第二部:龍、罠を仕掛ける 2. 意図された偶然
義成は、数週間をかけて、李霃帘という人間を、徹底的に、プロファイリングした。彼女の論文、過去の演説、公の場での立ち居振る舞い、そして、祖苑のネットワークを通じて得た、プライベートでの、些細な噂話に至るまで。
彼は、彼女が、単なる権力欲の権化ではないことを、見抜いていた。彼女の行動の根底には、この、男社会である共産党組織の中で、女である自分が、どこまでやれるのか、という、強烈な自負と、そして、その裏返しである、深い孤独感がある。彼女は、自分と対等に渡り合える、知的なパートナーを、心のどこかで、渇望しているはずだ。
義成の仕掛けは、シンプルで、しかし、大胆だった。
彼は、自らが持つ「AOKI GLOBAL LINKS」の、クリーンな投資家という表の顔を利用した。彼は、李霃帘が管轄する、河北省の経済開発区が、今、最も力を入れている、環境技術関連のプロジェクトに、日本の、最先端の浄水技術を持つベンチャー企業を、投資家として紹介する、という形で、公式な面会の場を設けたのだ。
面会当日。河北省、石家荘市。経済開発区管理委員会の、無機質で、だだっ広い会議室。
上座には、李霃帘が、まるで女王のように、座っていた。体にフィットした、シャネルの、黒いパンツスーツ。化粧は薄いが、その知性が、何よりの装飾となっている。彼女の放つオーラは、部屋の空気を、凍てつかせるほどに、冷たく、そして鋭利だった。
彼女の隣には、腹心の部下たちが、緊張した面持ちで、ずらりと並んでいる。
「…ようこそ、青木社長。お待ちしておりました」
彼女の声は、アルトで、心地よく響くが、そこに、歓迎の色は、微塵もなかった。
「本日は、お時間をいただき、感謝いたします、李書記」
義成は、完璧な、ビジネスマンを演じた。彼は、日本のベンチャー企業の社長(もちろん、これも、佐藤が用意した、架空の人物だ)を伴い、用意された、完璧なプレゼンテーションを、淡々と、行った。
プレゼンは、成功だった。日本の技術は、素晴らしく、将来性もあった。
だが、李霃帘の反応は、予想通り、冷ややかだった。
「…技術の、素晴らしさは、理解しました。ですが、青木社長。我々には、欧米の、より巨大な資本からも、同様のオファーが来ております。我々が、なぜ、あなたの、その、まだ実績もない、小さな会社と、組まなければならないのですか?メリットが、見えません」
彼女の、その、鋭い指摘に、日本のベンチャー企業の社長(を演じている男)は、言葉に詰まった。
その、絶妙なタイミングで、義成は、助け舟を出した。
「李書記、ご指摘は、ごもっともです。ですが、我々には、欧米企業にはない、一つだけ、大きな強みがございます」
彼は、そこで、言葉を切り、彼女の目を、まっすぐに見つめた。
「それは、スピードと、そして、『柔軟性』です」
その時だった。
会議室のドアが、乱暴に開けられ、一人の男が、血相を変えて、飛び込んできた。
「大変です、書記!中央規律検査委員会の、監察チームが、何の予告もなく、こちらへ向かっている、との情報が…!」
その言葉を聞いた瞬間、あれほど冷静だった李霃帘の顔から、さっと血の気が引いた。そして、その隣にいた、部下たちの顔も、蒼白になった。
中央規律検査委員会。それは、共産党の、汚職や、規律違反を取り締まる、ゲシュタポと恐れられる、最強の監察機関だ。そして、そのトップは、李霃帘の属する派閥とは、敵対する、別の派閥の人間が、牛耳っている。
これは、明らかに、彼女を失脚させるために仕掛けられた、党内抗争の罠だった。
監察チームが、このビルに到着するまで、あと、十分もない。
もし、彼女の、レアアース密輸に関する、不正な会計書類が、ここで見つかれば、すべてが、終わる。
会議室は、パニックに陥った。部下たちは、狼狽し、右往左往するばかりだ。
「落ち着きなさい!」
李霃帘が、一喝する。だが、その声も、わずかに、震えていた。
その、絶望的な状況の中で、ただ一人、青木義成だけが、冷静だった。
彼は、静かに、立ち上がると、李霃帘の、耳元で、囁いた。
「李書記。僕を、信じていただけますか?」




