5. 埃まみれの企画書と小さな火種
月曜の朝。オフィスは、週末の弛緩した空気から一転、新たな一週間の始まりを告げる喧騒に包まれていた。
義成は、いつものように雑務をこなしながらも、頭の中では常に、中国事業開発部が本来やるべき仕事について思考を巡らせていた。面接の時に語った、ショートメッセージサービス(SMS)を利用した広告ビジネス。郷田部長も、その可能性に賭けて、この部署を作ったはずだ。だが、現実は、開店休業状態が続いている。
その日、義成は、部の資料室の奥で、埃をかぶった段ボール箱を見つけた。中に入っていたのは、数年前に作られたであろう、中国の携帯電話市場に関する、膨大な量の調査資料と、実現しなかった企画書の数々だった。
「こんなものが…」
彼は、その資料を自分のデスクに持ち帰り、読み始めた。データは古いが、その中には、現在の市場を読み解くための貴重なヒントが隠されていた。
キザな先輩、赤城がその姿を見つけ、嘲るように言った。
「おいおい張、今度はゴミ漁りか?そんな古い資料、何の役にも立たねえよ。中国ビジネスなんて、どうせ上手くいくわけがねえんだ」
赤城は、かつて自分が担当した中国案件で大失敗し、この部署に左遷されてきた過去があった。そのため、中国という言葉を聞くだけで、拒絶反応を示すのだ。
義成は、赤城を無視し、資料を読み解くことに集中した。そして、その日の深夜。彼は、その膨大な資料を、わずか数ページのレポートにまとめ上げた。それは、単なる要約ではなかった。古いデータと最新の市場動向を組み合わせ、なぜ過去の企画が失敗したのかを分析し、そして、今だからこそ可能になった、SMS広告ビジネスの新たな戦略モデルを提示するものだった。特に、中国のWTO加盟が、市場にどれほどのインパクトを与えるかについての考察は、鋭い洞察に満ちていた。
翌朝、彼はそのレポートを、郷田部長のデスクに、そっと置いた。
数時間後。郷田は、部署の全員を集めた。その手には、義成が作成したレポートが握られていた。
「…面白いレポートだ。誰が書いた?」
シーンと静まり返る中、義成が静かに手を上げた。
赤城の顔が、驚きと嫉妬で歪む。同期の鈴木と古も、信じられないという顔で義成を見ていた。
郷田は、満足げに頷いた。
「よし、このSMSプロジェクトを、今日から正式に始動させる。基礎調査チームを発足する。メンバーは…」
郷田は、ぐるりと部署内を見渡し、指を差した。
「リーダーは、このレポートを書いた張。そして、鈴木、古。お前たち新人三名で、まずは叩き台を作れ。それから…」
彼は、内線電話の受話器を取った。
「制作局の高藤君を呼んでくれ。デザイナーとして、このチームに加わってもらう」
その言葉に、義成の心臓が、大きく跳ねた。
「なっ…部長!なぜ、こんな新人に…!それに、デザイナーまで!」
赤城が、声を荒らげて抗議する。
「黙れ、赤城。お前は、このプロジェクトから外す。文句があるなら、会社を辞めてもらって結構だ」
郷田の冷たい一言に、赤城は顔面蒼白になり、言葉を失った。
こうして、義成をリーダーとする、小さな、しかし熱を帯びたチームが産声を上げた。それは、この静かな部署で燃え上がった、最初の、そして小さな火種だった。




