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龍の傳人―光と闇の羅針盤(青木家サーガ第3作)  作者: 光闇居士


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2. 愛の光芒

その記憶は、いつも、大学のキャンパスの、柔らかな日差しの中から始まる。

日本語学校での運命的な出会いを経て、張義成と李殷は、同じ私立大学の英文科に合格した。一年間の浪人生活は、義成にとって挫折の時間であったと同時に、殷と共に同じ目標に向かって歩む、かけがえのない時間でもあった。予備校の帰り道、どちらともなく手を繋ぎ、将来の夢を語り合った日々。そのすべてが、二人の愛を、より深く、強固なものにしていた。

大学生活は、輝きに満ちていた。

義成の知識欲と知性は、大学という自由な環境で、さらにその輝きを増した。彼は、シェイクスピアを原語で読み解き、アメリカ現代詩に没頭し、その鋭い分析と考察は、教授たちをも唸らせた。一方の殷は、その穏やかで優しい人柄で、多くの友人に囲まれていた。だが、彼女の視線は、いつも義成にだけ注がれていた。

二人は、どこへ行くにも、何をするにも、いつも一緒だった。

図書館の隅の、指定席のようなテーブルで、並んで本を読む。時には、互いの肩に寄りかかって、うたた寝をすることもあった。昼休みは、陽だまりの芝生の上で、殷が作ってきてくれた少し甘めのキンパを分け合って食べる。講義が終わると、井の頭公園まで歩き、ボートに乗って、他愛のない話で笑い合った。

「義成さんは、将来どうするの?やっぱり、学者さん?」

夕暮れの池の上で、殷が尋ねた。

「わからない。でも、俺は、ただ書斎にこもっているような人間にはなれないと思う。この世界が、どう動いているのか、この目で見て、この肌で感じたいんだ」

「世界か…。大きな夢ね」

「君は?」

「私は…」殷は、少し恥ずかしそうに俯いた。「私は、小さなカフェを開きたいな。美味しいコーヒーと、私の焼いたスコーンがあって、窓からお花が見えるような、そんなお店。そして、そこのカウンターで、義成さんが難しい顔をして本を読んでるの。毎日、それを見ていられたら、私は幸せ」

そのささやかで、しかし温かい夢に、義成の胸は熱くなった。彼は、この女性を、生涯かけて守り、幸せにしたいと、心の底から思った。

二人の愛は、大学の仲間たちの間では、あまりにも有名だった。誰もが、その美しく、知的なカップルを、憧れと少しの嫉妬を込めて見ていた。彼らは、互いが互いにとって、空気であり、水であり、光だった。二人でいれば、何も怖いものはない。そう、信じていた。

そんな日々の中、義成に、大きなチャンスが舞い込む。

アメリカ・アイオワ州の大学への、一年間の交換留学プログラム。それは、かつてビザを拒否された彼にとって、リベンジであり、夢への第一歩だった。彼は、猛勉強の末、学内選考をトップの成績で通過した。

「おめでとう、義成さん!すごいわ!」

殷は、自分のことのように喜んでくれた。だが、その笑顔の裏に、一瞬だけよぎった寂しさの影を、その時の義成は見逃していた。

「一年だけだ。すぐに帰ってくる。それに、今は電話も、インターネットもある」

「うん…わかってる。わかってるけど…」

「大丈夫。俺たちの間に、太平洋なんて、ただの水たまりみたいなもんだろ?」

義成は、彼女を強く抱きしめた。彼の心は、アメリカという新しい世界への期待で、燃え上がっていた。若さとは、時に残酷なほど、前しか見えなくなるものだ。彼は、自分の夢が、彼女の心を少しずつ蝕んでいくことに、気づくことさえできなかった。

アメリカでの生活が始まった。

広大なトウモロコシ畑に囲まれた、穏やかな大学。すべてが新鮮で、刺激的だった。義成は、水を得た魚のように、アメリカの文化と学問を吸収していった。

そして、彼と殷を繋ぐのは、一本の国際電話の回線だけになった。

時差は、14時間。義成の夜は、殷の朝。義成の朝は、殷の夜。二人は、睡眠時間を削って、毎日、声を交わした。

「今日は、どうだった?」

「すごいよ、こっちの授業は。みんな、教授相手にもガンガン質問するんだ」

「ふふ、義成さんも、負けずにやったんでしょ?」

「当たり前だろ」

電話の向こうで、殷が優しく笑う声を聞くのが、義成にとって何よりの癒しだった。

だが、数ヶ月が経った頃から、少しずつ、変化が現れ始めた。

電話口の殷の声に、以前のような張りがなくなっていく。時々、ひどく咳き込んだり、言葉に詰まったりすることが増えた。

「殷?風邪でもひいたのか?」

「ううん、大丈夫。ちょっと、疲れてるだけ」

「無理するなよ。ちゃんと、飯食ってるか?」

「食べてるわよ。心配性ね」

彼女は、いつも明るく振る舞おうとした。義成も、慣れない日本での一人暮らしで、疲れているのだろうと、深くは考えなかった。自分のことで、精一杯だったのだ。

彼は、留学ビザ(F1ビザ)のステータスを利用して、長期休暇には、なけなしの金をはたいて、ヨーロッパを旅した。バックパッカーとして、一ヶ月。パリの美術館、ローマの遺跡、ベルリンの壁の跡地。彼は、そのすべてを、まるで実況中継するように、殷に電話で話して聞かせた。

「今、ルーヴルにいる。すごい人だ。モナ・リザは、思ったより小さかったよ」

「いいなあ…」

「今度、一緒に行こう。絶対に。君を、どこへでも連れて行ってやる」

「…うん。約束よ」

その約束が、永遠に果たされないことを、彼はまだ、知る由もなかった。

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