第四部:深淵の底で 7. 憐憫の刃
その夜、義成は、馬東を、クラブの最上階にある、彼専用のスイートルームへと案内した。
部屋の中では、酒と、薬物と、そして、三人の「紅顔知己」が、彼を待っていた。
これから始まるのは、人間の、最後の理性を破壊するための、狂宴だった。
楊楊が、彼の体を、炎のように、貪る。
無宣が、彼の心を、水のように、癒す。
小黎が、彼の罪悪感を、風のように、吹き飛ばす。
馬東は、生まれて初めて体験する、神をも恐れぬ、倒錯的な快楽の渦に、完全に飲み込まれていった。
夜が、白み始める頃。
酒と、薬と、セックスで、廃人同様になった馬東の前で、義成は、静かに、一枚の書類を差し出した。それは、彼の会社の、顧問に就任するという、契約書だった。もちろん、その報酬は、法外な金額だ。
「局長、ここに、サインを」
「…う、うむ…」
もはや、思考能力のない馬東は、震える手で、その書類に、サインをした。
罠は、完成した。
この一枚の書類と、この夜の、すべてを記録した隠しカメラの映像。それらが、馬東の、そして、その背後にいる巨大な組織の、首輪となった。
だが、その時。
狂乱の果てに、朦朧としながら、馬東が、ぽつりと、呟いた。
「…息子に、会いたい…」
それは、この、腐りきった怪物の中に、唯一残っていた、人間らしい感情の発露だったのかもしれない。
その言葉を聞いた瞬間、義成の心に、激しい、そして冷たい感情が、込み上げてきた。
憐憫。
しかし、それは、同情ではない。
この、醜悪な男でさえ、息子への愛を持っている。ならば、なぜ、お前は、何千、何万という、何の罪もない人々の、家族を、愛を、命を、平然と奪うことができるのだ?
義成の瞳が、絶対零度の光を放った。
彼は、馬東の耳元に、悪魔のように、囁いた。
「ご安心ください、局長。あなたの、ご子息のことも、我々が、万全の体制で、『お守り』いたしますから」
その言葉の、本当の恐怖に、馬東は、まだ、気づいていなかった。




