3. 水の精霊 ― 無宣(ウーシェン)
無宣との出会いは、一年半前の、霧雨に煙る上海だった。
当時、独立したばかりの義成は、上海の芸術家村に、ノベルティグッズのデザインのヒントを探しに来ていた。その夜、彼は、外灘の川べりで、欄干に寄りかかり、虚ろな目で黄浦江の濁った流れを見つめる、一人の女性を見つけた。
彼女は、まるで古典的な水墨画から抜け出してきたかのような、儚げで、憂いを帯びた美女だった。細い柳の眉、アーモンド形の瞳、そして、透けるように白い肌。だが、その瞳には、一切の光がなかった。彼女が、ふらり、と身を乗り出し、川にその身を投げようとした、その瞬間。
「待て」
義成は、その細い腕を、強く掴んでいた。
振り返った彼女の瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちた。
彼女が、無宣だった。
義成は、近くのカフェに彼女を連れて行き、温かいお茶を飲ませながら、静かに話を聞いた。
彼女は、水の都・揚州の、かつては名家だった家の出身だった。幼い頃から、書画や琴を学び、芸術家になることを夢見て、上海に出てきた。しかし、画廊のオーナーを名乗る男に騙され、なけなしの金も、作品も、すべてを奪われた。誰にも頼ることができず、絶望の淵で、死ぬことしか考えられなかったのだという。
義成は、彼女のプライドを傷つけないように、細心の注意を払った。
「君の絵を、見たわけじゃない。だが、君のその瞳は、本物の芸術家の目だ。死ぬのは、いつでもできる。その前に、俺のために、少しだけ働いてみないか」
彼は、自分の会社の、デザインアシスタントという名目の職を与え、住むための小さなアパートを用意した。そして、彼女が騙し取られた金と作品を、裏のルートを使って、すべて取り返してやった。
無宣にとって、義成は、闇の中から自分を救い出してくれた、光そのものだった。
彼女が、彼の部屋を訪れたのは、それから数週間後のこと。彼女は何も言わず、ただ、彼の前で、静かに衣服の帯を解いた。それは、まるで、茶道の儀式のように、厳かで、洗練された動きだった。
現れたのは、白磁のように滑らかで、完璧な均衡を保った裸体だった。贅肉というものを一切持たない、水蛇のようなくびれた腰。彼女は、その体を、彼に捧げることでしか、自分の感謝を表す方法を知らなかった。
無宣との交わりは、常に静かで、深い水のようだった。
彼女は、決して自分から何かを求めることはない。ただ、義成のどんな要求にも、全身全霊で応えようとした。彼女の体は、まるで上質な絹のようになめらかで、彼の激しい動きのすべてを、優雅に、そしてしなやかに受け止めた。
「義成様…」
彼女は、彼のことを、常に「様」付けで呼んだ。その声は、喘ぎ声というよりも、祈りに近かった。
義成が、彼女の華奢な体を抱きしめ、その内部へと深く進むたび、彼女は、恍惚と、そしてどこか切なそうに、瞳を潤ませた。彼女の体は、義成の荒ぶる魂を鎮め、浄化する、聖なる泉のようだった。
義成は、彼女の体の中で、束の間の静寂と、安らぎを得た。それは、楊楊との交わりとはまったく違う、魂の鎮静作用を持つ、特別な行為だった。彼は、彼女の献身的な奉仕の中で、自分が失ってしまった純粋さを、ほんの一瞬だけ、取り戻せるような気がした。




