6. 永遠の別れ
「妻」となった殷との、最後の七日間。
それは、あまりにも短く、しかし永遠に続くかのように、濃密な時間だった。
彼女の容態は、日に日に悪化していった。だが、不思議なことに、彼女の表情は、信じられないほど穏やかで、幸せに満ちていた。死の恐怖は、義成への愛によって、完全に塗り替えられていた。
義成は、二十四時間、彼女のそばを離れなかった。
彼は、彼女の耳元で、二人が歩むはずだった未来を、まるで見てきたかのように語り続けた。
「殷、聞いてるか。パリに、小さなカフェを開こう。君の焼くスコーンは、きっと、世界一の評判になる。店の名前は、『Le Ciel(空)』だ。君の名前、ハヌル(空)だからな」
「子供は、女の子がいいな。君にそっくりな、大きな瞳を持った女の子だ。名前は…そうだな、『愛』にしよう。俺たちの愛の、証だから」
それは、決して訪れることのない未来。だからこそ、あまりにも美しく、そして切ない、二人のための物語だった。殷は、うっすらと目を開け、その物語に、幸せそうに耳を傾けていた。
そして、義成が韓国に来てから、十四日目の夜。
運命の時が、来た。
嵐のように、激しい発作が彼女を襲った。医師や看護師が、懸命に処置を施したが、もはや、手の施しようがなかった。
義成は、ただ、彼女の手を握りしめ、その名を叫び続けることしかできなかった。
やがて、嵐が過ぎ去ったように、彼女の体から力が抜けていった。彼女は、最後の力を振り絞るように、ゆっくりと目を開け、義成を見つめた。
「…ありがとう…」
彼女は、微笑んでいた。人生で、最も美しい、妻の笑顔だった。
「あなたに会えて…本当に、幸せだった…愛してる…」
その声は、もう音にはならなかった。ただ、唇が、そう動いた。
「…あなた…わたしの、たったひとりの…旦那様…」
それが、彼女の、最期の言葉だった。
彼女の手から、すっと力が抜ける。心電図のモニターが、生命の終わりを告げる、無機質で、長い音を立てた。
「うわあああああああああああああああああ!!!!!」
義成の、言葉にならない慟哭が、静まり返った病室に響き渡った。
彼の時間の、永遠の一部もまた、彼女と共に、そこで死んだ。




