中で、勝利を、確信した。
彼女は、賭けに、出た。そして、その、第一ラウンドに、勝利したのだ。
だが、彼女も、まだ、知らなかった。
この、一人の男の、失踪が、やがて、中国共産党の、巨大な、権力闘争の、引き金と、なっていくことを。
そして、その、嵐の、中心に、自分自身が、立たされることになる、ということを。




