6. 二人きりの対話
レストランの前で、タクシーを待つ。むっとするような夜の熱気と、クラクションの喧騒が、二人を包んだ。
「…助かりましたわ。ありがとう、青木さん」
祖苑が、静かに言った。
「いえ。部長が、ご迷惑をおかけしました」
「ふふ、慣れていますわ。日本のビジネスマンなんて、みんなあんなものですもの。仕事中は立派なことを言うけれど、お酒が入れば、頭の中は女のことばかり」
その言葉には、侮蔑と、そして諦めが混じっていた。
「あなたも、これからKTVへ?」
「いえ、僕はホテルに帰ります。明日に備えなければ」
「そう…」
一台のタクシーが、二人の前に停まった。
祖苑が乗り込もうとした時、彼女は、ふと動きを止め、振り返った。
「青木さん。あなた、日本人じゃないでしょう?」
その言葉は、唐突で、そして核心を突いていた。
義成は、驚かなかった。むしろ、ようやく来たか、という思いだった。
「…どうして、そう思われますか」
「あなたの中国語は、完璧すぎる。北京語だけじゃない、上海語まで。それに、あなたの目。日本人のそれじゃないわ。もっと、深いところで、この国を理解している目よ。あなたは、張さん…なのでしょう?」
彼女は、彼の本当の姓を、静かに口にした。ソエン・プランニングは、東邦広告のパートナーとして、事前に出張メンバーの簡単な経歴書に目を通していたはずだ。そこに、彼の出自に関する何らかの記述があったのかもしれない。
「…ええ。あなたは、香港の方だと伺いましたが、林さんも、ただの香港人ではないようですね」
義成は、問いに答える代わりに、問いを返した。
祖苑の唇に、初めて、本物の笑みが浮かんだ。それは、共犯者を見つけたかのような、シニカルで、美しい笑みだった。
「面白い人ね、あなた。…もしよかったら、もう一杯、付き合わない?私の、お気に入りの場所があるの」
それは、紛れもない、誘いだった。
義成は、迷わなかった。彼は、静かに頷くと、彼女に続いて、タクシーに乗り込んだ。
車は、ネオンきらめく繁華街を抜け、より薄暗く、ディープなエリアへと入っていく。
二人の、本当の夜が、始まろうとしていた。




