4. 突然の辞職、そして残された謎
年が明けた、2004年、1月。仕事始めの、活気に満ちた朝だった。
郷田部長が、国際戦略局の全員を、緊急で会議室に集めた。その表情は、厳しく、そしてどこか悲しげだった。
「…皆に、残念なお知らせがある」
部長は、重々しく口を開いた。
「本日付で、青木義成君が、一身上の都合により、当社を退社することになった」
「ええっ!?」
会議室が、騒然となった。誰もが、信じられない、という顔をしている。鈴木君も、古さんも、呆然と立ち尽くしている。
なぜ?どうして?
あの、誰よりも会社に貢献し、未来を嘱望されていた彼が。この、SMSプロジェクトが、まさに離陸しようとしている、このタイミングで。
私の頭は、真っ白になった。
会議が終わった後、私は、彼のデスクへと走った。しかし、そこに、彼の姿は、もうなかった。デスクの上は、まるで持ち主がいなかったかのように、綺麗に片付けられている。ただ、引き出しの中に、たった一つだけ、忘れ物が残されていた。
それは、上海土産の、あのジャスミンティーの缶だった。まだ、封が切られていない、新品のまま。
その夜、私は、どうしても諦めきれず、高円寺にある彼のアパートを訪ねた。何度もインターホンを鳴らしたが、応答はない。部屋の明かりも、消えたままだった。まるで、もぬけの殻のようだった。
数日後、彼の辞職は、社内で大きな波紋を呼んだ。ヘッドハンティングだとか、女性問題だとか、様々な憶測が飛び交った。だが、真実を知る者は、誰もいなかった。
私だけが、知っていた。彼の辞職が、そんな単純な理由ではないことを。あの、佐藤と名乗る謎の男。横浜港への、深夜のタクシー。技術競争に関する、難解な洋書。それらすべてが、一本の線で繋がっているような気がしてならなかった。
私は、まるで探偵にでもなったかのように、彼の残した痕跡を、一人、調べ始めた。
まず、あのタクシーの領収書を頼りに、その運転手を探し出そうとした。だが、膨大な数のタクシー会社を前に、それは不可能に近かった。
次に、図書館へ行き、彼が読んでいた本を探した。同じ本は見つかったが、その経済学や地政学に関する高度な内容は、私の手に負えるものではなく、彼の行動に繋がるような手がかりは、何も得られなかった。
私は、完全に手詰まりになっていた。彼は、まるで神隠しにでも遭ったかのように、私の世界から、忽然と姿を消してしまったのだ。
彼の不在は、私にとって、耐え難いほどの喪失感をもたらした。オフィスで、彼の姿を探してしまう。会議で、彼の的確な意見が聞きたくなる。深夜の帰り道、隣に、彼がいない。
心に、ぽっかりと、大きな穴が空いてしまったようだった。




