3. 絶望の淵
★この章はソングライターReNさんの傑作である『Tell Me Why』からインスパイアされた作品に仕上がっています。特に主人公の心境そのものを「Tell Me Why」が代弁してくれています。
ここではReNさんへ最大の敬意をはらい、ぜひ Tell Me Why をご堪能頂きたい!
(アコースティックバージョン↓)
https://www.youtube.com/watch?v=Y0V7dxKjlvI
沈黙は、ある日、突然やってきた。
いつものように、夜中に電話をかけても、彼女が出ない。呼び出し音が、虚しく響くだけだった。最初は、疲れて眠っているのだろうと思った。しかし、次の日も、その次の日も、彼女からの連絡はなかった。アパートの電話も、携帯電話も、まるでこの世から消えてしまったかのように、応答がない。
メールを送っても、返信はない。
義成の心は、不安から焦りへ、そして恐怖へと変わっていった。
何があったんだ?
事故にでも遭ったのか?事件に巻き込まれたのか?
それとも…心変わりか?日本で、他に好きな男でもできたのか?
ありとあらゆる最悪の可能性が、彼の頭の中を駆け巡り、彼の心を蝕んでいく。授業にも、身が入らない。夜も、眠れない。彼は、太平洋の向こう側で、完全に孤立し、無力だった。
大学の友人に頼んで、彼女のアパートを見に行ってもらったが、応答はないという。郵便受けには、新聞や郵便物が溢れていた。まるで、夜逃げでもしたかのように、人の気配が消えていた。
一週間が、一ヶ月のように感じられた。
義成は、もう限界だった。彼は、留学先の大学に事情を話し、緊急の一時帰国を申し出た。教授は、彼の憔悴しきった様子を見て、何も言わずに許可してくれた。
彼は、なけなしの金をはたいて、アイオワから東京へ、そして東京からソウルへと向かう、片道切符を買った。
彼女を探し出す。そして、真実を確かめる。それだけが、彼の頭を支配していた。
手がかりは、あまりにも少なかった。彼女がかつて話してくれた、ソウルの江南地区に実家があるということ。そして、父親が貿易関係の仕事をしているということ。それだけだった。
真冬のソウルは、骨の芯まで凍えるほど寒かった。
義成は、巨大な都市の雑踏の中で、完全に途方に暮れた。彼は、江南地区の高級住宅街を、あてもなく彷徨い歩いた。彼女の顔写真を見せて、聞き込みをしようにも、言葉の壁が立ちはだかる。彼の知っている韓国語は、あまりにも拙かった。
絶望が、彼の心を支配し始めた、三日目の夜だった。
冷え切った体を温めようと入った食堂のテレビで、経済ニュースが流れていた。画面に映し出されたのは、韓国を代表する巨大財閥「ハヌルグループ」の会長の顔写真だった。その横に書かれた名前に、義成は息を飲んだ。
李健熙。記憶に聞いた殷の父親の名前とは全くの同名だった。そして、その穏やかだが、威厳のある顔立ちは、殷の面影を、確かに宿していた。
まさか。
そんなはずはない。もし彼女が、こんな大財閥の令嬢だとしたら、なぜ、日本の小さなアパートで、質素な暮らしをしていたのか。
だが、他に手がかりはない。義成は、藁にもすがる思いで、翌日、ハヌルグループの本社ビルへと向かった。
巨大なビルのロビーで、彼は受付の女性に、李殷という人物を知らないかと尋ねた。会長の娘さんではないか、と。
受付の女性は、不審者を見るような目で、彼を冷たくあしらった。当然の対応だった。
だが、義成は諦めなかった。彼は、毎日、そのビルに通い続けた。ロビーの隅で、ただひたすら、誰かが自分の話を聞いてくれるのを待ち続けた。警備員に追い出されそうになっても、彼は決してその場を離れなかった。
「娘さんに、会わせてほしい!一言でいい!話がしたいんだ!」
彼の悲痛な叫びは、誰にも届かないように思えた。
捜索を始めて、一週間が経とうとしていた。彼の体力も、精神力も、そして所持金も、尽きようとしていた。すべてを諦めて、日本に帰ろうかと思った、その時だった。
一人の、初老の紳士が、彼の前に立った。上質なコートを身につけた、執事のような男だった。
「…張義成様で、いらっしゃいますか」
男は、静かな、しかし有無を言わせない口調で言った。
「会長が、お会いしたいと、申しております」




