九.激戦
その頃、博愛特区の外では中国軍の増援部隊が続々と集結していた。しかし指揮官は突入を躊躇していた。敵はアメリカ軍だからだ。指揮官は別に中国の特殊部隊がアメリカ海兵隊に劣っているとは思っていない。しかしアメリカ軍と本格的に戦闘状態に突入すれば米中の全面戦争に繋がりかねない。指揮官はそれが中国指導部の望むことではないことを理解していた。
「北京からの指示は?」
指揮官は直属の通信手に尋ねたが、通信手は首を横に振った。
「いいえ。なにもありません」
指揮官は溜息をついた。北京の指導者たちもアメリカ軍の介入に驚いているに違いない。指揮官は難しい決断を迫られていた。アメリカ軍が介入している以上、作戦を続行するのであれば直ちに制圧しないと手遅れになる。しかし北京が作戦中止を決定した場合、アメリカ軍との衝突を拡大させていたら拙いことになる。指揮官がスケープゴートにされることは確実だ。
指揮官は自らの良心に従うことにした。台湾の叛乱分子殲滅はまさに中国の悲願であり、例えどのような妨害に遭ったとしても失地回復を達成しなくてはならない。それが彼の想いであった。
「攻撃だ」
中国軍部隊が一斉に突撃を開始していた。
アメリカ海兵隊は少ない時間と器材を駆使して何とか防御体制を整えていた。駐車中の自動車、建物の踊り場や窓、生垣などあらゆる障害物を利用し、少ない火力を存分に効果的に浴びせられるように銃火器の配置を工夫した。そしてその努力は実ろうとしていた。
中国軍は台北の工事現場で調達したブルドーザーを先頭に突入した。しかし海兵隊は携帯式ロケット砲で応戦した。突撃してくる中国兵に機関銃の十字砲火が浴びせられる。中国側もなけなしのロケット砲や重火器を使い海兵隊の立て篭もる障害物を潰していく。
小さな区画の中で数百名の兵士達がぶつかり合い、銃声がする度に死傷者が増えていった。
その激しい銃声は総統府内にも響いた。
「激しい銃撃戦が起こっています」
アフマドが総統執務室に飛び込んだ。彼は生放送中であることも忘れて叫んだ。
「お逃げください」
行政院長はカメラが回っていることを忘れていなかった。
「ダメだ。中華民国政府は総統府において健在でなければならない」
そう言うと行政院長はアフマドをカメラの前に手招きした。そして困惑しているアフマドを自分の横に立たせるとカメラに向かって言った。
「国民の皆さん、我々の新しい友人を紹介しましょう。アメリカ海兵隊のアフマド中佐です。彼は我々の為に駆けつけてきてくれた部隊の指揮官です」
行政院長はアフマドを紹介すると、台湾国民へのメッセージを求めた。突然の行動に驚いたアフマドであったが、優秀な指揮官である彼は状況の変化にも機敏に対応した。
「皆さん。私は海兵隊中佐のアフマドです。我々海兵隊はこの台湾の大地に芽生えた民主主義を守るために派遣されました」
アフマドはアメリカの台湾防衛の意思を英語で説明し、台湾軍の将校がそれを通訳した。
「我々は民主主義によって選ばれた政府が武力によって破壊されることを絶対に許しません。総統府は厳しい状況にありますが、必ず守りきります」
メッセージを言い終えると、周りの兵士達が拍手をした。即興にしては見事な演説であったとアフマドは思った。
すると次にテレビの前に立ったのは通訳をしていた台湾軍の将校であった。将校は市民に外出の自粛を呼びかけていた。行政院長はアフマドの横に立ち、耳元で囁いた。
「ところで中佐。1つ提案なんだが、戦っている君の部下の有志を国民に見せたいと思っているのだが」
「これでもまだアメリカ軍が介入していないとお考えになるのですか?」
中南海では国防部長が完全に主導権を握っていた。彼が指すテレビの画面では台北の戦闘の様子が放映されていた。おそらく総統府の窓から隠し撮をしているのであろう。先ほどまで市民への注意を呼びかけていた台湾軍の将校が戦闘の様子を解説していた。
「戦っている兵隊の装備を見れば分かります。あれはアメリカ海兵隊です。さっき出てきたアラブ系の将校も知っています。アフマド中佐は優秀な軍人で、アメリカ海兵隊第31海兵遠征隊の指揮官です。今、台北の我が軍部隊はアメリカと戦争をしています」
国防部長は“戦争”の部分を強調して言った。これからの中国正規軍とアメリカ軍の間で起こることを暗示するために。
「皆さん、我々は決断をしなくてはなりません。アメリカと戦争をするか、それともここで止めるかです」
国防部長の断固たる言葉に反論する者は誰も居なかった。彼が説明しなくてもはっきりしたことであった。アメリカは身を引くつもりはない。しかし、主席をはじめとして閣僚達はみな押し黙り、決断を下そうとはしなかった。